ムード歌謡の先駆者と言えば、何と言っても1950年代から活躍していた和田弘とマヒナスターズ!
そして、GS全盛期の1967年後半~1969年もテレビの歌番組でよく見かけたグループがいくつかありました。
①黒沢明とロスプリモス
「ラブユー東京」(1966年作品だが1968年に入っても売れ続けオリコン1位にまでなりました。他には「たそがれの銀座」や「雨の銀座」、「城ケ崎ブルース」、「さよならは五つのひらがな」などでヴォーカルの森聖二さんの歌声が好きでした。
②鶴岡雅義と東京ロマンチカ
何と言っても大ヒットした「小樽のひとよ」が代表曲ですよね。1969年3月発売の「君は心の妻だから」なんかも良い曲で、ヴォーカルが途中から変わったりしましたが、東京ロマンチカと言えば、やっぱり三條正人さんのヴォーカルが一番好きでした。次の方も歌唱力はあった。
③ロス・インディオス
棚橋静雄さんヴォーカルによる「コモエスタ赤坂」や「知りすぎたのね」が特に印象に残っておりますね。ずっと後になって、ロス・インディオス&シルビアによる「別れても好きな人」が大ヒットしましたよね~。元々、この曲はパープルシャドウズが歌っていたんですけどね・・・。「それぞれの原宿」も結構良かったですね。
④中井昭・高橋勝とコロナティーノ
1968年の春に長崎から上京しメジャーデビューしていきなりの大ヒット、テレビに釘付けになりました。
⑤内山田洋とクールファイブ
同じく長崎のキャバレーの専属バンドで、こちらは「銀馬車」で、「十二番館」とは競合店の関係でした。コロラティーノに一年ほど遅れて上京、1969年2月のデビュー曲「長崎は今日も雨だった」はオリコン2位の大ヒット、「逢わずに愛して」はオリコン1位を記録、1970年には「噂の女」も大ヒットし、その後もヒット曲を連発しましたね。
マヒナスターズも1968年に「私って駄目な女ね」というヒット曲を出したけど、GS時代に売れたムード歌謡グループといえば上記の5グループになるのかなと私は思っております。
GS以上にグループの数が凄く多く、とても把握しきれないくらい全国に存在しておりましたね。
(GSは期間が短かったからね!)。特に1970年代に集中していました。札幌のアローナイツ(長崎にもアローナイツというグループがいました)はもちろん大好きですが、サザンクロスなども初期の頃は好きでした。敏いとうとハッピー&ブルーは森本英世さんの歌声は好きだったけど”ウォンチュー”が入ってから個人的にはちょっとね・・世間的にはウケたけどね。森本さんは「恋祭り」という曲でデビューした時からテレビの歌番組で観てました。もっと前の1969年、タイガーマスクの主題歌を新田洋の名前で歌っておりました。
「長崎ごころ」が結構売れたジ・アーズや売れなかったけどロス・トロスの歌声も好きでした。他にも「おんな占い」の南有二とフルセイルズとか「宗衛門町ブルース」のダークホークス、「心がわり」のサムソナイツ、「愛のふれあい」の沢ひろしとTokyo99、ジョイベレス東京、ハニーシックス・・まだまだ次々に浮かぶけど・・・とりあえず以下省略とします。
前置きが長くなりましたが、前々から、一度は取り上げたかったグループは、
④の中井昭/高橋勝とコロラティーノです!! 一番ジミ~なバンドだったけど、色んな意味で私的には非常に印象的だったのであります~~~
中井昭/高橋勝とコロラティーノ
コロラティーノは長崎県の長崎市にあったキャバレー「十ニ番館」の専属バンドとして活躍していたバンドで、「銀馬車」とは競合店であり、同じく専属バンドの内山田洋とクルールファイブとはライバル関係にありました。メンバーの川原弘は長崎市出身で不幸な生い立ちを持っており(長崎原爆で家族を亡くされた)、音楽の勉強のために18歳で上京、トランペッター奏者として活動されていたようだ。
