こんにちは!

渋谷教育学園浦安幼稚園 年中組ST兼ブログ係の石合です。

2学期から普段の保育の様子や、行事の様子などをお伝えしていきます。また各学年の連載を開始しますので、お楽しみにおねがい

 

さて、本日は9月21日(金)に行われたお月見会の様子をお伝えします音譜

今年の十五夜は24日(月)でしたが祝日でしたので、浦安幼稚園では21日(金)にお月見会をしました!お月見会といえばもちろん団子ですが、お供え物としてススキも必要です。そこで、9月19日(水)にススキを採りに全学年の希望する子どもたちと園外へ行ってきました。

 

 

年中・年長のお兄さんお姉さんが年少の面倒を見てくれたので、安全に採りに行くことができました。教師が声掛けをしなくても、自然と面倒を見てくれるのが浦安幼稚園の年中・年長です。初めてススキを見た子は「ほうきみたいだね!」と掃く真似をしたり、「魔法の杖だよ!猫になーれー」と杖にしている子もいました。

みんなで採ってきたススキはお月見団子と一緒に飾ります。

 

 

さあ、いよいよお月見会当日です!

お手伝いしてくださいました保護者の皆さま、ありがとうございました。保護者の方には団子を茹でていただき、味付けをお願いしました。子どもたちには団子を丸めてもらいました。

 

 

ふわふわと柔らかい感触を楽しみつつ、いかに綺麗な丸にできるか、子どもたち同士で試行錯誤しながら作っていました。「このやり方はどうかな?」「赤ちゃんに触るときみたいに優しく触らないと!」という声が聞こえてきました。

 

浦安幼稚園では、教師はあまり口を挟みません。子どもたちが考えたことをそのままできるよう環境を整えます。私たちはその下準備をしてあげるだけです。もちろん危ないことをしていたら止めますが、下手でも失敗してしまっていても決して止めませんし、叱りません。

“自分で考えたことを試してみよう。それがだめだったら、失敗を活かしてまた試してみればいいよ。”

これが教師たちの共通の考えです。失敗は成功のもと。一方的に教えるより印象に残り、学ぶ力がつくのです。潰れてしまった団子も、細長い団子も、綺麗に丸い団子も、一生懸命作った証です。そのまま取って置き、茹でてもらいました。

(さすがお母さん方、どんな形でも完璧な茹で加減でしたキョロキョロ

 

 

ただ食べるだけでは終わりません。しっかりとお月見の由来を聞き、お月見の話しの絵本を聞きました。

 

 

待ちに待った食べる時間です!何度も何度も子どもたちから「早く食べたいのにまだ!?」と催促されました(笑)団子は1人3個で、みたらし・きなこ・あんこから自分の食べたい味を選びます。さあ、どの味が人気だったでしょうか…

1位 きなこ

2位 みたらし

3位 あんこ  でした!

みんなおいしそうに笑顔で「おいしい!」「おかわりしたい!」の声がたくさん聞こえてきました。なんと、十五夜当日に家族と団子を作り、お月見したよという子どもが数名いました。これからも楽しく学びながら、伝統行事に親しんでいってほしいですね。

 

 

こうして無事にお月見会を終えました。2学期はまだまだ行事がたくさんあります。普段の保育の様子や行事の様子を通して、浦安幼稚園をたくさんの方に知ってもらえたらいいなと思いますキラキラ

 

次回は、運動会の様子をお伝えしますね!

 

 

  園庭で育てているキウイです。浦安幼稚園の子どもたちと同じように、キウイも太陽の光をいっぱい浴びてすくすくと育っています晴れ

 

 

自己紹介

渋谷教育学園浦安幼稚園 顧問 青木久子

国家公務員、公私立幼稚園の教諭から東京都教育庁指導部指導主事、都立教育研究所統括指導主事、昭和女子大学、国立音楽大学教授・同付属幼稚園長兼務後、幾つかの大学院、学部の客員教授を経て現在研究所を主宰。子育ての失敗談は佃煮にして瓶詰めにするほど豊富。<教育学専攻、発達臨床心理士>

 

 

 いつの世も子育ての苦労は絶えませんが、戦中から戦後の食糧難で苦労した私の親の世代、高度経済成長で浮いた文化と仕事&育児の両立に追われた私の世代、そして物質的には豊かになったけれど少子化で苦労する我が子の世代と100年近い子育ての変化を直に見、体験もしてきました。難しい時代です。児童虐待件数がこれほど増加するのは何故でしょう。

