イラクでまたまた人質になった香田証生さん(24)は「自分探しの旅」としてよりによってイラクに出向いたということだが、もしそうであれば、たいへん人騒がせな国家レベルの「自分探し」である。
 
 自分の目的や生きがいが見つからない。
 自分がいったい何をしたらいいのかわからない。
 自分が生きている意味がわからない・・・
 
「幸せのホームページ」(http://www.din.or.jp/~honda/cslp.htm)の本田時生さんによると、「自分のやりたいことがわからない、自分に合った仕事に巡り合えない、将来の夢が見つからない、愛する(愛してくれる)人に出会えない、自分の居場所がない、自分の存在価値はあるのだろうか、本当の自分はもっと違うはずだ、新たな自分を発見したい、自分の生き方が見つからない、自分の幸せがわからない、自分を幸せに導いてくれる人や考えに出会いたい。 これらの思いから、自分探しを始める人がいます」という。
 自分探しは、「出会い」「学習」「発見」「癒し」など、いろいろな方法があるなかで、小さな達成感や満足感を積み重ねていくことから自分がやりたいことを見つけられることもある、とも。

 実業家や事業家で大成する人たちは「自分」について考えているかどうかはわからないが、「目標」を定め、驀進や猛進することで達成感や満足感を得、それがまた、次のゴールに向かう原動力になっている。
 たとえば、今日テレビに登場していた伊藤正裕さんなんかは「ボクって、何?」なんて考える間もなく「3Dのリアルタイム・レンダリングの販売で一旗あげよう」という目標を(16歳のときに)得ることができたから、21歳にして資本金3億7410万円の会社(株式会社ヤッパ http://www.yappa.co.jp/)の社長になれたのだと思う。

 大きな目標を作るか、小さな目標を作るかは、人によるが、目標設定は生きる指針に役立つ。

 じゃあ、ごく普通の、才能も技術も能力も根性も、とりたてて何もない「ボク」(または私)にとって、目標や指針がなかったらどうしたらいいか。

「日本の社会は企業型競争原理で成り立っていて、企業の奴隷になっている」と書いたのは、ひろやさちやさん(『なぜ人間には宗教が必要なのか』 講談社SOPHIA BOOKS)

 競争原理とは「競争に勝ったものが幸せになれる。負けたものが幸せになれるわけはない」という2社択一の考え方であり、「みんなが幸福になれるわけがない」という考え方でもある。
「いいことをしたら、いい結果がある」
「頑張って努力したら、成功する」
 こうした考え方も競争原理に基づいた考え方であり、なにがいいか、悪いかというこは「自分自身の物差しで計った考え方」でしかなくて、そもそも「努力」と「幸せ」は無関係であり、世の中はもっともっとデタラメであるという。(つまり、企業本位の教育ではダメということ)
「成功する」「偉くなる」「リッチになる」「負け犬宣言する」
 それだけがゴールではない生き方もある。

「わからないことが、わからないことだとわかること」が「わかる」ということ。
「努力したから幸せになるのではなくて、幸せだから努力できる」
 思うがままにならないことを、思うがままにしようとするのが「努力」で、思うがままにならなことを思うがままにしようとしないことが「精進」であるという。(以上、ひろやさんの本より部分的に抜粋)

 私は宗教家ではないし、もちろん特定の宗教に対しての思いがあるわけではないが、「いいかげんでもいいんだよ」ということを教えてくれる考え方や教育を教えてくれるものが「宗教」であるなら、自分なりの宗教心、というよりは、感謝する心、信じる心を持ち続けられたらと思う。