母の背中に涙(-_-)/~~~ | お地蔵日記

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「お母ちゃん痩せちゃったね!」ちょっと会わないうちに母は老婆に・・ (+_+)最愛の夫(父)を亡くし9ヶ月。日に日にと病気(痴呆症)のせいか、あまり身の回りをかまわなくなってしまい昔の貴賓さすら・・?父が生きている時は、毎日化粧をして綺麗にしていた母。父との会話の中で、私を目の前にし「私も昔~。若い時は娘である私によく似ておった。嫁に来た時は近所の人たちが、何もようがないのに何かと言って私を見に来たもんだよ。」と言っては、父に「馬鹿いっとるな」と言われていた母も・・今は。 土曜の朝から姉と妹と一緒に母を連れ 三河温泉に行って来ました。三河湾に面した所にあり それは それは最高の眺めでした。食べ物も美味しいし、お風呂も広く、大宴会所では旅役者の芝居(午前の部は劇~午後からは歌謡・舞踊ショー)をゆっくり、お酒を飲みながら くつろいで見える憩いの場でした。 母は演劇を真剣にみいっては、笑ったり・泣いたりして喜んでいました。たまには、華やかな舞台を見せてあげる事も必要ですね。家におれば話相手もあまりいないし毎日仏
壇の前に座りながら亡き父との会話(返事・声すら聞こえない)。けど一番落ち着く場と言っています。私も その母の気持ちは胸が痛むほどわかります。息子を亡くし 今思い返せば、私も同じ事をしていました。辛さ悲しさ寂しさが体全体にのしかかった感じで、全てをシャッターアウトし自分の殻の中に閉じ籠る状態が長く続きました。回りの人は私に元気つけようと、色々励ましてくれ 今は感謝の気持ちですが・・その当時は・・??最後は皆「頑張りよ」と。言われても・・。私はいつも息子の骨が入った箱を抱っこして自分と戦っていました。「頑張って」の言葉は余計に自分が頑張れる状態じゃないのに鞭を打たれているようにも感じ・・また落ち込み。、どれだけ泣いて どれだけ苦しみ現実と向かい合えるの・・・?ねー教えてよ。と息子に問い掛けるが、返事はない。もー充分 人に言われなくても頑張っているのに・・ 皆はこの苦しみが、 どれだけのものか悲観的になり悲劇のヒローインを演じていたようにも今だから。思える。けど何年月日がたとうと、やはりその立場になってみないと わからないと
思う。私は母より先に辛い別れを味わい 母の気持ちがすごいわかります。だから「頑張りよ」は言いませ。「大丈夫だよ、ちゃんと私がついているからね、泣きたい時はいつでも泣いていいんだよ。けどね、時々笑う顔を天国にいる父に見せあげないと父が心配して成仏できないよ」と言ってあげます。お互い強くならないとね・・。 何年ぶりでしょう母と一緒に温泉風呂に入ったのは・? 久しぶりに一緒に入った風呂。母のやつれた体を見て言葉すら出ず心配が先に・・悲しくてしかたありませんでした。もともと大きな体じゃーないのに 一段と小さくなり骨と革だけになっており ちゃんと 食べているのかな?泣き言は、あまり言わない母ですので余計に。辛く涙が・・こらえるのが必死でした。湯煙が立ち上がってはっきり私の顔が見えなかったから、ちょうど良かった。泣き顔なんて見せれないよ。母が体を洗おうとしていたので私もその横へ行き自然に「お母ちゃん私が背中をを洗ってあげるよ。たまには親孝行の一貫だよ」と涙をこらえながら言って洗ってあげていた私でしたが、母はすでに私が泣いている事をわかっていました。
親ですね。「私の事は大丈夫だから心配せんでいい。こうして娘に背中をを洗ってもらえるなんて夢にも思わなかった。長生きして良かった。」と喜ぶ母でした。 親とは、子供にとって成長して行くうえでの強い支えなのです。親がいつも見守ってくれているから頑張れるのです。親は親で子はかすがいと言うように、いくつになっても可愛い子供の健康を祈り愛のメールを送り続けてくれる。この世で一番 信頼・信用でき私利私欲が入ってなく単純に自分の事を考え言ってくれ 無償の愛をくれ、自分を生んで育ててくれた親ではないかと思います。 人はみな、親からもらった愛をリレーしいくつかのハードルを乗り越えながら生きていますが、辛い別れは必ずあります。生きて元気なうちに めーいっぱい親孝行をして下さい。(物じゃーないよ。)たまには顔を見せたり声を聞かせてあげて安心させてあげる事だと 私は思います。 すでに親を他界された方も みえますが、広い空の上から きっとご先祖様と一緒にあなたの事を見守り続け優しい顔をして微笑みかけながら応援してくれていますよ。親から
子へ~子から親へと思いは一つです。 また長く書いてしまいましたが許してね! (..)ありがとう!