今さらカルチャーギャップ

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中国は日本人のスケールでは測れません。
基本的に他人を信用しない社会というのは日常の考え方や言動、行動も変えてしまいます。日本から行ったり来たりしていると何年たっても相容れず戸惑うことが多いです。歴史的にも関わりの深い同じアジアの国同士ですが長くいればいるほどそのカルチャーギャップは鮮明に感じられます。
先日安倍首相が北京を訪問し中国の代表らと会談を行った。最近急に訪れた感じの日中関係回復のムード。これを機に民間のビジネス界、公的機関も含め一気にあらゆる日中共同プロジェクトに動き出している傾向を感じる。最近私のところにもいくつかの日中共同プロジェクトのオファーや問い合わせがあるしこれは今後も加速していくと思われる。
中国では時勢を読みここぞと思ったら一気に動き出すことがとても大事で成功している人達は皆はその能力を持っているように思う。
ビジネスにせよ文化交流にせよ日中の共同作業が正常に円滑に進んでいくことを心から願う。

TVドラマ“地道英雄”戦争を題材とした映画には爆破シーンがつきものだ。中国の火薬を使うシーンは厳重に安全確認していないのでとてもとても危険だ。爆薬の位置を知らされないまま本番になって行進せねばならなかったり、火薬の量がやたら多すぎたり、エキストラさんや野次馬などの扱いはほとんど無頓着なので自分の身は自分で守らないと大変なことになる。このドラマでも僕が拳銃で撃たれるシーンで火薬が使われたが弾着を仕掛ける位置が顔に近すぎて僕は頬を切り真冬の零下10℃の中で流血した。顔はやめてくれよ、と思いながらちょっとせつなくなった。翌日別のシーンで会った女優さんも同じように首筋に怪我を負っていた。美しい女優さんでさえこの扱いならしかたがないかな、としてはいけない納得をしてしまった。

 

安いからという理由で安い土地でよく撮影が行われる。もちろん安いからにはそれなりの理由もあるように思う。ここの場合は偶然にも一年に別の撮影で2回来たことがある。周囲は貧しそうな農家で弁当を食べているそばから付近の住民が寄ってきて洗面器やバケツを置いて残飯を入れてくれと言ってくる、どうやらもらった残飯を家畜に与えるらしい。そんな人が飯時になると何人も出てくる。付近でよく目にした家畜は犬、鶏、ヤギ、牛などだが、この面々の存在があなどれない。しょうもないNGが頻発するからである。緊張したシーンでヤギが走りこんできたり、牛がのんびりと鳴いてしまって撮り直しということも少なくない。その他さまざまのしょうもないNGがあるが(線路の近くになぜか撮影所があり列車の通過待ちで幾度となく撮影が中断したこともある)、せっかくいい画が撮れてもまた撮り直しになったり時間が無意味に流れて日が暮れてしまったりしては結局不合理だと思うのだが、中国には往々にして一見合理的にみえることが却ってあだになり本末転倒ということも多い気がする。左の写真の前にベースを張ることが何回かあり牛の糞尿に包まれて飯を食うのも複雑な気分でありとてもやるせない。子ヤギがお母さんヤギにくっついて走る姿はとてもカワイイ、それでNGがでても彼らには何の罪もない、誰も止めていないのが不思議なのだが、よくあることだ。

 

 

付近のおじさんがモニターをのぞきこむ。現場には1日何もせずウロウロしている人が何人もいる、ギャラリーを装ったドロボーもいるので荷物は注意しなければならない、万が一盗られても誰も何もしてくれない。

ちなみにこのおじさんは賢い。ある日現場をウロウロされて、カメラに映ってしまうので助監督が映ってしまうからあっちへ行ってくれ、と言っても分からない様子で動こうとしない。困った助監督は駆け寄ってタバコを1本渡すとそのおじさんは急にものわかりが良くなりそそくさと去って行った。それからと言うもの毎日現場に来てフレームインしてはタバコを1本もらって帰っていくのだ。

 

メイクさんと。戦争もののメイクさんはとても大変な仕事だと思う。現場はオープンロケだし、気候は厳しいし、時間は長いし、トイレもないところで毎日重たい荷物を持って歩かなければならない。それでも笑顔を絶やさない彼女達には精神的にとても救われる。彼女はほとんど毎日僕のひげをつけては取ってくれたメイクさん。ゴミをむやみにその辺に捨てたりしないし給食の列も守る彼女は国外に行ったこともないのに国際的マナーを知っているきがする、外国人でもとても付き合いやすい。国際的感覚を持っているかどうかは単に外国に行ったことがあるとか外国語やしゃべれるなんて関係ないと思う。

 

 

寒い、寒い、寒い。現場で出番待ちの間役者自ら火をおこし暖をとる。自分の身は自分で守らねばならい。一度体調を崩し熱を出しながら現場に出たが、待ち時間があまりにも長いので近くの撮影部用のバスで仮眠をとった、これだけでも大分楽になった。なんとかその日は乗り切れた。

 

地下道を舞台にしたストーリーなので必然的に地下道内でのシーンが多くなる。いつも空気がよどんでいて埃っぽくスタッフは常にマスクをしている。無作為に撮った写真だがおびただしい数の白い玉の形をしたものが写る。これはホコリやチリなど技術的な原因なのかもしれないが、ある人はこれは“たまゆら”と言って一説に死者の魂が写っているとも聞いたことがある、だが決して怨念めいたものでなくむしろそこにいる人に親しみを持っている魂という。この写真を見た瞬間僕はそのあまりの数の多さに思わず声をあげた。僕が中国で出演する作品のほとんどが戦争を背景としたものであり、一旦撮影に入ると当時は敵も味方も含めきっと多くの人が悲惨な状況で亡くなっていたのだろうなとよく考える、彼らは僕をどうみているのだろうとよく考えたりする。その度に厳粛な気持ちになる。

