何かの症状でお困りの方がいるとする。


本人は「なんとかしたい」という気持ちを述べる。


それは本当だろう。


しかし、実は「本当にしっかりと改善したい、きちんとしたい」ということでは無い人がいる。


つまり、口では「治りたい、良くなりたい」といっているが、その根底には「今の苦難から逃れたい、ごまかしたい」だけという人がいる。


少しわかりにくいかもしれないので説明する。


たとえば胃が痛いとする。


その原因は飲食の不摂生つまり食べ過ぎ飲みすぎだとする。


自分でうすうすわかっている人もいれば、自分のことがわからない人もいる。


いつもなら数日でおさまるのに今回はちょっとひどいとする。


医療関係者から原因を指摘されるとする。


そして、指導を受ける。


「食べ過ぎ飲みすぎが原因です。注意しましょう。これが続くともっと悪くなることもあるよ。ほどほどにね。」


ここである人は、「あー、自分が無茶したらこんな目にあうのか。このまま無茶し続けたらきっと別の症状にもつながるな。親戚の○○さんもそういえば■■病になったといって大変そうだったな。これを機に気持ちを入れ替えて習慣を変えていこう。自分のできることからやっていこう。」と捉えたとする。


別の人は、「胃薬だしてください。痛いんでなんとかしてください。」


この違いをどう考えるか。


前者は、原因を解消することで身体を元気に戻そうとしている。きっとこの方は元気を取り戻すだろう。


後者は、今の痛みをなんとかすることだけを考えている。薬で抑えればまた同じ習慣を繰り返すだろう。薬が手放せなくなり、しかも慢性症状になり、ついには大きな別の症状を抱える危険が想像できる。

薬=治すものという考えがあるのだろう。身体を治すのは身体の回復力である。

薬で抑えているうちに身体の回復力が負担を越えることができれば回復するだけの話。

仮に胃酸が出過ぎているとしよう。胃酸が出過ぎるには出過ぎる理由がある。それを薬で抑えていても原因が改善されず負担が回復力を上回り続ければ回復していかない。ずっと薬をのんでいないとしんどいし、身体も薬を頼ってしまって回復力をしぼめる。


つまり、根本療法を求めるか、対処療法を求めるかということ。


火事が起こったとして、警報ベルが鳴っている。


火事は胃の状態であり、ベルは痛みだとする。


前者は火を消すことを考えている。火が消えればベルは自ずと消える。


後者はベルを聞こえないようにすることしか頭に無い。火はあり続け、大きくなる。


痛みは危険を知らせるメッセージである。


薬社会だから、あまりこういうことはいわれないが、実はこれと同じことが現実に氾濫している。


アトピーに対するステロイドしかり。


○○痛に対する痛み止めしかり。


医療従事者側がこういうことをおざなりにしていることも多い。


本格的な大火事になってから騒ぎ出すととんでもない労力と出費につながる。


下手をすると命に関わるケースもある。


関わった医療者がそういう現状であると感じて、自ら色々と「根本改善」を目指して探されていく人も存在する。


長年対処療法であることすら気付かず、それを(疑問を持っていたとしても)受け続ける人もいる。


ひどくなったときに気付く人もいる。


色々なケースがあるが、最後は自分の決めることである。


「こうなんですよ」と言ってみても、スルーする人もいる。


自分の固定観念にこだわったり、権威にすがったり、自分の習慣をいじるのがいやだったり、ただ楽になりたかったり。


火事を見ようとせず、知らせても見ようとせず、ベルをうるさいから消そうとする人は存在する。


大火事になってあわてるのか、そこでココロが変わるのか、あるいは「運命」「年だから」などということで自分の理由をつけていくのか、気付いて何かを変えようとするのか。


すべてはその人が決めること。



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