佐村河内守氏を取材したドキュメンタリー映画「FAKE」を観てきました。
私は佐村河内氏のことは知らないし、新垣氏とどんな関係だったかも関心はありませんが、この映画はそんなことはどうでもいいと思わせる内容でした。

映像に写されていたものは世間から見放された佐村河内氏と、そんな彼のそばに居る奥さんの姿でした。

 

「なんで(世間を騒がせた)佐村河内さんと一緒に居るの?」という監督の意地悪な質問に、

「さあ。愛しているから?」とさらりと答える奥さん。
来客があれば(たとえ嘘つきなテレビ局の人間であっても)必ずケーキを出しておもてなしをしていました。

 

「マスコミは真実を伝えてくれないけれど、それはいままで(ウソをついていたことへの)仕返しだと思う」という佐村河内氏も、信じてくれる人がいなくなったからこそ「自分だけは人を信じようと思った」と涙ぐむシーンもありました。

 

佐村河内氏のお父さんは「このひとだけは」と思っていた「最後のひとり(の親友)」にまで裏切られたのだそうです。

 

森達也監督は「僕は佐村河内さんの怒りを写すのではなく、悲しみを撮影したい」と言い、ビデオを回し続けます。
取材を断り続けた新垣氏は、テレビや雑誌、書籍発行のイベントなどではしゃぎまくり、それと対照的な佐村河内氏。そのそばには、奥さんがいつも手話通訳をしているのですが、自分の意見を押し付けるでもなく、淡々と「通訳」というサポートに徹しているようにも見えます。

ちょっと話はそれますが、私は選挙のときに、自分が信頼していると思っていた人たちから裏切られ、心が折れるような毎日を体験しました。
「信頼」というものがいかに一方通行なのかと悲しい気持ちに打ちひしがれ、頼りたいと思う人が離れていく「生木を裂く」ようななかで自分を律していかなくてはいけないという、本当につらくて、涙も流れないような思いをしました。
だから、なんだかひとごととは思えず、悲しみが伝わりすぎるくらい、伝わってきました。
たぶん、佐村河内氏は、新垣氏だけはパートナーであると心を許していたのでしょう。だから、世間のことはさておいて、新垣氏の行動について、怒るというよりもむしろ、裏切られた悲しみというか当惑のなかにいて、答えが見つからないように見えました。

でも、そんな佐村河内氏のそばにはいつも奥さんがいました。
ラストでは、それまで新垣さんの力なくしては完成しなかったであろう楽曲を、佐村河内氏がひとりで取り組みます。
 

奥さんは、喜怒哀楽も、自分の意見も大きく表す人のようではありません。
ただただ「そこにいる」「一緒にいる」そして支えている。

 

たったひとりで闘っているはずの佐村河内氏が、自分を顧みながらも「生きて」いることができたのは、奥さんの存在があったからではないかとも思いました。

私には残念ながら、佐村河内氏の奥さんのような存在の人は誰もいません。
そして、私もまた、佐村河内氏の奥さんのようにだまってついていくことができる人がいません。

なんとも寂しいことです。

 

この映画は観る人によっていろいろな観方があるのだと思います。
私は、嘘をつかれても何をされても、人を信じる側にいたいと思っていますが、それはあまりにもハイリスクローリターンな選択でもあります。

余談ですが、猫がかわいいです。癒されます。