いつも書いていることだが

僕はテレビを持たない

新聞も見ない

NETのニュースも滅多に見ない

ニュースはフィルターを通されている

とりわけ外伝

日本のメディアが流す海外のニュースは

全てAPUPI、ロイターなどの通信社から頂いたものを

翻訳しているにすぎないのが現実

だから、海外の情報は事実(それさえ本当かわからない)だけ受け取り

解説は聞かない方がいいだろう

解説さえも「事実」と思わせられる可能性が高い

前にも書いたが

僕は「事件」を人から聞いて

興味がある時だけ

「ロシアの声」のサイトを訪れる

 

112日の記事を見てみる

テロとの戦いに連帯 世界各国首脳パリでの行進に参加

世界共同体は、テロリズムとの戦いへの連帯を身を持って示した。

日曜日フランスの様々な都市では「テロリズムに反対する行進」が行われ、

300万人以上が通りに繰り出した。

フランスの指導者以外にも、このデモ行進には、およそ50の国々の代表も加わった。

 反テロリズム行進には、政治信条や属する民族、信じる宗教を越えてフランスのあらゆる層の人々が参加した。

ドイツの メルケル首相、英国のキャメロン首相、イタリアのレンツィ首相、イスラエルのネタニヤフ首相、パレスチナ自治政府のアッバース大統領、ロシアからはラヴロ フ外相など、様々な国々の指導者、政府高官らも、フランスの人々を支持するため、パリに集まった。

(中略)

ここで指摘しておきたい事は、

ロシアには、宗教感情を侮蔑する事を禁止する法律が存在するが、

フランスにはそうしたものはない

という点です。

なぜならフランスでは、言論の自由とはそういうものだと受入れられているからです。

つまり私は自由だ、だから誰を侮蔑しても構わない、というわけです。

一方ロシアでは、私は自由だという代わりに、誰にも私を侮辱したり、平手打ちしたりする権利がありません。

  フランスでの平和行進は、フランス人自身も又様々な国の人々も、テロという共通の脅威に対し一致して立ち向かう心積もりがある事を示した。重要なのは、テロとの戦いが、世界のどこでも通用する普遍的なものになるようにする事である。パリでの事件は一致して、テロと受け止められ、無条件で非難された。

しかし、パリばかりでなく、シリアでも毎日人々が亡くなっているし、ナイジェリアでは人質拉致事件が起き、ウクライナでは平和的に暮らす一般住民が銃撃・砲撃されている。

こうした悲劇に対しては、国際社会は、パリでの場合ほどの強い反応を示さない。

 国連の潘基文事務総長は、パリでの行進を支持する一方で、国際社会に対し、あらゆる形をしたテロリズムとの戦いにこれまでに倍するエネルギーを費やすよう求めた。

 世界の指導者達が、地球のある地域の無法や混乱に目をつぶっている状態のまま、他の地域の人々が静かに眠る事などできない。なぜなら、テロリズムには、国境などないからだ。
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いかがだろう

これが、僕らが“悪”と思っている(思わせられている)ロシアの報道だ

極めて「健全」で「公平」な報道だと、僕は思う

しかし、「歴史家」を自称する僕は、もっと奥を読む


1988年イギリスの作家サルマン・ラシュディ氏が「悪魔の詩」なる小説の中で

ムハンマドを侮辱したとし、文字通り大騒ぎとなり

世界中の耳目を集めた

そして、1989214日、イランの最高指導者ホメイニ師はラシュディ氏及び、発行に係わった者などに対し死刑宣告したのだ。

ラシュディはイギリス警察に厳重に保護された。

日本ではサルマンラシュディの小説「悪魔の詩」を翻訳した、

五十嵐一助教授が1991年7月11日に筑波大学のエレベーターホールで刺殺された

 他の外国語翻訳者も狙われたイタリアやノルゥエーでは訳者が何者かに襲われ重傷を負う事件が起こった。

1993年、トルコ語翻訳者の集会が襲撃され、37人が死亡した。

 

イスラムの信仰は恐ろしい、と誰もが思ったが

イスラム教徒にとって「信仰」は絶対なのだ

それを愚弄されたり、今回のように新聞の風刺画「冒涜」されるのは

たまらなかったに違いない

 

今回の事件についてはイスラム教徒を刺激し、第三次世界大戦をもくらむ勢力がいる

などと物騒な見方をする向きもある

それはどうかわからないが

イスラム教徒を刺激する意図があったことは間違いない

上に紹介した、
「世界各国首脳パリでの行進に参加」は異常と感じなければならない


僕らは、少なくとも

「公平なものの見方」

「人の信仰に対する配慮」を、

一方的な報道の「解説」「空気」に惑わされず

「報道の自由」なるものについて、もう一度考え直す必要があるだろう