血の系譜 (どたキャン)
明日に備え、眠らなければいけない時間になっても三木助は帰っても来ないし、電話にも出ない。
それも毎度の事なので、さしたる心配もしていなかった。
寝る前にまた 『明日は博多だから、必ず帰って来てね』 と留守電を入れた。
24時間私は携帯電話を切らず、眠る時も枕元に置いていた。光る物体事件から私はいつでも、連絡取れるように携帯電話のスイッチを切らなかった。
夜中になっても、三木助は帰って来ないどころか、電話も依然留守電だった。
その留守電に何度も 『連絡して下さい』 と呼びかけた。
眠れないないまま、博多行きの朝を迎えた。
空港に行けば会えるかもしれない、空港で平気な顔して
『姉貴、悪かったな』
と言ってくれるかもしれない。しかし居なかったらと考えて…林家たい平さんに、取り急ぎ訳を話して代演をお願いした。
空港に三木助の姿はなかった。携帯電話も通じなかった。
私は博多に着いてからも三木助の携帯電話に何度となく連絡をしたが
『ただ今~』と冷たく電話は留守電となる。
博多のホテルには 『桂三木助急病につき…』 と貼られ、せめて夜の部だけでも!という私の願いは留守番電話の音声に遮られる。
休憩の間、身の置き所なく携帯電話を持つ私に歌丸師匠達が気付かって下さるが、私には 『何故、連絡が取れないのか』 わからなかった。
多少時間にルーズで遅刻はあっても、どたキャンはなかった。
具合が悪いなら、具合が悪いと連絡して来る筈だった。
私はぽつりと
『来る時飛行機落ちれば良いと思った』
と言うと、歌丸師匠が
『止せやい~俺達も乗ってたんだぞー。芸人なんだから、あるってみんな~忘れちまった!なんて事はさ』
と声をかけてくれたが応えられなかった。
帰りは皆さん打ち上げがあり泊まりになっていたが、たい平さんは私に付き添ってくれて日帰りで羽田空港に着いた。
これ以上、たい平さんに迷惑をかけられないので私は、たい平さんに御礼を言ってタクシーに乗り込んだ。
これを最期に二度と羽田空港から三木助と一緒に長年見慣れた夜景を見る事が無くなるとは思いもしなかった。