 それぞれに事情があり、一概にその是非は言えませんが、子育てが自然愛から離れ大変なことが推測されます。

 虐待に至らずとも十分、可愛がってきたのに言うことを聞かない、大声で泣き騒ぐ、好き嫌いが激しい、反抗的な態度を取るといった我が子の成長に、苛立つ親子関係が出来上がることもあります。

(朝日新聞 2018年8月31日掲載記事)

 

一人の人格をもった存在として

 自分の激情を制御できない大人のエゴが虐待に繋がりやすい一方、子どもの泣き声や涙にほだされ自分を犠牲にして愛情を注いできたという親の自負が崩れる時も、親子関係が危うくなります。「子どもを愛しているけれど甘やかさない」親子の関係は、1歳前後の癇癪泣き、2歳頃のいやいや期、3歳頃からの反抗期にどう対応するかです。なだめすかすのは逆効果で、泣き騒げば親が自分に目を向けてくれると錯覚し、ますますパニックを増幅します。そして子どもは、わがままな弱い自分に自信が持てなくなってしまいます。

 泣き騒いでもなだめすかさず自分で制御したら聞いてやる、時と場合の判断根拠をもとに、可能なかぎり本人の主張を体験させてみる、電車に乗り遅れた、忘れ物をして困ってしまったといった体験の結果に本人が責任を感じて納得する、そうした過程を信じて見守る余裕が必要です。親子互いに、一人の人格をもった存在として、己を客観視する余裕・距離を作りましょう。

 

 

☆☆☆

 浦安幼稚園の運動会が近づいてきました!一般的には運動会の競技の練習をたくさんすると思いますが、当園では練習はしません。普段の遊びに取り入れて、楽しんでいるうちに自然とできるようになっていくのです。そのため”練習の成果を見せる運動会”ではなく”遊びの成果を見せる運動会”と考えています。

 また改めて運動会の練習風景から当日の様子など、お伝えしていきますので楽しみにしていてくださいね音符

 

 

自己紹介

渋谷教育学園浦安幼稚園 顧問 青木久子

国家公務員、公私立幼稚園の教諭から東京都教育庁指導部指導主事、都立教育研究所統括指導主事、昭和女子大学、国立音楽大学教授・同付属幼稚園長兼務後、幾つかの大学院、学部の客員教授を経て現在研究所を主宰。子育ての失敗談は佃煮にして瓶詰めにするほど豊富。<教育学専攻、発達臨床心理士>

 

 

 夏休みが終わると二学期が始まります。御家庭の皆様、元気で過ごされましたでしょうか。猛暑、酷暑の今年は時間をどう使うか、様々な工夫と努力をなさったことと思います。夏休みは、既に日本の学校文化としてあって当たり前のように思いますが、女性も外に出て働く時代を迎えてその意義も変化してきました。また、異常気象で学校の冷房設備が整えられると、冷房設備がないから夏休みという論理も通らなくなりそうです。夏休み明けが子どもにとって一番の危機と言われる用意なったのも近年のことですが、夏休み中の経験が糧となって園や学校の二学期を楽しみに迎えることができるよう改めて夏休みの意義を考えてみましょう。

 

藪入りに始まる帰省の文化

 落語の藪入りは、溺愛した息子を奉公に出した親が、藪入りで帰ってくるのが待ち遠しく好物を準備するところから始まります。他人に育てられて成長した姿に感涙しつつ多額の所持金を観て親の心配が尽きないことが分かります。奉公人が盆と正月に帰省できた名残りは、今日の行事歴にも残っています。学校教育が夏季休業を取るのは、日本では欧米のような年度の切り替え時ではなく、藪入りの時期を挟んだ暑い時期です。農業・漁業や林業を中心とした社会構造の時代には夏の家業の手伝いもあり、学校は冷房設備がなく授業効率が悪い上、食中毒発生の不安を抱えるので、学校では経験させられない夏ならではの経験を家庭に期待したのです。

