路線バス(高速バスを含む)だけを使って夫婦で西国三十三所を巡礼しています。
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大垣市奥の細道むすびの地記念館に来ています。
松尾芭蕉は江戸深川を出発して東北、北陸を巡り、ここ大垣で奥の細道の旅を終えています。大垣には親しい友人や門人がいたため、ここを結びの地としたのでしょう。結びの句は
「蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ」
と、親しい人たちとの別れを詠んでいます。旅を終えているのに変ですね。
なぜかと言いますと、芭蕉は大垣の人たちに会い、そのあと伊勢の二見に向けて旅を続けるのです。そこで大垣の人たちとの別れを詠んだわけです。
記念館の向かいは大垣船町川湊。芭蕉はここから桑名へ舟で下りました。まさにここが結びの句の地なのですね。銅像が二体ありますが、一体は芭蕉。もう一体は谷木因(奥の細道の前から親交のあった船問屋)。この二体で芭蕉と大垣の人との別れを現しているのかな。
芭蕉はここから舟に乗りましたが、私はバスで岐阜に向かいます。岐阜方面へのバスは駅前通りを走るので、そちらへ移動しましょう。
大垣市の中心部には芭蕉の句碑がたくさん立っていて、
「ミニ奥の細道」
という散策ルートを形成しています。
左 江戸道
右 京みち
という道標も立っています。
ちなみに大垣は中山道の宿場町ではありません。中山道垂井宿と東海道宮宿を結ぶ、美濃路という脇街道の宿場町です。中山道は大垣市中心部よりも北を通っていまして、市中心部から一番近い中山道の宿場は赤坂宿です。
大垣城ホールというのを発見!
「垣」という字が街路樹にうまく隠れて一瞬「ええっ!」と思いました(何と勘違いしたかは説明しない)。
大垣公園を通り抜けるついでに大垣城の天守も見ました。1936年に国宝指定された天守は1945年の空襲で焼失してしまい、今の天守は戦後再建されたものだそうです。
▲こちらはお城の東門
東門を出て少し東へ歩くと駅前通りなのですが…
昭和の時代そのままの建物が多いですね。
駅前通りの愛称はOKBストリート。OKBとは大垣共立銀行のことです。この通りに面して銀行本店があります。
今週末に大垣まつりが開催されるとのこと。軕(やま)がこの通りを曳行するのでしょう。
バス停に着きました。よく見たらバスの時間まであと1分。危ない、危ない(笑)!
2024年5月8日(水)
岐垣線は「ぎえんせん」と読みます。このあたりでは皆さん読めるのでしょうか。
バスに先客は7人、郭町からの乗車は私1人です。
OKBストリートを南下。OKB大垣共立銀行前というバス停もちゃんとあります(もちろん本店前)。第一地銀で本店が県庁所在地にないケースは全国にいくつかありますが、ここもそれにあたりますね。
バスは寺内町を左折。一本前のバスで通った道です。禾森(バス停は禾ノ森。読みは「のぎのもり」)を左折すると
南頬町というバス停があります。これも難読ですね。読みは「みなみのかわちょう」です。
朝日町を右折し県道31号を東へ進みます。この道は昔の国道21号です。現在の国道21号は市街地の北側を迂回するように通っています。
旧国道にあたるこの道、混んでますね。
揖斐川(揖斐大橋)を渡ると安八町。揖斐川と長良川に挟まれた町です。
ただ、しばらく進むとまた大垣市に入ります。ここは昔の墨俣町。大垣市に接していない墨俣町が大垣市と合併したことで、大垣市の飛び地になっているのです。墨俣と言えば墨俣一夜城で有名ですね。
墨俣バス停で下車します。
「岐阜方面岐阜バスはお乗り換えです」とのアナウンスが流れましたが、乗り換えるのは私だけのようです。
(訪問日 2024/5/8)
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