神戸からの国道2号線が姫路市の中心部にさしかかってくるあたりで、一瞬あれっと思って見つめたものがあった。
これはどう考えても姫路城だ。
背景の薄雲の下にひときわ白く輝く宝石のような城。
目が慣れるまで時間がかかった。
こんなに白かったかな。
近づくとますます白さが引き立ち、天に沖するその偉容は周囲を圧倒する。
そういえば姫路城は白鷺城。白もともとがコンセプトとなっている。
市営の駐車場を見つけ、車を置き早速中に入ってみた。
城の前の姫路城公園。
ここは野外コンサートやイベントでよく名前を聞く。
また説明掲示板によれば、ここは戦前には陸軍第10師団の駐屯地。
私の叔父は第10師団が戦地へでていった後の留守部隊である第110師団に徴兵され、中国河南省の戦線で6年間戦った。
終戦時は中国の古都洛陽近郊で迎えた。地図をみてもよくそこまで出ていったものだ。
幸いにも生きて帰った。子供の頃によくその話を聞いた。
城の跡地はよく大学とか高校になっているが、ここは違うようだ。
城の中の見学コースは、どこも同じようなものだ。
天守閣へ通じる緩い石段の坂道、急な階段、木のにおいが漂う板の間。
しかしここにはエレベーターはない。
体力的に厳しい人や、スカートをはいた人には登るのが無理だろう。
城の中身がこんな櫓模様だったとは初めて知った。
床の板や壁も白く新しい。
柱なども磨いてある。
中の説明掲示板と入場の際にくれるパンフレットでわかったが、実はこの城、昨年の3月に平成の大修理を終了し、改装オープンしたらしい。
通りで鮮やかだと思った。
また新規の近代化設備も追加され、うなぎ登りに増える外国人観光客のため、城内すべてにwifiが仕掛けられているらしい。
実は姫路城にはずっと昔にいったことがある。
思い出せば、それは昭和38年だった。
両親に連れられ、神戸の親戚を訪ねる途中ここによった。
米子からの伯備線は、蒸気機関車の引っ張る鈍行の各駅停車。
岡山駅で宇野からの準急『鷲羽』か、いや広島発大阪行きの急行『宮島2号』に乗り換える。
電化複線の山陽本線を走る急行列車のスピードは恐ろしく早く、またスムーズで、途中の和気、相生と過ぎ、あっという間に姫路に着いた。
当時でも姫路駅前にはデパートがあり、正面の道はすでに両サイドがビル街となっており、その先に姫路城が見えた。
これは今回の写真だが、この駅からの景観はいつみてもすばらしい。
当時もすばらしいと思った。
カメラを向けている人もずいぶんいた。
必ず写真を撮りたくなる場所だ。
さて城内では急な階段を上り、最上階まで行った。
昭和38年(1963年)にもここまでいった。
今回も天守閣の窓から姫路市の全容を見渡した。
ここは正面の先ほどの写真とちょうど反対の位置から見た様子である。
1963年にはこの駅側とは反対の山の方向を見たした。
その時見た姫路市の町並みは山の方にもずずっと長くつながっていた。
それもの平屋建ての低い瓦屋根の家並みが縦横に長く。
3階建て以上のビルなど一つもない。
その平面的な大きな町の風景など今までみたことはなかった。
また姫路は米子とは違い、大きな町であると実感した。
何故か今でもその光景が印象として記憶に残っている。
平屋の家並みのインパクトが大きかったせいかもしれない。
これだ。この光景だ。今は高いビルやマンションもあり、見た目の様子がでこぼこしている。
1963年にはこれが全部水平の家並みだった。
また瓦の色も同じようなものばかりで、それがさらに平面感を増した。
あれからほぼ50年。当然町並みも変わっていなければならない。
実はこのよくこの翌日にいく予定のところがあった。
姫路沖の海上に広がる家島諸島。
この家島には海上釣り堀があり、そこで釣りをして帰ろうかと思っていた。
姫路城の見学が終わると、例によって地産品を探しにスーパーにいってみた。
聞いたところでは、姫路で一番大きなスーパーはイオンリーバーシティとのこと。
城からは少し離れている。
食品売場をみたが、置いてあるものは大阪、神戸と大体同じで、特に地産品として代表するようなものはない。
播磨地方は関西圏で、姫路は大阪、神戸に近すぎる。
アナゴ関連のものはちょっと特殊すぎてで買う気がしない。