 農繁期休業や寒中休業を取る地域の夏休みは、8月20日前後に終わりますが、30日~40日ほどの夏休み期間に親も休みを取り、海や山へのアドベンチャーに、家業の手伝いに、あるいは地域の夏の行事に参加したり、祖父母の住む農山村での生活体験をしたりと、非日常の体験が子どもを大きく成長させてきました。しかし、自然環境的にも社会的にも夏休みの様相は大きく変わっています。こうした中、日本にもようやくアドベンチャー・キャンプなどのサマースクールが増えてきて、親に代わって自然体験を提供してくれるようになってきました。

 

休み明け、園や学校が嫌になるのは

 夏休みが、子どもに生きる自信と夢を与える体験の帰化になったのか、登校園に不安を抱える時間になったのか親にも当人にもなかなかわかりません。休み明け、生活リズムを取り戻すのに時間がかかる子どももいれば、園や学校で自己表現ができた経験が少なく家の方がいいと感じる子どももいます。高学年かあら中学生になると友人関係の悩みを抱えていたり、学業が重荷になったりする子どももいます。子どもがギャップを感じるのは発達している証ですから、それを乗り越えていくように、生活リズムと生活環境を整えながら待ってやりましょう。周囲が焦らずせかさず、自分で切り替えができることを信じてやることが一番の薬になります。人生にはいろいろな選択肢があること、そして乗り越えたときもう一歩先に進んだ自分が見えることを楽しみにしながら対話による適切な情報を提供してみるところです。

 子どもにとって意味のない経験はありません。ただ、その葛藤や混乱や苦悩を乗り越える過程を長い目でみてやる周囲の目があるかどうかが、本人に経験の意味を作り出す余裕をもたらします。登校園が嫌だと言ったら聞き流しながら心に置いて原因を類推しつつ、平常の我が家流の生活を営んでいくうちに、気が付いたら復調していたというのがいいですね。

 

 

★本日から二学期がスタート!みんなとても元気に登園してくれたので安心しました。二学期は行事がたくさんあるので、子どもたちと楽しめたらいいなと思っています(*^-^*)★

自己紹介

渋谷教育学園浦安幼稚園 顧問 青木久子

国家公務員、公私立幼稚園の教諭から東京都教育庁指導部指導主事、都立教育研究所統括指導主事、昭和女子大学、国立音楽大学教授・同付属幼稚園長兼務後、幾つかの大学院、学部の客員教授を経て現在研究所を主宰。子育ての失敗談は佃煮にして瓶詰めにするほど豊富。<教育学専攻、発達臨床心理士>

 

 

 軍隊のない国コスタリカで、幻の鳥ケツァールを求めて森から森へと探索しました。軍隊にかけるお金を教育と福祉、そして自然保護にかけるという意識は徹底していて、他方に繋がる道路の舗装も人々は希望しないということでした。崖から転落するのではないかと思うでこぼこ道をバスで揺られて着いた村には、小学校が一つ、十数人の子どもしかいないのですが、教材は豊かで、子どもは質の良い教育を受けていました。この国では、幼稚園はありますが、保育園はありません。保育園が必要ない子育てのシステムは、祖父母、叔父叔母などの拡大家族が子どもを見合うということでした。日本の単家族で担う孤立化した子育てや集団保育施設に預けっぱなしの分離策が、果たしてどんな国の未来を作るのか考えさせられました。

 

孤立化しない方が親子とも楽

 学校から帰った子どもは、親が働く職場で一緒に過ごします。子どもにできる仕事を一緒にしたり、職場の人々も交えて休息を取ったり遊んだりしながら、社会の一員としてそこに所属します。例えばホテル勤務の親であれば、掃除やベットメイキングを一緒にしたり、片付けをしたりするのです。子どもは親以外の大人にも育ててもらい、働く姿を見て親を尊敬もします。

 昨今、自然災害が新しいステージに入ったと言われていますが、親の殺害、子どもの虐待、不特定多数を対象とした犯罪等、様々な事件も新しいステージに入っています。今までの常識では通用しない心の闇が、青少年だけでなく大人たちの心にも渦巻いているのでしょう。

 群れで生きる人間にとって、孤立化ほど怖いものはありません。母子一体化が長引いたり、核家族だけで必死に子育てをしたりする状態も、孤立の一つの現れかもしれません。子どもは親と向き合うだけの狭い社会の中で、同質の関係、同質の内容しか学習できず、親の顔色を見て動くことが判断基準になりがちです。無意識のうちに互いが苦しい関係で生きています。

 

