日本画の技術を駆使して、いのししやきつねや熊、たぬきなどの動物を、まるで生きているかのように、毛並みの一本々々まで描き出す、それが木島櫻谷という画家です。
筆者は全く知りませんでしたが、先日偶然NHKの特集番組を見て、いのししの毛並みのふわっとした質感に、目が釘付けになりました。
さらにその人生にも。
 
櫻谷は1877年生まれ。
20代ですでに名を知られた画家であり、1907年に始まった「文部省美術展覧会(文展)」では、第一回から第6回まで連続入選を果たすという、まさに日本最高の画家でした。
 
ところが、その第六回文展日本画の部で最高賞を獲得した屏風絵「寒月」に対し、当時新聞記者だった夏目漱石が自らの記事で、痛烈な批判を浴びせたのだそうです。曰く
「屏風にするよりも写真屋の背景にした方が適当な絵である」と。
 
漱石の孫で、漱石研究の第一人者である夏目房之介さんは、NHKの番組で次のように語ります。
…   …   …   …   …
洋画って日本が近代に入って西洋の衝撃を受けてこれではダメだというので自分たちの絵画を作り出そうとしてできた運動の結果なんですね。
当然その実験は矛盾を孕むわけです。身悶えして近代の新しいものを作ろうとしている瞬間ですからそこに居心地の悪さとかしっくりこないところは当然あるのです。
漱石にとっては自分と同じような、自分が抱えている近代の矛盾の居心地の悪さとか歪みとか同じものを見たのではないかな。
自分を鏡で見せられているようなじゃないかなと僕は推測するわけです。
…   …   …   …   …
櫻谷は、漱石の批評に対して一言も語らなかったそうです。
 
その後、最近になって櫻谷研究が進み、彼の使った顔料に驚きの工夫があることがわかりました。
問題の屏風絵「寒月」では、当時としては大変効果だった「群青」(藍銅鉱:アズライトから創られる顔料)を焼いて、青の濃さを様々に変え、それを塗り重ねることで、日本画なのにまるで油絵のように使っていたのだそうです。
実は櫻谷は、時代の最先端を行く工夫を重ねた、とてつもなく仕合わせた画家だったのでした。
 
ご自身が仕合わせる力を発揮していたからこそ、漱石もまた仕合わせようとする苦悩の中にあることを理解していたのでしょうか?
櫻谷は晩年次のような言葉を残しています。
…   …   …   …   …
絵を描く時は
のっぴきならぬ やむにやまれぬ
心からの要求で 思うだけ
腹のふくれるだけ 描けば
それでよい
 
人が誉めても 笑っても
どうでもよい
世間の毀誉褒貶を
心外に置くこそ
作画の本意であろう…
…   …   …   …   …
潔さに惹かれます。
 
〈ライター:斉藤知江子
 
櫻谷の絵の参考サイト:
泉屋博古館のイベントページ
 

上記イベントのニュースのページ

 

参考番組:NHK

「孤高の画家 木島櫻谷 漱石先生 この絵はお嫌いですか」