西日本豪雨の被災地、倉敷市・真備地区にて | 『現場に飛び込み、声なき声を聴く!』 しげとく和彦のブログ

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S45年生れ。衆議院議員候補(愛知12区岡崎・西尾)。元総務省職員。H16年新潟県中越地震で崖崩れ現場からの2歳男児救出に従事。22年愛知県知事選(次点)。H24年に初当選。H26年、H29年無所属で3選。

8月31日と9月1日の2日間、西日本豪雨災害で甚大な被害を受けた倉敷市・真備地区(旧真備町)に入りました。
 
7月7日の豪雨から2か月近く経ち、当初まちじゅうにあふれていたゴミの山はほぼ解消された様子でした。
 
しかし、ほとんどの家屋は、外観はきれいに見えても、内部は泥水で損傷して居住できる状態ではありません。
被災者それぞれが、被災した家屋をリフォームし、住めるかどうかを模索しているような状況です。
 
私たち有志で、ある家屋のボランティア作業をさせていただきました。
土壁の家屋だったので、ものすごい量の泥土が家中に広がっていました。みんなで泥をシャベルで掻き出し、土のうに詰め込み、除去していきました。
 
 
家主の女性の方から、被災時の様子をいろいろ聞けました。(偶然にもこの方は、昔、ご主人の転勤で岡崎に5年間住んでいた方でした(!)。)
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①小田川は、以前(昭和51年)も氾濫したが、被害が甚大だった記憶はなく、今回も同程度だと思っていた。(→これが普通の感覚ですね。「もしかして」という意識を高めることは本当に難しいです。)
 
②災害情報が携帯に入った際、知人が「避難しよう」と声かけてくれたので、クルマで高台に逃れることができた。少し遅れたら、クルマも壊れ、自分も2階からボート救助を求めていただろう。(→一瞬の判断の遅れで、命も失っていたかもしれません。行政の情報提供も大事だが、やはり決め手は、住民同士の声かけですね。)
 
③家財道具はほとんど廃棄した。2階で水を被らなかった家具だけは、「みなし仮設住宅」(民間アパート)に移して保管している。(→水害による個人の経済損失は、本当に深刻です。)
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また、真備支所の職員の方から行政対応の説明をいただきました。
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①今回の浸水被害は、市があらかじめ公表していた「洪水・土砂災害ハザードマップ」とほぼ一致している。浸水域は低いので、堤防決壊した7月7日夜半から、なかなか水が引かず、ポンプで排水した。
→ハザードマップと実際の浸水域が一致するのは、よく考えれば当然のことだと気づかされました。水は高いところから低いところに流れるのが自然の摂理です。真備を東西に貫く小田川(高梁川に流れ込む支流)は、いわゆる「天井川」であり、これが決壊すれば、堤防よりも低い地域はおのずと浸水するわけです。
  
②今回の破堤・決壊の原因は、豪雨で高梁川が増水し、小田川から流入不能(バックウォーター現象)となった水が越水し、破堤・決壊したこと。
→河川の構造的な要因でした。地図を見ると、高梁川への合流部分は、湾曲した狭小なボトルネックとなっており、改修が予定されていたようです。水害対策の土木工事はきわめて重要ですね。私の地元・西尾市では、矢作川と矢作古川の合流部分に「分水工」が完成し、流量のコントロールが可能となりました。
 
③昭和51年にも水害が発生したが、堤防の決壊には至らなかったこともあり、地域住民の危機意識はあまり高くなかった。
→ボランティアに入った家屋の女性が言っていたとおりですね。
 
④真備支所は8月16日から復旧したが、地元の建設業者が被災したこともあり、住民の様々な要望に応える機動力が低下。住民は、日中は復旧作業をしていても、夜間は避難所に移り、ゴーストタウン化しているため、空き巣も発生し、ボランティアの皆さんがパトロールに回っている。
 
⑤避難指示は、深夜の1時半ごろ出されたが、市として夜中の河川の状況把握することは非常に困難なことだった。
→水位計の設置など、職員の少ない夜間でも情報収集できる体制が重要です。特に今回の水害では、ダム放流にあたり、下流域への影響をどう把握し、情報の伝達方法について、大きな課題が残りました。全国各地の水系ごとに、連携体制を良く確認していく必要があります。
 
⑥河川内の樹木が、被害拡大の要因だったのかどうかは要検証。小田川堤防の内側の樹木は、「森」のように繁茂していた。
→被災後、行政が速やかに小田川の樹木をほとんど伐採し、「森」を解消させたそうです。ということは、これを被害拡大要因と捉えてのことではないか??との疑念が地域で起こっているそうです。これも全国各地の河川管理に通じる問題。因果関係をしっかり検証する必要があります。