 

 

日本と言えば寿司、芸妓、着物。無理やりにでもそんなエッセンスは入れたいらしい。これはハリウッドを含め全世界共通か。しかしながら日本人が中国人役の俳優に人民服を着せ“~~ナイアルヨ”と言わせたいのも似たようなものかもしれない。

北京での衣装の採寸の際“着物持っているのなら持ってきて!”と中国の衣装さんは本当に安易にこんなことを言ってくる。僕は日本舞踊をやっているので着物は持っているが大事な着物を持ち出すのは御免だった。劣悪な環境で着なきゃいけないのは目に見えているし、第一荷物になってしょうがない。それでも着るのであればちゃんとしたものを着たいのでアドバイスしましょうかと言えば、必要ないという。中国のスタッフは各部門のトップの人一人以外はモチベーションが極端に低い、多くのスタッフは別にいい作品を作ろうなどとはほとんど思っておらず、自分の仕事に対する責任感もプライドもない。怒られない程度に、給料のもらえる範囲のことをすればいいのであって余計な仕事などもっての他なのだ、という印象を受ける。着物を着るシーンの前日衣装部屋に翌日着る衣装を見せてもらいに行った。幸い衣装部のトップの女性がいて一緒に選ばせてもらった。彼女とて着物の知識もないし帯も結べないので、僕の意見をよく聞いてくれた。これだけでも本当にありがたい。写真は何十着もある着物みたいなものの中から唯一なんとか着れるものだ、帯は前の晩にそれらしくあつらえてもらったものだ。肌着もらしきもので袖の部分がやたら大きく少しはみ出てしまったが、おそらくこれでもかなりまともな方だったと思う。

 

 

18歳の大・小道具さん(中国では大道具小道具は同じ部門であることが多い)、彼は棟梁の息子さんだったが、撮影隊がA班B班に分かれてからは彼がB班の道具係のリーダーだった。彼は僕が常用していない銃のホルダーを持ってくる、“これは僕のものではない、別のを持って来てくれ”と言うと同じだから大丈夫だ、みたいなことを言うのだが僕からみればあきらかに違うのでやっぱりアレの方がいいというと、渋々すでに渡してしまっているところから取り替えて持って来てくれる。僕は少しオーバーなくらい“謝謝、謝謝”を繰り返す。この全く同じやりとりがほとんど毎日繰り返される、面倒なので自分から選びに行くこともよくあった。ちなみにこんなやり取りは何も銃のホルダーに限ったことでなく、他の小道具一切についても言えることだ。

 

当日現場入りして突然セリフが変わったと手書きのセリフを渡されて不機嫌、というか途方に暮れている私。当然渡された紙はすべて中国語で書かれており、いったいコレ誰が訳すんですか?私ですか、それは私の仕事ですか、翻訳担当でもない私が訳して一体だれが責任をとるんですか?あなたですか?とまくしたてたところで埒があかないことはわかっていたが、それでも言うだけは言う、言わねばならないと思っている。これには訳がある。この作品においてはきちんと組が報酬を払っている翻訳担当がいた、だが代理人を通じて私に送られてくる翻訳は僕の出番のものでなかったり、もう送られてくるより前にすでに撮影が終了しているものがほとんどで、ほとんど使い物にならなかった、組はあらゆるところで出費をケチる癖にこんな不合理な無駄遣いを結構する。結果私達日本人俳優は自ら翻訳せねばならなかった。僕はこの状況は改善すべきだと思っている。役者は役者の契約以外していないのであって、これらの作業はすべてなあなあでやり過ごしているのもおかしいし、個人の負担もさることながら(特に私の中国語力は他の人たちに比べて劣るのでその負担はさらに大きい)、個人個人が自由に訳したのではかみ合わない部分も当然でてくるのだ。考えて見てほしい、ただでさえ脚本は自転車操業的にあがってきて時間の制約もある上に、まず翻訳を本人がして、それから暗唱、演技プランなどのプロセスがあるのだ。役の比重が大きければ大きいほどこの負担も大きくなる。別の話で、ある中国人大物監督から招聘された有名日本人俳優が急にセリフを変えられたため1日ホテルから出てこなかったという話を聞いたことがある。ことの詳細は知らないので何とも言えないが、責任を持って自分の役を演じたいと思えば不十分な準備段階で極力本番には臨みたくないと思うのは自然だと思う。それでも私がこの作品で唯一感情を荒げたのはこの一幕のみで自分が騒いだところでどうなるものでもないとは思ったが、素直に不満だったのと、ある程度自分の意思表示をしておのは何もしないよりいいと思ったからだ。さもないと相手のことも考えず思いつきのごとく無理難題を迫ってくる輩が多いので、どこまでもつけ込まれかねないからだ。(かと言って私のこんな行動がどこまで効果があるかは甚だ疑問だが^^)

 

 

