自分の小さな「箱」から脱出する方法

自分の小さな「箱」から脱出する方法

一生付きまとう「人」に関する問題。何とかうまく行く方法はないのかな?!


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出張先のコンビニで買い物をして帰る途中、

ふと

“あれ?スプーン入れてもらったっけ?”

と心配になり確認すると入っていない。


仕方なくお店に戻ると、

さっきまでガラガラだったレジに列が。


その日箱セミナーを終えだばかりの私は、

冷静さを意識しながら列に並んだ。

4人、3人、2人と順番が近づいてくる。


やっと次は私の番というところになって、

前の人が「おでん」を買い始めた。

しかも注文が止まらない。



今日はおでんを食べる程寒くないんじゃないかな?


こんな時間にそんなに食べると太るよ。


まだ買うんかい?!


いや、汁多めにとかいいから!



と、だんだん冷静さが失われていく。



スプーンを入れ忘れた事に対する怒りが大きくなっていく。




「以上で」




長いおでんタイムが終わったかと思うと、

今度は振込用紙を取り出し存分にコンビニを利用して帰って行った。




そして


やっと


待ちに待った


私の順番がやってきた。




前回タクシーの件で失敗したばかりだから、

最大限の注意を払って「スプーンが入ってなかったんですけど」

とお伝えした。


よし、完璧。


上手にできた。




すると、


店員さんが





「お待たせしました」





とスプーンを差し出した。










たぁ?!!




確かにね。


確かに待ったよ。


随分待った。


おでん買おうかなぁって心変わりするくらい待ったわ。


しかしね


やはりね


ここはね


ここのところは


「すみませんでした」じゃないのかと。




能面のような顔でスプーンを受け取り、

「ありがとうございます」とお礼を言って出てきた帰り道、

私はいくつになったら心穏やかに日々を過ごせるようになるのだろうと考える。


40になったらソコソコ行けるかと思っていたが、そうでもなくて、

50になればさすがになと思い直したが、もうあまり猶予がないのにこの有様。


よし。


還暦にかけよう。


きっと60になる頃には



きっと。



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人は自分が正しい側にいないと安心できない。

間違っていると感じたり、周りからそう思われたりすると心がザワつく。

だから正当化してしまうのだ。



どちらが正しいか、もしくは誰が正しいかを明らかにする時、「仕事ができる」という事実は大いなる武器になる。

実績や成果は目に見えてわかりやすく説得力がある。



「会社は仕事をするところです」



仕事ができる人たちの多くはそう思っている。

もちろんその通りだ。

それなら、

誰よりも処理能力が高い人がベストなのか?

よく把握し知識が豊富な人が模範なのか?

成績優秀であることが最も相応しいのか?


答えは「NO」だ。


会社で働くということにおいて、これらは最低限の努力義務である。

そうして会社に貢献するために入社したはずだ。


会社に雇用されチームの一員として働くのであれば、それに加えて他にしなければならない重要なことがある。



つづく


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あなた自身が問題を抱えていて、もしそのことに気付いていないとしたら。

周りの人があなたのことを「やっかいな」人だと感じていたとしたら。



自分は被害者だと判断することがある。

少しのミスはあったかもしれないが、大枠では自分は相手より正しいと決定づけることがある。



その時が一番危険な状況だ。

完全に正当化され自分の過ちに気付けない。



「周りにも気を配り精一杯努力した」と言うかもしれない。


それならなぜ自分の正しさが気になるのだろう。

なぜ自分が正しいと証明する必要があるのだろう。



良い結果が得られるかどうかは、自分が「正しいこと」とは別の次元にある。


あなたが望んでいることは、自分が正しいと証明されることなのか、それともチームで良い結果を得ることなのか?




つづく


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こないだの台風の翌日、朝早く移動する予定があったので雨風ひどかったら面倒だと思いタクシーを予約した。
が、夜には雨も風もおさまりキャンセルしようか悩んだが、そのまま利用するつもりでいた。


翌朝晴天の中、
「ちっ、タクシーいらんやん」と少し後悔しながら乗車した。



家を出発して直ぐに分かれ道がある。
「どちらのルートがよろしいですか?」と聞かれたので、正直ここはどっちに行っても変わらないので「お任せします」とお伝えした

運転手さんは「右」を選択し路線バスと同じルートを進み始めた。

しばらく進んでも路線バスと同じルート。
(ここ左に曲がるとショートカットできるよ!)ってとこでも、信号待ちして渋滞にはまっている。


この余裕は

きっと何か秘策があるんだ。

そう思って黙って座っていた。


街中に入り混雑が増して来る。
ここいらで何か必殺技を繰り出すと思ったが、まさかの路線バスルート。幹線道路をノロノロと進んでいく。


タクシー乗ってる意味あんのか?!