コロラティーノが専属バンドとして活動している中で、自分たちのオリジナル曲もということで川原弘さんが作詞作曲した作品を演奏しているうちに大評判になり、ぜひレコード化をということで上京することになったのでありました。
ヴォーカルの中井昭さんは、1936年7月8日生まれ178センチの長身、山口県の下関出身で地元の高校を卒業後、就職した先の工場で片手を失い退職し、地元のクラブで司会などのアルバイトをされていたようです。(そこで高橋勝(1934年10月12日生まれ)と知り合い、歌は後から始めたようです、)その後、長崎県へ移ることとなったのでした。
ハスキーボイスだけどハイトーン、個性的な甘い歌声で巻き舌も個性の一つでした。
なお、リーダーは中井さんと高橋勝さんの2名体制でありました。
テレビで初めて見た時、手袋をされていたので”あっ!義手なのかも・・”と思った記憶があります。
全員のプロフィールがアルバム(LP)のジャケットに記載されていたのですが、自宅の倉庫?で探しても見つからず途中で諦めてしまいました。 (私のブログにおいてはそこまでの詳細を書く必要性はあまりないかと・・・他のコロラティーノにもっと詳しい方に委ねます)
このバンドは結局、何枚のシングル(EP)を出されたのか、正確にはわかりません。
デビュー曲となった「思案橋ブルース」はオリコン3位の大ヒットを記録し、夜の歌番組にはたびたび登場致しました。3枚目に長崎シリーズの「思案橋のひと」を発表しましたが、良い曲だったのにあまり売れなく、その後はブラウン管からは遠ざかっていった感じでした。
おそらく、再びクラブ出演が主となったのでしょう。
結局、言葉は悪いけどレコードセールス的には一発屋で終わってしまいました。
高橋勝さんが脱退されてからは中井昭とコロラティーノで活動されたようですが、こちらも何枚のシングルを発表されたのか正確には不明・・、解散後、ソロとして中井昭~中井あきらとしてソロ活動し、結局何枚シングルをリリースされたのか、やはり正確にはわかりません。ソロアルバムは1枚出されておりました。
1968年4月の発売の名曲「思案橋ブルース」!この時、ヴォーカルの中井さんは既にベテランの域の31歳でした。もう一人のリーダー高橋さんは33歳。他の4名は20代でした。
今の31歳って、凄く若く見えるんだけどな・・・自分がジジィだからそう見えるだけなのかな??
髪型やスーツで尚更老けて見える・・ムード歌謡はスーツが当たり前。
2作目は1968年9月発売、「夜の贈りもの/灯りを消して」は両A面扱いでした。決して駄作じゃないのですが何故か売れませんでした。私個人的に好きな曲の一つです。ジャケットもいいネ!
こちらは、1968年12月発売された3作目の「思案橋のひと」で、この曲は「夜のヒットスタジオ」で観た記憶があります。
良い曲なのですが、ちょっとインパクトが弱かったかも・・
次のジャケットはコンパクト盤ですが、1968年11月に発表されました。
こちらもコンパクト盤のジャケット裏と表です。1969年3月発売でした。
「思案橋ブルース/中洲の夜」で1969年4月の発売でした。
「片思いのブルース」は1969年7月の発売、高橋勝さんが脱退後、中井昭とコロナティーノとして活動と聞いていたが、高橋勝さん(エレクトーン担当)は写っていますよね・・。
私の記憶では、最年長で恰幅の良い方が高橋勝さん、フルートサックス担当が川原弘さんという認識です。ドラムスを担当されていた一番若かった方(浜島さんだったかな?)が脱退されたの??
ベースの若い彼も最初から変わらないので、高橋勝さんはエレクトーンからドラムスに回ったのかな・・・。ギター担当だった方はちょっと松山英太郎似だったのでわかります。
もちろん、中井昭さんは長身だからすぐにわかりますね!
追記)もう一度ジャケットを見直したら、ドラムス担当の方が右端に写っていました・・写真から外れておりました。(大変失礼しました!)