幼馴染の日本の友人がやっと結婚した。今まさに東京の六本木で出席者10人にも満たないささやかな披露宴がおこなわれている。僕は時間が許せば当日でも帰国して出席するつもりでいたが、それは叶わなかった。帰国できないことは十分予想されたので彼の為に作った自作の“朋友~My friend”という曲を送っておいた。写真はその披露宴の真最中でお祝いの電話をかけているところ。この日はすべてのシーンに出演せねばならず束の間の移動時間にやっと電話できた。中国の電波事情はとても良い、今までこんな山奥の現場でも電話がつながらなかったことはない。

 

 

何もなかった荒野に瞬く間に日本軍の基地ができあがった。中国の美術部さんはスゴイ。マンパワーもさることながらこれが大陸の底力か。北京オリンピックを始め“やる時はやってしまう”と言われる所以がそこにある気がする。

これと同じような司令部がもう一つ設けられそこにはこの手前にあるよりももっと高い4階建ての塔がありその高さ15メートルはあろうかという屋上から僕は最後に撃たれて落下する。夜のシーンで何も背景が映るわけじゃなし、何も本当にそこで撮る必要もないとは思うのだが演技の段取りとしてこの高層階の屋上で“撃たれた後に後ずさりして背中から壁にぶつかって上半身外に投げ出してくれ、大丈夫!壁際でスタッフが左右から渋谷の足を抱えるから”と言われたが、危険すぎるだろう。。。

万が一勢いあまって落ちたら、万が一スタッフが僕の足を抱え損ねたら、、、命ないだろう。。。高さ15メートル後ろ向きに落ちて受け身とる自信ないぞ。“ハイじゃあ、弾着の代えがないから一発勝負で”と淡々とアクション担当が言う。

 

 

現場はかなり埃っぽい。マスクはいつも携帯しているがほっぺにゴムの跡ができるのを心配してあまり使わない。その代りのど飴をよく舐めるか水分をよくとるようにしている。ウィルスや菌などを吸い込む気がしてあまり気が進まないのだが割り切ってそうしている。喉を乾かすと風邪をひきやすいことに気がついたからだ。中国では(多分北方で)よく白湯を飲む。乾燥した大地にさらされた人体にはこれがよく効く。だがら制作部の不手際で現場にお湯や水がない時は結構キツイ。

 

 

今まで自分より顔の小さい中国人男優に出会ったことがない。

 

現場は常に流動的。意見があれば言ってみる、自らアイデアを出し採用されることもあればされないこともある。十に一つでも採用されればいいと思っている。左は第二監督で右が僕。真中は進行助監督で現場を仕切っているのだが、ある時何気なく振り返ると生のサツマイモをかじりながら“よーい、スタート!”と言っているのを見てスゲーと思う、彼が叫んでいる時見ていたのは芝居ではなくサツマイモの皮がきれいに剥けているかどうかだった。この現場ではいろんな人がいろんなものを食べていた。瓜子と呼ばれるヒマワリなどの種をこなれたしぐさで歯で殻を割りながら食べる人、その他お菓子、果物、カップ麺。またそれに乗じて付近の農民が商魂たくましく即席販売員になってゆでたトウモロコシや焼き芋を売りに来る。きちんとしたゴミ捨て場がないので(もしくはその辺に放る人が多いので)あたりは食べカスだらけだったりする。

 

山東省のある撮影所の中に共産党の記念館があった。夜の撮影でそこを待機場所として使わせてもらっていた。ある助監督が“おい天馬、あっちに日本軍の展示があるぞ見に行ってみろよ、出番になったら呼んであげるから”と言われ見に行ってみる。地方のこのような施設で大した展示があるわけではないのだが大体第二次大戦で日本軍と戦った共産党の功績が讃えられているようなものだった。離れの個室に日本軍の騎馬隊の備品、軍刀、地図などが展示してある。当時の生々しい写真の数々。仲良しのメイクさんが隣にいて“天馬、これ見てどんな気持ち?”と聞いてきた。意地悪で聞いている様子でもないので正直に思うところを話した。彼女はほんの少し微笑んだ様子でうなずいた

 

日本人の部屋と言えば“畳”というわけでゴザに黒いガムテープを張って畳のできあがり。彼らスタッフ全員靴を脱ぐ習慣などないので土足でずかずか入りこむ。畳は全く汚れてしまっているが、そこに几帳面に畳(に見立てたもの)の際に立っている私は滑稽にさえ映る。自分でもそう思う。

 

撮影終了(中国語で“殺青:シャーチン”という、今ではなんと心地良い響き)も間近になりリラックスムードが漂う。一緒に写真を撮ってくれと言うと“じゃあ帽子を交換して撮ろう”と言ってくれた第二監督のバオさん 。

 

中国で著名な丁監督。俳優にとって優秀な監督と仕事をさせてもらうのは幸運なことだ。

実は当時、ブログのように発表しようと思っていながらあっという間に時を経てこれらのエピソードは昔話になってしまいました。今更とも思いながら私が中国に渡った2006年から2009年までのいくつかの出演作品を通しての簡単なエッセイがあったのでここに記しておきます。現在は2018年ですからあれから12年の歳月がたってしまいました。この間中国はオリンピックを経験し急速な経済発展を続けており、それぞれの環境や人の変化は信じられないくらい著しいものとなっております。一体現代の中国を誰か正確に予想できたでしょう。。また映画産業の規模は今やもうアメリカを追い越す勢いです。間違えなく中国の撮影環境やスタッフのモチベーションも向上しています。という訳でもちろん所によっては未だ似たような状況に出くわす場合も大いにありうるかもと思いつつも、必ずしもここに書かれてある10年以上前の撮影の状況と現在の中国の撮影環境とは一致しないことを先に申し上げておきます。ちなみに私自身も基本的なスタンスは変わってはいいないものの、この12年多くを経験し、多くを諦め、多くのことに気づき、そして多くのことを思い、今はまた新たな将来をみつめています。