それからわたしの知る限り、福岡市内で朝の渋滞ではベスト10に入るだろうという、
百年橋通りが見えてきた。


まさかね。

そんなはずはないよね。

ここはないよ。

いくらなんでも。

あるはずがない。

素人さんでもね、ないわ。

そう信じていたが、

迷わず突っ込んで行った。



自宅から博多駅までのこの区間は、同じタクシー会社さんをよく利用する。所要時間は20分程度で料金は1,700円くらいだ。
しかし、今日は到着地点まで後1/4の距離を残して20分を経過しメーターは1,980円を示している。

ちなみに私は今日、大阪の企業さんで箱セミナーを実施する予定だ。余談ではあるが「箱」の理論は11年前から知っていて、もうこの仕事を10年やっている。


渋滞のまま2回目の信号待ちを迎えた。


そろそろやな。

いや、まて。

もう少し待て。

まだやれるはずだ! 

10年のキャリアやぞ。

いや、

いやいや、私にしてはだいぶ辛抱した!

そうだ!!

言い方を工夫すればいい。

そうそう、優しく言えばいい。

「怒ってはいないんですけどねぇ、少々気になりましたものですからぁ」みたいな感じで言えばいい!



「あのぉ、この道に出るんだったら学校下の信号から来た方が早かったです」

→「そうですか、勉強になります」

「それから竹下に抜ける方が渋滞しないと思います」

→「そうですか。今日はどこも渋滞してるから」


何か、

釈然としない。

むしろ余計に腹が立ってきた。


「いつもこの区間を利用しますが、20分くらいで1,700円くらいで行ってもらってました」

すると、
→「わかりました!もう取消しましょう」と言ってメーターをリセットされた。




タダになった。




嬉しくない。

ザワザワする。

そう。なぜならこの結末は正しくないからだ。
間違った結果を導いたのであれば、修正しなければ。
まずは謝ることから。


「すみませんでした。代金はちゃんとお支払いします。渋滞でイライラしてごちゃごちゃ言ってしまいました。朝早く来ていただいたのに本当にすみません。
でも、時間も料金もちょっとかかり過ぎだと思ったんです」

すると運転手さんは、今朝は向かう途中も結構車が多く幹線道路の方がスムーズに行けると判断したこと、それが間違っていたかもしれないこと、夜勤明けでもうすぐ仕事が終わることなどを話してくれた。
そして、
「お話を聞くと、やっぱりかかり過ぎてますね。すみません。気をつけて行ってらっしゃい」
と荷物を渡してくれた。
私も気持ちよく支払いをして降りてきた。



言いすぎて望まない結果を得ることがある。
利害に甘んじてそれをそのまま受け取り、良心のざわめきを無視してしまうことがある。

「ま、いっか」と。

「今度やればいい」とか「次回は正しいことをすればいい」と考えるかもしれない。
しかし、今度や次回は永遠に訪れない。
なぜなら、そんなことを何度も繰り返すと最初は感じていた良心の呵責は、無視することに慣れてマヒしてしまい、その感覚をやり過ごすことに痛みを感じなくなる。
そしていつしか、それはそうしても当然のことになっていく。自分に都合の良いように捉え方を変え瞬時に正当化し、自分はいつも正しい人か被害者となる。すると周りの人は間違いを犯す人、信用できない人、私を攻撃する人に見えてくる。
そうなれば一緒に過ごすことは難しくなり、次第に周りの人を遠ざけ、いつしか独りぼっちになっていく。

「孤独だ」と感じたら振返ってみよう。
私自身がそれを招いている可能性について。
それを選んだのが私だと認知できれば、そうではない選択をすることが可能になる。
私の選択ですべてを変えられる。
今すぐに。

