大舘能代空港より車で少し行ったところに世界遺産北海道北東北縄文遺跡群の一つである伊勢堂岱遺跡がある。
ここは17の選定遺跡の一つで一番南に位置している。
ここは良いことに遺跡博物館もあり、発掘された土器類などが展示されている。
黒い建物であまり目立たないが館内はよく整備された展示場がある。
右側には大舘能代空港滑走路への着陸機の進入灯がみられる。
地下に埋もれている古代遺跡は近代的建造物の建造工事の際によく発見されているがここの場合はこの付近を走る空港道路工事だったようだ。
ここのメインの一つである板状土偶。
この遺跡は今から4000年前の縄文時代後期にあったものである。
埴輪などこれから2000後のものは人間の顔かたちがかなり実際に近いものに出来上がっているが、この縄文時代にはまだ写実いう概念はなかったようだ。
かなり抽象と想像力がその形のテーマになっている。
これはこれで面白く、現代がキャラクターにしやすいユニークさがある。
この目玉が大きい土偶は他の地域でも出土しており、遮光器土偶が有名である。
ただ何のためにこうしたデフォルメ(抽象表現)した像を作ったかはまだよくわからないらしい。
しかし三内丸谷遺跡もそうだが、しっかりと発掘調査をすればいろいろなものがよく出てくるものである。
これは縄文土器による皿である。
たくさんのかけらをつなぎ合わせるのは、パズルとかが好きな人にとってはうってつけのものだろう。
さてここを出て、環状列石のある丘に行った。
縄文人は、日本に限らずどこでもそうだが、水のあるところに住む。
ここにも川が流れている。
そしてその周辺の低い丘は居住環境が非常に良い。
見えてきた環状列石。
直径20メートルくらいな円が石によってつくられている。
でも何となく形の定まらないボヤっとした感じの円状に配置されている。
この4000年の間に地下の土壌の微妙な変動やみずの影響でなどにより、少しずれ気味になってしまったのだろうか。
ここで気が付いたことが一つあった。
それは住居跡がないのである。
三内丸山には再現された竪穴式住居が作ってあるが、ここには全くない。
観光のため縄文ぽいものを作ってもよいようなものだが。
帰りに博物館の研究員にそのことを聞いてみた。
そうしたらこの環状列石は祭祀用のもので、この付近から住居跡は出ていないとのことだった。
従ってない物は作れない。
嘘展示になってしまうからだ。
これには納得した。
この縄文遺跡は日本全国にたくさんある。
どこにでもある。
ただまだ発見されていないだけだ。
今出てきているのは推測では全体の2%だという。
話は変わるが、昨日のニュースで佐賀県の吉野ケ里遺跡から大きな墓跡が発見され、近々発掘をるすそうだ。
目標は副葬品を探すこと。
それから確実に何かがわかる。
一番の注目点はこれが卑弥呼のものかどうかということだ。
時代は一致しており、盗掘(墓泥棒)にもあっていない。
これは弥生時代のことで、縄文遺跡群からは2000年も後の話だ。
吉野ケ里から日本史を揺るがす大発見があることを期待したい。