 

2018年、中国映画「Air Strike」 メル・ギブソンアートディレクター、ブルース・ウィリス、リウ・イエ、ソン・スンホン、渋谷天馬出演。

 

 

 

 

TVドラマ 生死線(2009年撮影)、2007年に大ヒットしたTVドラマの監督と脚本家が組んで製作された作品。ドラマは日本では考えられないが約50話もあり半年以上かけて撮った作品。僕はそのうちの4話に出演しているがもう一本のドラマ“地道英雄”と掛け持ちで撮ったためスケジュールの調整に苦労した。中国で、しかもマネージャーを持たず仕事する時に一番困るのは実はスケジュールや待遇など撮影以外の交渉事だ、現在までなんで自分がやれているのかわからない。僕の知る限りたった2年しか中国におらずどこにも所属せずに僕ほどやれている日本人俳優はいない。 言語能力も十分でないのに。中国ではこの芝居以外の苦労が多々多々ある、これを言葉能力も滞在歴もない外国人が一人でやろうとするのは本当に厳しい。この時の掛け持ち撮影(業界用語では“串戯”)は山東省イーナンから江西省の景徳鎮まで片道30時間、長距離バス、タクシー、飛行機、バス、バイクタクシー、長距離バス、タクシー、送迎車を乗りついでやっと山奥のホテルへ到着。そこで2泊して、実際雨で1,5日撮影が流れて半日だけ撮影してまた山東省へ戻る、そんなことを何度か繰り返した。スケジュール管理は実はある代理人に任せていたのだが彼が何一つ動いてくれなかったため一人でやらざるを得なかった。どちらの組も撮影スケジュールもはっきりしていないのに自分の要求だけ突き付けてくる、実際それは組の要求ではなく、役者を前もって確保しておいた方が安心なため担当者の自己保身のためである場合が多い。

 

 

中国で初めて軍人ではない役をやる。実際それほどの能力をもたない建築設計師が中国の日本軍飛行場建設のためにやってくる。技術がないので上官の要求に答えられないがそれを正直に言えるはずもない。その折捕虜の中に建築技術の知識をもつ優秀な青年を見つける。僕が扮する渡辺は権力をふりかざして強制的にこの青年に協力をせまる。渡辺は全編この主役の青年をいじめぬく厭味でいやな奴だったが、僕の最後のシーンを撮る前の晩に監督が急きょ脚本を書き換えた。

“私だって本当は戦争なんて大っ嫌いだ”これが渡辺の最後のセリフだ。スタッフが監督が僕の仕事を気に入ってくれてキャラクターを変えたのだと教えてくれた。これにはとても驚いたが素直にうれしかった。実際僕の出番は多くはないが劇中に出てくる日本人の中には誰一人善良な日本人は出てこない設定だったので、とても印象深い人物になったと思う。実際ほかの現場で会ったスタッフや一般視聴者からのコメントでよくこのドラマのこの役は印象深かった、感動したなどと言っていただけるのは有難かった。写真は飛行場建設にともない焼却炉を造れと命令されその建設状況を監察しているところ。その焼却炉を使って駐屯地にお風呂を造ってしまうという展開。

 

もう一つ中国らしいエピソードがある。今作品で撮影に入る前、セリフは日本語でいい、たまに中国語の単語を挿入する程度でOK、もう監督にも話してあるからと言われていた。僕はそれを真に受けて日本語のセリフを移動中に入れて準備していたのだが、いざ現場でこれから本番という段になって監督は“NONONO、全部中国語でやる”と言う。僕は顔が蒼ざめた、中国では本当に安心してはダメだ、あまりに無防備すぎる、気を抜いてないつもりでもたまにガツンとやられる。怒りより、失望感より、もうすぐ“用意、スタート!”がかかる今この場をどうやって切り抜けるかを必死に考えていた。

 

 

 

中国の若手演技派俳優として絶大な人気を誇るジャン・イー君と僕。僕の出演するシーンはほとんど彼とのカラみだ。二人で読み合わせをしたりアイデアを出し合ったり、お互いアドリブも掛け合えるので大変楽しくやらせてもらった。実はこの劇中の中では僕はかなりオーバーアクションで演技している、自分の求める演技スタイルではないが今までやっていないことを試してみたかったのだ、現場では監督以下スタッフもよく笑ってくれた(僕がバカっぽいからである)。

 

 

 

 

 

 

実は当時、ブログのように発表しようと思っていながらあっという間に時を経てこれらのエピソードは昔話になってしまいました。今更とも思いながら私が中国に渡った2006年から2009年までのいくつかの出演作品を通しての簡単なエッセイがあったのでここに記しておきます。現在は2018年ですからあれから12年の歳月がたってしまいました。この間中国はオリンピックを経験し急速な経済発展を続けており、それぞれの環境や人の変化は信じられないくらい著しいものとなっております。一体現代の中国を誰か正確に予想できたでしょう。。また映画産業の規模は今やもうアメリカを追い越す勢いです。間違えなく中国の撮影環境やスタッフのモチベーションも向上しています。という訳でもちろん所によっては未だ似たような状況に出くわす場合も大いにありうるかもと思いつつも、必ずしもここに書かれてある10年以上前の撮影の状況と現在の中国の撮影環境とは一致しないことを先に申し上げておきます。ちなみに私自身も基本的なスタンスは変わってはいいないものの、この12年多くを経験し、多くを諦め、多くのことに気づき、そして多くのことを思い、今はまた新たな将来をみつめています。

