「神戸が大変なコトに!」

朝いきなりおこされたンでオレが大変だった~がテレビ見て唖然!
すべての映像が信じられなかったが此の日、阪神淡路大震災は起きたのである!

なんとかせなきゃ!


その日の夕方、オレは新宿東口駅の前で、フォークゲリラを行い募金を呼びかけた!
咄嗟の行動だったンで何の準備も出来ずトラメガとギターだけ!
文字通り完全ゲリラの「お前ら募金しろ!」。

それから10日後、オレはニッポン放送のスタッフと車で神戸に向かっていた。
「オールナイトニッポン」を現地神戸で生放送すべく向かったンだが、10日後でも飛行機・電車で神戸に入るコト出来ず状態なのでワゴン車移動となったのだ。

ようやく関西地区に入ったものの主要道路はマダ寸断されてて、裏六甲山と云われるコースから山越えして入るコトに。
しかし此の急コースは慣れてない者にはキツイったら!
カーブに継ぐカーブにドライバーが酔ってしまうンだから~恐るべし裏六甲山だった!

東京から11時間かかってようやく神戸に到着したときは~スタッフらと喜び合った!
が 、そこからが“地獄”の始まりだった!

なにせ大都会に明かりがなく真っ暗なのだ!
信号がマッタク点滅してない道路を行くのは怖いったら。
暗がりの道路をくリュックサック背負った多くの人々が往く姿は、まるで“戦争”でも起きてるのかのようだった!
行けば行くほど、各家が倒壊してて、駅前のデパートビルが形を成さず状態!
横倒しになった雑居ビルの先には行けず、車から降りて歩いて神戸の放送局へ。

放送局も半壊してて、崩れた破片をぬってのスタジオ入り。
迎えてくれた神戸放送局のスタッフらも、17日以来風呂にも入れず頭フケだらけにして不眠不休の活動をしてるのだった。

生放送を行うスタジオそのものの強度ガラスも割れ、分厚いスタジオ扉も曲がってるのだから相当の地震だったのだよ。

“暖房”なんて贅沢いってられない凍てつくスタジオ内で泉谷のオールナイトニッポン生放送スタート!

しかし、始まってスグに災害で亡くなられた方々の名前を読み上げるコトに!

しかも時間経過と共に死亡者報告次々と入り、オレのカラダは冷え込むばかり!
それでも生電話で九死に一生した方々とのやりとりで逆に励まされる形となり、よおし!夏にはメリケンパークでフリーコンサートやったる!と約束した。
そして多くのミュージシャンの協力を得て、震災の年の夏、メリケンパークライブを実現できたのである!

それにしても2時間間の生放送中、余震が来たらいつ崩れてもおかしくないスタジオで、よくまぁ放送させたもんだよ!(笑)
こんな経験は自分の人生の中で初めてのコトだったので~此の日が来るたびに蘇ってしまうぜ。

放送終わって再び“爆心地”へ!
暗い瓦礫の道に、なにやら小さき白いものがユラユラしてる。
よく見ると、ちぎれた電線に当たらないように~と、電線の先っぽに白い紙をつけてくれてるのである。
生き残った住民の方々が協力し助け合ってる姿に泣けてしまったよ。

お調子こいて朝まで破壊された世界を彷徨いてたら風邪ひいた。
思ったより寒い神戸であったが、瓦礫から上がってくる粉塵に、目も喉もヤラれたか熱下がらずヒドイことに!
戻ってすぐレコーディングだったが数日のばしただけで発熱したまま歌うハメに(笑)。

大阪に戻る車の窓から見るモノは、何キロにも及ぶ倒壊したままの街!
行けども行けども瓦礫の道だった。
それを見ながらオレは「必ず戻ってやる!」とライブするコトを決意したのだった!


あれから15年か。

まだ歴史の1ページになるコトはない。


泉谷しげる