ペトラ遺跡の主であるナバテア人。
実は歴史史料には一切記録がない。
旧新の聖書にもない。
1958年より始まった遺跡発掘調査により、その実在が明らかになってきた。
もし聖書などに一言でも記載があれば、大きく違っていたかもしれない。
紀元前後におけるナバテア人の支配領域は若干東にずれているとはいえ、ユダヤ民族の生存地域と隣り合っている。
アルカズナ宝物殿の広場にこういうコスプレをしている人たちがいた。
何だろうこれ。
個人の趣味でやっているかと思っていた。
そこでヨルダン人のガイドに聞いてみた。
『あれはギリシャ軍の兵士のまねですか。』
『違う。ナバテア軍の兵士だ。』 ここでわかった。
この時代の兵士はみんなこうしたスタイルが一般的なのだ。
ローマ軍も同じようなものだ。
史料もないのになぜこのスタイルが分かったのだろう。
どこかに壁画か何かがあったかもしれない。
一緒に写真をとったら、後で1ドルくれと言ったので、ダメと答えた。
ひょっとするとこれは個人でやっているのではなく、遺跡の運営側のサービスかも知れない。
すぐそばにはラクダが休んでいた。
ラクダは日なたでも全く平気みたい。日の陰で休むことをしない。
ラクダにはかつて中国の敦煌で乗ったことがあるが、歩くときに上下動があり、あまり良い乗り物とは思わなかった。
また立ち上がるとき激しく揺れるので、少し怖いというよりスリルがある。
女性にはイスラム教徒ではないのに、頭にスカーフをかぶっている人が多かったが、帽子と同じ日よけとしての効果はあるだろう。
これはいわゆるロバだと思うが、馬とどう違うのかよくわからない。
ラクダよりこちらのほうが乗り心地は良い。
住居跡とあるいは倉庫と思われる洞穴もあった。
しかし中には何もない。
ただ高い所なので眺めはよかった。
そしてもう一つ。こういうものもあった。
岩山に作られた円形劇場。
これは明らかにローマのものである。
ナバテア国はポンペイウスローマ軍に降伏し、その後ローマとの関係はよかったらしい。
ローマも受け入れ、ギリシャヘレニズムも受け入れ、固有の文化と習合させて、その後長く生き残る道を選んだのだろう。
ナバテア人は遊牧もしていたが、商業もしており、ペトラはその物資の集積地であったという。
各地と交流があるからもともと異質なものを受け入れる素地があったのだと思う。
自分たちの固有の神もいれば、エジプトの神、ギリシャの神も彫像の中に描かれている。
いわゆる多神教というものだ。
しかし363年に大地震があったらしく、それを境にナバテアは衰退し、北のキリスト教のローマ帝国(東ローマ)、南からおこったイスラム教のアラブ人勢力の中に吸収、同化されて、歴史から消えていったのだろう。
こういう手作りの珍しい民芸品が売っていた。
ビンの中で砂で側面に色に違った砂を使い、ラクダの模様を描くものであるが、小さいもので10ドルから手頃ではあった。
しかしここで買わなくても他の土産物店や空港などでもあるだろうと思って、買わなかったが、結局はどこにもなかった。
バックの中で揺れても形は崩れないそうである。