 

2018年、中国映画「Air Strike」 メル・ギブソンアートディレクター、ブルース・ウィリス、リウ・イエ、ソン・スンホン、渋谷天馬出演。

 

 

映画“イップマン序章(葉問)”この映画では香港スターが勢ぞろい。中央がその一人のラム・カートンさん、彼はプロの役者として尊敬に値する人物だ。たまたまオフの時間をほとんど一緒に過ごしていたため親交を深めることができた、彼の役者としてのスタンスや芝居の方向性など僕と共通するものは多く一緒にいて精神的にとても救われた。彼は僕の大親友になった。右は三浦将軍役を演じた池内博之さん。

 

サモ・ハン・キンポ氏は香港映画界では神のような存在だ。この映画ではアクション監督を務めていたが、それ以外現場での演出も鋭く、とてつもない経験の深さととても能力のある人だということはすぐに見て取れた。実は監督が全編を通じて僕に対してオーバーアクションの要求が多いのに対し、サモハンさんの演出はもっと内に込めた心情表現を好むように思えた、僕もそちらの方がやり易かった。もうデブゴンさんなどとは呼べなくなった。

 

この映画の主演ドニー・イェンさん。中華圏ではジャッキー・チェン、ジェット・リーに次ぐアクションスター。彼は英語も堪能で現場で僕は彼と英語でコミュニケーションをとっていた。役者が武道家を演じているのではなく武道家が役者をやっているのだと思った。ちなみに劇中で何度か殴られたことがあったが、完全に力を抜いてもらっていることはわかっていたがそれでも十分に痛かった。こんなカットはリハーサルもなしでいってもらいたい。

 

以前俳優だった言うウィルソン・イップ監督、男前だ。香港映画はほとんど現場で相談しながら撮っていく。話の展開などは監督、プロデューサー、役者、脚本家が毎日のように相談していて決まっていくからこの先自分の役が何を考えどんな行動をとるのかわからない。僕のほとんどの仕事はいかに自分の演じる人物に整合性やリアリティを持たせるかだった。時折予想もしていなかった演出やセリフを急に現場で与えられるのでそれに整合性をもたせるのは大変だった、じっくり考えている暇などないし、撮ってしまったらそれっきりなのだ。また撮り方がそれだけ柔軟なので自分の役が広がるかどうかも撮影しながら決まっていく。例えば僕がこの映画で監督に好かれていなければ僕のシーンや演出はもっと削られていただろうし、逆にもっと気に入られていれば僕の出番はもっと増えていたはずだ。とりあえず、いい悪いは別にして、その時その場で僕はやれるだけのことはやった。違うように演じるのは可能でもあれ以上のものは出せない。この映画に限らずいつもそんなスタンスで仕事しているつもりだ。役者としてはあさましい言い訳かもしれないが一つの作品が完成する過程には現場の情況もふくめ様々な事情がありすべて理由があってソノように仕上がっているのだ。観客は知る必要もないことだが完成品だけみて演技や演出をあれこれ役者について言われても本当はたくさんいいわけがあるのだ。

 

(ちなみに同じ環境で撮影していても役者の演技の優劣が出るのは、その役者個人の底力に起因すると思う、特に中国や香港では即興性、柔軟性が必要とされるのでそこでは経験や実力だけがモノを言う。もちろん難しい環境で演技の最高点をだすことはできないが底力のある俳優は限られた条件下でも創造性や個性などを発揮しある程度の合格点をたたきだすことができるのだ。)

 

写真のこの日“監督それ日本語のTシャツですね”と言うと返ってきた言葉は“そうだ、ところでコレなんて書いてあるんだ?”だって。

 

2008年クリスマスから09年2月中国、韓国、タイ、インドネシア、マレーシア、ニュージーランドなどで上映され大ヒットした映画“葉問”。カンフー映画には絶対的なヒーローが必須であり、それが今回の実在した主人公、葉問、ブルース・リーの師匠だ。またヒーローには宿敵がいなければ成立しない、それが日本から参加した池内博之さん演じる三浦将軍だ。ところがこの三浦将軍が武術の達人として正統派として描かれているため、すべての悪は僕の演じる三浦将軍の部下“佐藤主任”に一任されている。僕はこの大ヒットしたお正月映画の唯一の憎まれ役になり、その結果中国全土で憎悪の対象となった。現在ではこの映画を見たと言って世界の国々から僕の中国のブログにアクセスをいただいている。昔から世界で配給するような映画に出てみたいと思っていたが実際今回そうなってみるとこれと言ってなんの感慨もなかった。

おそらくそこにたどりつくまでにあらゆる現実に直面し手放しに喜べない要素があるからだろう。僕はいつも今を生き抜くので精一杯だ。

 