ということで、結論は高橋勝さん脱退前に撮られたジャケット写真ということになります。
私は持っていませんが、1969年11月には井出せつ子さん「佐世保の夜」とのカップリングで「南国の夜」を発売、1970年9月には「静かに愛して/知らない女」という曲も発売されております。
今まではコロンビアでしたが、こちらはバンド解散後のソロ活動時代の曲で1970年12月発売の作品です。ビクター系のグリーンシティとかいうよくわからないレーベルになっています。自分のレコードでありながらメロディが記憶に残っておりません。
1972年2月に「旅人の詩/星降る街角」を中井あきらでポリドールから発売。
B面の「星降る街角」の方が評判が良く、後に曲名を入れ替えて再発売されました。
この曲は、敏いとうとハッピー&ブルーが5年後の1977年5月にカバーして大ヒットした曲です。
中井あきらの方は、あまりヒットはしなかったが、何度も聴いているうちに好きになりましたね。
又、「旅人の詩」は聴いているととても寂しい気分になる変わった曲でした。
一時、何度も何度も繰り返し聴いたりしておりました。
ジャケットは個人的には好きじゃない。何だか凡人の私には良くわかりません。
その後、1972年12月には「捨てる街/星空の舞踏会」、1973年5月には「長崎で恋よ燃え/旅立つあなた」という曲も発売されております。「札幌の夜」という曲もあったような気もします。
中井昭さん関連のすべてのEPやLPを所有している方はお身内の方か熱心なファンやマニアでない限りなかなか持っている方はいないのでは?実際、入手はかなり困難だと思う。
こちらは、三條正人さんと夢の競演という形で出されたCDでしたが、7曲のうち、3曲参加で「思案橋ブルース」、「私は野あざみ」、「星降る街角」が収録されておりました。
よって、「私は野あざみ」もシングル発売されたかも・・・ソロファーストアルバム(LP)に収録されていることは確認済ですが・・。
ソロでのファーストアルバムと「南国の夜」のジャケット
このジャケット写真は1977年に発売された「星降る街角/星空の舞踏会」です。
前に出した「星降る街角」のジャケットよりも数段良いと思います。
少々、わかりにくいが、当時の札幌(すすきの入口(交差点)から札幌駅前方向)の夜です。
「千秋庵」、「サンデパート」、「三越」、「コスモ」などの看板が確認できるのでわかりましたよ。
中井昭さんは、1971年頃に「全日本歌謡選手権」で見た記憶があります。
この時は残念ながら3週目あたりで不合格となってしまいました。確か巻き舌を指摘されたり、声量が足りないと言われていたように思う。35歳前後だった気がします。年齢的にも厳しい審査をせざるを得なかったかもしれませんね。昔、アイドルだった松島あきらさん(愛称はスピッツ)も不合格だったし・・・。
”懐かしのムード歌謡~~”系の歌番組には何故か一度も出演したことがありませんでした。
「思案橋ブルース」をぜひ聴きたいという声は絶対にあったと思うのだが・・・。
残念ながら中井昭さんは1984年2月に48歳の若さでお亡くなりになっております。死因は発表されなかったので私はわかりません。
「思案橋ブルース」はカラオケで時々歌っておりました。若い頃はもっと高音が出せたけど、悲しいかな、かなり厳しくなってきました・・・しかし、今でも大好きな曲の一つです。
良かったら、”いいね!”を欲しいところですが、クールファイブの名前は知っていてもコロラティーノを知っている人は60歳以下ではほぼいないと思う。売れたのは53年も前ですから・・・。
曲は、カラオケ居酒屋やスナックなどでオジさんが歌っているのを聴いたことがある人はいるかと思いますが・・・原曲キーが高いこともあるのか?皆さんあまり唄いたがりませんよ。
やっぱりオリジナルはキーが高いですよね!この番組は観た気がします。
巻き舌が特徴です~~
2番から実際の動画も観ることが出来ますよ~~。超貴重動画です。
やはり巻き舌が入っていますね~~
知っている人はほとんどいないと思う。おしゃれな曲で私は好きですが・・
これが本家「星降る街角」!ラテン系の仕上がりです。
”ウォンチュー”はないですよ~~。敏いとうとハッピー&ブルーだって当初はそんなものはなかったのです・・・だが今一つ売れなくて、”ウォンチュー”を入れたら大ウケで売れたのでした。