先日、とても久しぶりに家族とケンカになりまして、
結構な騒動に発展しそうでした…が、結論は持ち越したまま、
今はしごく平穏にやり過ごしています。
年齢を重ねて味が出たのかなぁなどと思っていましたが、
どちらが正しいとか、一体どうするんだ!などと迫るのではなく、
白黒つけずになんとな~く流れに任せているのだと気づきました。
「仕合わせる力が発揮されている状態とは?」と質問した時、
玄侑宗久さんは「「仕合わせる力」が発揮されている、ということは、
即答できない、ということです」と答えてくださいました。
直感的に何等かの方向性は感じているかもしれませんが、即答するということは、
何らかマニュアルのようなものに従っている可能性が高いからだそうです。
何とも禅問答のようですが、私なりの受け止め方は、
“仕合わせている=すぐに白黒つけない”ということです。
「はっきり言いなさい」や、「早く結論を出しなさい」など、
すぐに白黒つけることが推奨されることの多い世の中ですが、
即答できないものを抱えていられる力も、また大切なのかもしれません。
私にしてみれば、家族とのケンカの際に「即答!」とお互いが迫っていたら、
今頃大騒ぎになっていたと思われます。
どのような結論に行きつくかはわかりませんが、
少なくとも平穏に話し合える状態にあるのは有難い限りです。
玄侑宗久さん著「流れにまかせて生きる」には、
『なりゆきを決然と生きる』など、ただ流されるままお任せするのとは異なる、
仕合わせて流れにまかせる智恵が満載です。
〈ライター:斉藤知江子〉