実は当時、ブログのように発表しようと思っていながらあっという間に時を経てこれらのエピソードは昔話になってしまいました。今更とも思いながら私が中国に渡った2006年から2009年までのいくつかの出演作品を通しての簡単なエッセイがあったのでここに記しておきます。現在は2018年ですからあれから12年の歳月がたってしまいました。この間中国はオリンピックを経験し急速な経済発展を続けており、それぞれの環境や人の変化は信じられないくらい著しいものとなっております。一体現代の中国を誰か正確に予想できたでしょう。。また映画産業の規模は今やもうアメリカを追い越す勢いです。間違えなく中国の撮影環境やスタッフのモチベーションも向上しています。という訳でもちろん所によっては未だ似たような状況に出くわす場合も大いにありうるかもと思いつつも、必ずしもここに書かれてある10年以上前の撮影の状況と現在の中国の撮影環境とは一致しないことを先に申し上げておきます。ちなみに私自身も基本的なスタンスは変わってはいいないものの、この12年多くを経験し、多くを諦め、多くのことに気づき、そして多くのことを思い、今はまた新たな将来をみつめています。

 

2018年、中国映画「Air Strike」 メル・ギブソンアートディレクター、ブルース・ウィリス、リウ・イエ、ソン・スンホン、渋谷天馬出演。

 

映画“闘牛”

将校の役が多いので必然的に馬に乗るシーンが多くなる。最初から乗れた訳ではないが、練習の時間なんかもらえない、悪路も多いしある意味命がけである。中国の撮影中での怪我や事故やとても多いと思う。もう少し入念に準備をしていれば防げたものも多いと思う。僕も何度も大きな怪我をしている。ほかの出演者やエキストラさんに関しては取り返しのつかないような怪我や事故も見てきた。気をつけなければと思っていても個人がコントロール出来る範囲にも限界がある。幸いこの馬に関しては今のところ大事に至っていない。実はもともと馬は大好きで(東京では馬に乗れないからバイクに乗っていたと思っているくらい)撮影を通してわりとすんなりマスターした。ちなみに中国の馬なので話しかける時は中国語だ。

 

 

1カット何十テイクも撮る。俳優の演技が原因ではない。ほとんどの原因は数十人、時には数百人というエキストラさんたちにある。この監督は特に画にこだわるのでなおさらだった、1カット20テイクとか当たり前だった。彼らエキストラさん達はここはどこで自分たちが誰なのかほとんど理解していない、説明されても理解できない人も大勢いる。差別的な意味ではなく彼らに必要なのは演技指導ではなく調教に近いものだ。ただ農村で集められた教育水準の低い人たちがほとんどなのでどうしてもそうなる、もちろん彼らには悪気など全くない、教養がなく我々の知り得るマナーもないが思い通りに動いてくれないだけで皆気は良さそうな人たちなのだ。1日300円程度のギャラで集まるのだから(すぐ集まっちゃうのもすごいが)仕方がないかとも思うが、それにしても無駄なNGが多すぎて毎度集中して演技するのは本当に大変なのだ。

 

 

実は当時、ブログのように発表しようと思っていながらあっという間に時を経てこれらのエピソードは昔話になってしまいました。今更とも思いながら私が中国に渡った2006年から2009年までのいくつかの出演作品を通しての簡単なエッセイがあったのでここに記しておきます。現在は2018年ですからあれから12年の歳月がたってしまいました。この間中国はオリンピックを経験し急速な経済発展を続けており、それぞれの環境や人の変化は信じられないくらい著しいものとなっております。一体現代の中国を誰か正確に予想できたでしょう。。また映画産業の規模は今やもうアメリカを追い越す勢いです。間違えなく中国の撮影環境やスタッフのモチベーションも向上しています。という訳でもちろん所によっては未だ似たような状況に出くわす場合も大いにありうるかもと思いつつも、必ずしもここに書かれてある10年以上前の撮影の状況と現在の中国の撮影環境とは一致しないことを先に申し上げておきます。ちなみに私自身も基本的なスタンスは変わってはいいないものの、この12年多くを経験し、多くを諦め、多くのことに気づき、そして多くのことを思い、今はまた新たな将来をみつめています。

 

2018年、中国映画「Air Strike」 メル・ギブソンアートディレクター、ブルース・ウィリス、リウ・イエ、ソン・スンホン、渋谷天馬出演。

 

映画“飛虎隊諜戦”