大勢の人の手を借りる子育ての知恵

 子育ては、大勢の人々の手を借りながら、我が子を愛おしく思いつつも、一人の人格を持つ人間として客観視する目を持つことが昔からの知恵でしょう。迷惑をかけるからと遠慮しないで、かけた迷惑はいつか社会に還元していく、あるいは子どもが社会貢献できるようになったら返していくのが「お互い様」ということなのです。

青木他著『教育学への視座』p139

上の図のように、敗戦後のA氏が育った8人兄弟、祖父母や叔父叔母も含め12人の同居家族は、さらに横・縦の拡大家族、拡大した人間関係をもっていましたので、遊び仲間も、生き方のモデルも職業モデルも、対話のテーマ、内容も一つの家庭に所属するだけで膨大なものがありました。これを家庭の教育力とすると、核家族、単家族の家庭の教育力には限界があります。核家族の家庭が教育力を拡大するためには、大勢の人の手を借りて子育てをすることです。迷惑をかけたら親が謝るのではなく、他人に叱られ、自らを振り返り、叱ってくれた人の思いを知り、やがて近隣地域の人々に感謝する、そんな力を育てていきましょう。

自己紹介

渋谷教育学園浦安幼稚園 顧問 青木久子。

国家公務員、公私立幼稚園の教諭から東京都教育庁指導部指導主事、都立教育研究所統括指導主事、昭和女子大学、国立音楽大学教授・同附属幼稚園長兼務後、幾つかの大学院、学部の客員教授を経て現在研究所を主宰。子育ての失敗談は佃煮にして瓶詰めにするほど豊富。

<教育学専攻、発達臨床心理士>

 

 

見えない園生活への不安と不満

 

 数年前、3歳児学級で偏食問答が起こりました。ご飯と肉類しか食べない、振りかけをかけなければご飯が食べられない子どもと、少しでもいいから徐々に野菜も白ご飯も食べるようになってほしい先生との見解の違いです。偏食を改善したいと考える家庭は従来どおりの園と協同し、偏食でいいとする家庭は園で好きな物だけ食べるという二つの選択がなされました。週21回の食事のうち園では4回しかない昼食時間で食は基本的に家庭で担っていただく問題なので、昼食の栄養価の保障はできないことと集団が育ち合う方向性が違うことは了解いただきました。子どもに好きな物だけを食べさせるのも親の愛なのでしょう。「一口でも食べてみたら」という先生の指導は我が子へのいじめと映るのかもしれません。別の日、毎日給食を一口しか食べない子どもを心配する先生に、「家ではケーキや肉まんが用意されていていつでも食べられる」と聞いて給食を食べるわけがないと納得したものです。これも親の愛なのでしょう。

 園で友達と喧嘩した、仲間外れにあったなどと子供に訴えられると、翌日から今日はどうだったか根掘り葉掘り聞いたり、相手の子どもの非をなじったりするのも親心でしょう。幼児は仲間外れに合う原因を自分で作っていても気が付かないことが多いので、原因が双方にある場合は喧嘩両成敗。当事者が相手の思いを知り、折り合いをつける過程に学習内容が生まれるのですが、親が介入するために子どもの問題が親の問題に発展してしまいます。

 

 

真の愛を探す旅に

 

親子関係は、昨日の今日と連続しているので、子どもの発達の変化に合わせて親が子どもとの距離をとること、一人の人格として客観視することが難しい場合もあります。3歳過ぎても泣いたら抱っこをし、泣き止んだらご褒美をあげる、子どもの言いなりになる、できることまでやってあげる、といった赤ちゃん扱いをしていたら、子どもは我が儘な王様になります。そしていつしか、子どもが親に命令し駄々をこね親が従うまで泣き叫ぶようになります。親は子どものご機嫌をとることに疲れ果てて、初めてよかれと思って頑張っていた愛の形が違っていたことに気がつくのかもしれません。

 我が子を”金ではなく鉄として”客観視し、自力で這い上がる過程を支える親の愛は、優しさごっこがはびこる今の時代の方が実践は難しいのかもしれません。未来が見えない時代だからそ愛という行為で我が儘な王様にせず見守り、困難を乗り越えていく子どもの力を信じて、親も真の愛を探す旅に出かけようではありませんか。

 

 

園庭で見つけたアゲハ蝶の幼虫です。

 

世話をしているわけではなく、自然の中で成長しています。

蝶になるまで見守っていきます!