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答えはもちろん「NO」だ。


彼女からすれば、

一番効率よく働いているのは自分

仕事を熟知し誰よりも働いているのは自分

覚えの悪いメンバーに迷惑をかけられているのは自分

そう思って疑わない。

むしろ正されるべきなのは仕事ができないメンバーで、自分が叱責されるのは筋違いだと憤るだろう。


周りは気づいている彼女の問題について、彼女自身は気づいていない。

言い方を変えると「問題を抱えた人は、自分に問題があるという事に気付けない」という事になる。



あなたの周りにいるやっかいな人たち。

その人たちは自分が問題の種なんだと思っているだろうか。


そして更に考えるべきは、あなた自身も同じように問題を抱えているのに気づいていない、という可能性についてである。




つづく、、


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更にこのての人たちは、強い被害者意識を持っている。

こんなにやってるのに報われないとか、評価されていないとか不公平だとか感じている。

「アノ人の倍働いてるんだから、給料も倍にして欲しい」とか思っている。

無能だと判断すれば上司でも完全に見限る。

そしてこのての人は、人を育てることが苦手である。「自分がやった方がはやい」などの不合理な理由で仕事を渡さない。

休憩時間には不穏な空気を発して周りに気を使わせることもある。


こんなことをされればチームの空気は悪くなるし、気も使う。

仕事や情報を牛耳られれば業務自体にも悪影響である。


きっと周りの人たちは気付いている。

「彼女には問題がある」と。



しかし、彼女自身はどうか。

もし彼女に「もっとチームのことや効率を考えて欲しい」と誰かが言ったとしたら、彼女はそれを快く受け入れるだろうか?

それとも?!



つづく


テーマ:

人よりもたくさんの仕事を正確に処理できる人がいる。

割と向上心があって努力家であったりする。


一見模範のように感じるが、そうでない場合もある。


このての人たちは、覚えが悪かったり仕事が遅い人を許さない。

自分の仕事量と他の人の仕事量を比べ優越感に浸る一方、不公平感を抱き周りの人を邪険に扱ったりキツく当たったりする。


雑務など面倒なことは「誰よりも仕事をこなしている」ことを盾に取り回避できるよう仕向け、失敗も「これだけの仕事をこなしているのだから」と、間違っても当然のような雰囲気を作る。

また、何事も自分が中心で有利になるような決定を望む。




あら、嫌だ。



これ



あたしのことやん(汗)




つづく


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気に入らない部下がいる。
高圧的で身勝手な上司には気が滅入るし、
気が利かない妻や夫のせいでイライラさせられる。
理解できない人がいる。

身の回りにいる自分を不機嫌にさせる人たち。
相手はもっと成長すべきだし他の人に対して配慮すべきだと思う。

誰かとうまくいかない時にまずやることは、
相手の欠点や失敗を探して非難すること。
そしてそんな相手を「変えよう」とする。
相手さえ変われば、成長すれば問題は解決すると思っている。
気に入らない相手に対して、
責めたり文句を言ったり間接的に圧力を加えたり無視したり、
あの手この手を使って問題があることに気づかせ、
変わるよう促したり反省するように仕向けたりする。

でも、相手は変わらないし成長もしない。
だからより強く相手に変化を求める行為を繰り返す。

そのやり方は自覚がないままエスカレートするし、
相手に対する良くない感情は、
共感する(させた?)仲間を巻き込んでどんどん大きくなっていく。

そしてこれらの行為は相手の私に対する嫌悪感や反発心、
絶望感も助長させていく。
苛立たせたり遠ざけたりやる気を失わせたりする。

自分にそんな感情を抱かせる私の言うことなんて、
聞く気になるだろうか?

これが相手を成長させない原因である。
相手に「成長してほしい」「変わってほしい」と
思いながらしているこれらのことは、全く逆の効果をもたらしている。

箱に入って相手を変えようとするとき問題なのは、
相手には変わる必要があると強要しながら、
自分が変わる必要性については考えが及ばないことである。
相手を懸命に正したり非難したりするが、
その間、自分が変わる必要性については考えない。

相手に問題がない訳ではない。
しかし、全てにおいて自分が正しい訳でもない。
自分が被った被害やしてあげたことを大げさに表現し、
相手のミスを必要以上に重大に価値付ける。
それは、自分は努力せずに、相手や現実を自分の思い通りにしようとするやり方。
それを実行しようとすればいくつかの嘘が必要になり、
何かを誤魔化したり、あるいは誰かを排除しなければならなくなることに対しての、
正当化が必要となる。
だから自分を高めて相手を貶める。

相手に変化や成長を求めるのであれば、まず自分が今より成長する必要がある。
今のままの自分で関わっていても相手に影響することはできない。
相手の成長は自分の成長を写す鏡といえる。

「私は他の人から信頼され、ヤル気を起こさせたり一緒に働いたり過ごしたいと思われる人間なのか」
そんな問いかけが必要なのかもしれない。


HPはコチラ↓↓↓
http://www.atsmile123.com/

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組織の問題を考える時、人はいとも簡単に自分を問題の外に置いてしまう。

もし、経営者やリーダーがそうである場合、事態は深刻さを増す。

従業員が変わらなければ組織は良くならないと思ってしまう。

もちろんそれは、しなければならないことである。


しかし、それ以上に大切な事を見落としている。

企業を再生するときに、トップを入れ替えるのはなぜか?


それだけの影響力があるからだ。


数万人規模の企業も変化させられる。

リーダーが自分も問題の一部だと意識しない限り、

誰も組織の問題について責任を持とうとはしない。

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