上の仕事から約一年間仕事がなかった。やっと得た仕事は戦時中、広州に建設された米軍の飛行場を破壊する任務を負った特殊部隊隊長の役。この役に決まるまで二転した。急に出演が決まるので、僕にとっては到底不十分な時間だったがそれでも1週間ぶっ通しで中国語と日本語のセリフを完璧に入れて(この頃の僕の中国語のレベルはホントに低いもので1シーンも一日では準備できなかった)現地の広州入りした。翌日南の食べ物か水が合わなかったか、高熱を出して点滴の為半日入院。翌日クランクインの前日スタッフミーティングを行う、ミーティング終了後、助監督がこっそりすり寄って来てやっぱり元の役に替えるという。おいっ、またかよ!嘘だろ!!! 監督には北京で事前に会っているのになんで?と聞くと“監督はもう一人の日本人役に会っていなかった、写真だけで決めたが今日初めて会ってみたらイメージが違う、渋谷ならどちらでもOKだ。”そんなテメー達の都合で勝手なこと言うなよ!こっちは本当に何の関係もねぇーじゃねぇか、、、。その役は一番最初にふり当てられた役で、それを一度代えられて、新しい役を僕は完璧に準備しておいているにもかかわらず明日から本番という段になってこの仕打ちはあんまりだと思った。もし代えられたら、より膨大な中国語のセリフをゼロから覚えねばならず、さらにそれで芝居をせねばならない、これを撮影をしながら準備するのはほとんど不可能だった。助監督は“いや、天馬、こっちの役の方が前の役より出番が多いぞ”アホか! いかにも中国人的な説得の仕方だ。助監督はなぜ僕が喜んで承諾しないのか不思議な様子だった。僕が一番やるせなく腹が立ったのはそんなに安易に人を翻弄しておいて、なんの悪気もなく全く役者という仕事を尊重しない態度(本当に以前の役を準備するのは大変だったのだ)、それとたとえ受けたにしても確実に中途半端な仕事しかできない結果が目に見えていて、そんな自分自身を受け入れることができないからだった。その夜、いざとなれば北京に帰ることも辞さない覚悟でスタッフの前でゴネにゴネた。言葉が通じないので共演者の一人に通訳を頼む。実は彼らの決断がおそらく覆らないだろうと言うことは自分でもわかっていた。自分のようなものの意見が通るはずもないと思っていたからだ。ただ、はい、そうですか、とすんなり受けるにはあまりにもひどい仕打ちだと感じていたので反駁したかったのだ。その過程で本当に事と次第によっては今すぐ北京に戻ってもいいと思っていたことは事実である。結局3時間以上話したうえ中国語のセリフがとてもじゃないけど間に合わないので、セリフのないシーンや短いセリフのシーンを先に撮り長ぜりふのシーンはなるべく後に回すことなどを条件に渋々承諾した。しかしながら実際撮影が始まってみれば僕の出した条件など全くお構いなしに進行していったのは言うまでもない。ちょっとは考慮してくれるかと思ったがそれも甘かった。撮影は8日間で130時間を超え毎日、ビタミン剤、抗生物質、病院から処方された薬を服用しながら体を持ち応えさせた。体に悪いことはわかっていたがそうしないとつぶれてしまうのだ。セリフと芝居の準備があるので毎日3,4時間の睡眠で、気持ちだけ張っている情況だったと思う。もちろん満足のいく芝居などできるはずもない。ただ目の前のことをやっているので必死だった。撮影終了後翌日すぐに北京へ向かった。二日後には日本へ一時帰国する予定だった。

ところが広州の空港へ向かう途中から急に気分が悪くなり発熱しはじめ、広州の空港で医務室へ行く。注射を打ってもらったが病状は悪化するばかりでトイレでおう吐もした。それでもとりあえず北京へは戻りたかったので無理を押して飛行機に搭乗したが機内での約3時間、今まで経験したことがないほどの寒気に襲われる。海南航空は何度言っても毛布の一枚もくれず、僕は寒くて寒くてじっとしていられなかった。座席の上で膝を抱え猿のような体勢で体をさすり続ける。それでもじっとしていられず前を向いたり後ろを向いたりとにかく狭い座席の上を動き回っていた、熱はかなりあったと思う。となりの共演者はすやすや眠っている。もうこんなにつらいのならいっそのこと死んでもいい、死んで楽になりたいと本気で思った。人生でこれ以上ないというほど長いフライトを終え北京空港へ降り立つ。医務室へ連れて行ってほしいと共演者へ頼んだ道すがら空港のロビーの真ん中で力尽きて倒れた。意識はあったが身動きが取れずただ天井を見つめていた。たちまち大勢の中国人が僕を取り囲む。皆立ったまま無言無表情で僕を取り囲んで見降ろしている。誰一人助けを呼んだり声をかけたりしてくれない。僕は身体は熱、下痢、嘔吐などで満身創痍だったが意識は至って冷静でこの上から病人を無表情で見下げてくる群衆をみて心の中で“中国は本当に厳しいところだ”、と思った。結局医務室には十分な施設がない、病院へ行った方がいい、ということになり、歩く元気がないので救急車を呼んでくれと言えば救急車を呼ぶより直接病院へ行った方が早い、ということになり、共演者の肩を借りてタクシー乗り場へ。日中友好病院へついてからは、車いすを自ら要求してお金を払い検査、お金を払い検査、またお金を払い検査、を何度も繰り返す。場所があちこち離れていてとても大変だった。4つ5つの検査を終えても結局、原因がわからずベッドで点滴を打つ、中国では病院に行けばなんでも点滴だ。実はこの時僕は本当に死ぬかもしれないと思っていた。たった数時間で下痢、高熱、吐き気、めまいなどすべての症状がでてしかもかなり深刻だったしおまけに総合病院の国際部(外人専用の部)で原因不明と言われたのだから、重い伝染病かと思った。その後3日間身動きがとれず点滴を受ける毎日がつづいた。結局少しずつ自然治癒で少しだけからだが動くようになり約1週間後日本何とか帰国してすぐに改めて日本の医師に診てもらうと細菌による感染症ということがわかった。広州入りした初日の発病が原因らしい。その日本の医師には専門医であれば誰でも簡単にわかるはずだと言われた。

 

 

この撮影の期間中は24時間ぶっ続けで撮影したこともあった。朝から朝(!)まで匍匐前進、重装備での進軍、けが人を背負って退却などのシーンばかり。体力は限界を超えていた。 主役でなければ現場でも休めたが僕はその日、すべてのシーンに出演せねばならず休む暇はなかった。

