ふだんの生活のなかでもわび、さびに触れる時間をもつ。現代人にはとても大切なことではないでしょうか。人の一日のスケジュールはだいたい決まっているものです。夕方までは仕事がその中心になりますし、仕事が終わってからも同じようなことをして過ごしているという人が多いのだと思います。

 晩酌をしながら夕食をとり、テレビを観たり、音楽を聴いたりしたあと、就寝するといったものが、いわば「お定まり」のパターンになっている。

 その定型を崩しませんか。ときにはベランダでも庭でもいいですから、戸外に出てひとときを過ごすのです。月をだだボーッと眺めるというのでもいいのです。できれば、満月ではなく、雲がかかっている月、欠けている月がおすすめです。

 先に紹介した村田珠光は次のような文言を残しています。

「月も雲間のなきは嫌にて候」

 月も満月はつまらない。やはり、雲の間に見え隠れする月にかぎる、といった意味でしょう。珠光は前述したように千利休のわび茶の流れをつくった人です。見え隠れする月にわび、さびの美しさがある、と考えていたことは疑いを入れません。

 雲間に光る月、満月から徐々にかけていく月を眺めることは、まさしく、わび、さびの美に触れることなのです。もちろん、それはお定まりの日常を変化させますし、日々に新たな味わいを添えてくれることにもなるでしょう。

 秋には虫の声も聞こえるでしょう。美しい音を響かせてくれていた鈴虫が思わぬところで鳴くのをやめる。そこで、「なんだ、もっと聞いていたかったのに…」とは思わないでください。こちらの思いとはかかわりなく、聞こえたり、聞こえなくなったりする、その不確実さにわび、さびの風趣があるのです。

 風が花びらや紅葉の葉を散らすのも、雲がわずかずつ降り積んでいくのも、わび、さびの美しさといっていいでしょう。四季を通してわび、さびを味わうことはできます。ぜひ、定型を捨て、外に出ましょう。