七五三の由来は平安時代にさかのぼるのだそうです。

 

当時は妊娠出産も命がけであっただけでなく、

疫病などで小さな子供が死ぬことも多く、

7歳までの子供は「神様の子供」と考えたそうです。

堕胎や死産などの「水子」も同様に

「神様のもとに帰った」と考えられたようです。

 

だから昔は、小さな子供は「かみのうち」と呼ばれて、

いつ死んでもおかしくないものと考えている一方で、

健康に育つことを祈っていたんですね。

 

たとえば、

健康になるために

赤ちゃんは髪を剃っていて、

新しく毛が生えてくることで元気になるという風習があり、

三歳になったときにはそんな髪も生えそろうころでもあります。

三歳はそんなことから「髪置き」という行事に。

 

五歳、七歳は、昔は男女ともにやっていたものが、

江戸時代から、男子が五歳、女子が七歳となったようです。

 

五歳は「袴着」(はかまぎ)

一人前の男としてのファッションを身に着けると同時に、

神様から男の魂を授かります。

 

七歳の「帯解き」(おびとき)

子どものころのヒモつきの着物から、きちんとした帯をしめて、

大人と同じ着付けを始めます。

そして、神様から女の魂を授かります。

 

千歳飴の由来については、2つの説があると、

あるサイトに紹介されていました。

 

江戸時代、元禄のころ浅草の七兵衛という飴売りが
浅草寺の境内で『千年飴』として売り出したという説。

これは江戸時代後期の戯作者・柳亭種彦が
『還魂紙料(かんこう(ごん、こん)しりょう)』という
考証随筆の中でも述べており、
「七兵衛という飴売りが千年飴、寿命糖ともいう飴を浅草で売り出したのが
千歳飴(せんざいあめ)の起こり」としています。

 

もう1つの説は、大阪の『平野屋』という飴屋が
元禄のころに江戸に出て来て、
浅草寺境内で『千歳飴(せんざいあめ)』を売り出したという説。

「長い千歳飴を食べれば千年の長寿になる」と謳い、
人気を博したと言われています。

 

七五三ハテナより転載)

 

昔は砂糖は貴重でしたから、

縁起のよい紅白の色をつけ、

パッケージに長寿の鶴亀や松竹梅の図柄を模して、

子供の健康を感謝して、長寿を祈り、祝ったのでしょうね。

 

 

 

 

 

 

 

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