明け方の農道の上に衣装のまま(どうせびしょ濡れの泥だらけだ)寝そべって5分ほど居眠りをした、急に呼び出されて最後の林の中でけが人を背負って銃を撃ちながら走るシーン。最後のカットがかかった頃にはしっかり日が昇っていて次の朝が来ていてた。写真は川の中を進軍するシーン、劇中ではたった数秒だがこれだけでも半日はかかっている。ブーツに水が入り、川底はぬかるみで足を取られ、本物の軍刀と双眼鏡が邪魔になって本当に走りづらい。撮影は数日で終わるが、本当の戦争などやるもんじゃないと心から思った。先頭が僕。

 

 

抗日ものには必ずと言っていいほどあるのが拷問シーン、僕は拷問する相手にはことさら気を使う。よく声をかけたり、相手が縛られたまま撮影を続行することが多いのでカットの合間に水を差しだしたりする。役者としては絶対に相手を本当に傷つけてはいけないし、相手が良識のある俳優であればこちらが相手を尊重すれば必ずそれは伝わる、これは言葉ができるできないとは関係のないことだ。厳しいシーンはいい雰囲気でやることが大切だ。

向かって右側が監督で中央が自分。主演で楽しいのは監督と意見交換できることだ、ずっとやってきた端役ではそんな機会はまずなかった。

 

役が決まるまでは紆余曲折だったが、撮影が終わってみれば困難を共にした戦友という気持ちが残るのみだ。今でも連絡を取りあったり、食事に誘ってくれたり友人の監督を紹介してくれたりするところをみると、監督は僕のお粗末な仕事にもある程度は満足してくれたのかなと思う。実際僕は主演(助演)とは言っても途中で死ぬし、他にも中国人の有名なメインキャストが出演している。表紙に僕の写真が載り(もっと映りのいいのを使ってほしかったが)名前が2番手になることなど考えてもみなかった。

 

実は当時、ブログのように発表しようと思っていながらあっという間に時を経てこれらのエピソードは昔話になってしまいました。今更とも思いながら私が中国に渡った2006年から2009年までのいくつかの出演作品を通しての簡単なエッセイがあったのでここに記しておきます。現在は2018年ですからあれから12年の歳月がたってしまいました。この間中国はオリンピックを経験し急速な経済発展を続けており、それぞれの環境や人の変化は信じられないくらい著しいものとなっております。一体現代の中国を誰か正確に予想できたでしょう。。また映画産業の規模は今やもうアメリカを追い越す勢いです。間違えなく中国の撮影環境やスタッフのモチベーションも向上しています。という訳でもちろん所によっては未だ似たような状況に出くわす場合も大いにありうるかもと思いつつも、必ずしもここに書かれてある10年以上前の撮影の状況と現在の中国の撮影環境とは一致しないことを先に申し上げておきます。ちなみに私自身も基本的なスタンスは変わってはいいないものの、この12年多くを経験し、多くを諦め、多くのことに気づき、そして多くのことを思い、今はまた新たな将来をみつめています。

 

ドラマ“草原春来早”僕にとって中国初の仕事、この時は恥ずかしながらこれが抗日ドラマのジャンルに入るとは思っていなかった。スタッフとの初めての面接の時も、渡されたストーリーも歴史ドラマの要素を呈していたからだ。ところが現場に入ってスタッフの演出を見ているうちに少しずつ「ああ、日本人は悪く悪く描こうとしているんだな」 と気づいてきた。中国では戦争の時代を背景にした作品を年代劇といいその多くは抗日モノとか抗戦モノという。この時は分からなかったが後に抗日モノと言っても実際は劇中には日本や日本人の要素はほとんどなく家族や愛情、友情をテーマにしたものも多くあるのに気づいた。つまり抗日モノとは一つの作品のジャンルのように位置づけられているのだ。製作している側も信条に基づいて製作しているというよりはあくまでも作品として製作している。

 

抗日ものの劇中によくある芸者の踊りを見ながら酒を飲むシーン。事前になんの準備もせずこのシーンどうするんだろうなと思っていたら前日地元の舞踊学校に通っている女子大生を見つけて連れてきたと助監督がいう。“さあ渋谷先生は日本舞踊の先生ですからよく教えてもらいなさい”とその助監督が言う。そんなこと今の今まで聞いていない、現場で本番前になっていうことかよ。第一彼女たちは日本舞踊なんて全く習ったことないでしょう?と言うと、“大丈夫!彼女たちは韓国舞踊をならったことがあると言っている”“全然違うでしょ!”日舞は基本の動作ができていないと全くそれらしく踊れない。安易と言えば女性の劇中の着物もメイクも中国の古代衣装にしかみえないし、そう言えば宴の小道具で出されていた日本料理にはキムチが入っていた。この安易さはどこの組でも似たり寄ったりで、僕はその原因は関係スタッフのリアリティや信憑性に対する意識の低さとモチベーションの低さによるものだと思う。

ちゃんとできるわけがないと思いながら、音楽も全く用意されておらず、音なしで仕方なく教え始める、本番も音無しだ、後で音をかぶせるからいいのだと言う、それはスタッフの都合でしかない。踊りができ次第本番だって、なにそれ!現場の日本人は僕一人、自分もそのシーンにはでるから軍服の衣装を着たまま舞踊指導。中途半端に教えたくないという気持ちとあまりにも安易な準備の仕方のせいと、この日これまた共演者のわがままのせいでセリフを急きょ変えられ必死に覚えた中国語のセリフが無駄になり、また現場で本番前に覚えねばならず死ぬほど時間が欲しい中で教えているので、写真の表情は穏やかに見えるかもしれないが内心ストレス絶頂状態で教えている。