はてはて、久々の更新となってしまいました。

前々から考えていたことを文章にして出力しようと思います。

昨今のTwitterのスポーツ界隈では、様々な団体が群雄割拠の様相を見せてまいりました。

・School of Movemont

・Azcare Academy

・PRI

・Spolink JAPAN

・sports alliance 

などなど、数えてみたら、キリがないかもしれませんね。
ここに、医師、栄養士、心理士、S&C指導者、AT 、PT、柔整、カイロなどの治療家、パーソナルトレーナー、研究者、大学院生、パワーリフティング勢、ボディビルダー、フィジーカー、筋トレ系YouTuber、ブロガー、インフルエンサーなどなど、含めたら、大変な数と分類になるはずですね。

ここまで、まとめるだけで、すでに頭がパンクしそうです。

要は、ギルドなんですよね。

専門職のフリーランスがプロジェクトごとに集まってセッションするような働き方が増えてくるのかなと思います。

こういう場合、今からそのなかに入ろうとしたり、団体を作ろうとするともう遅いんですよね。

先行利益は薄いし、美味しいところはすでにプラットホームを築いている人たちにもってかれちゃってますもん。

ゴールドラッシュで儲かったのは金を掘る人ではなくスコップを売る人だった、という話ですかね。


様々な団体がありますけど、所感といたしましては、専門性は異なれど同じ程度の能力や経歴を持った人間が集まって団体を組んでいるのかなと思います。

その人のもつ「格」とでもいいましょうか。

上位の団体では、修士号や博士号を持ち大学や専門学校での教員を兼務したり、医師免許を持ったり、プロのチームでの帯同歴を持った人間が多く、知識、技能レベルも高く、収益性や将来性も見込めると思います。

しかし下位の団体では、業績のない学生がメインで情報や技術が充実しているとは言いがたく、収益性も低く、イケハヤの脱社畜サロンのようなお金を払ってタダ働きをしているような感じかなと感じてしまいます。やりがい搾取感が拭えない。

トレーナー業界というのは不思議なもので、トレーナーだけでは生計が成り立ちづらく、トレーナーを教える側にまわらないとうまみがないんですよね
そのようなことができるのは、修士号以上を持つか競技歴が華々しい、容姿が優れているなどの希少価値が求められる傾向にあります。
専門学校や大学教員といった強大なスポンサーがないとトレーナーを生業とするのは厳しいのかもしれません。

結局、上位の団体にステップアップしていくには、学歴、技術、職歴、競技歴、業績などを高めてコネを作るというのが一般的になっているようにおもいます。
その方法の1つが、Twitterやブログ、noteなどを使い、いわゆるインフルエンサーになっていき、ふろむださんの言うところの錯覚資産を築くという感じですかね。
ブログといった執筆業になると、研究者や院生は、非常に強い。
英語の査読付き論文を要約して、どんどんブログに載せてくれる。
いわば、「知の商社」とでもいいましょうか。
スポーツを仕事にするとなると、スポーツ以外の能力がモノを言うことが少なくないですよね。


また、最近では、審美系スポーツやバーベルスポーツ出身者が、自身の競技の基本や「当たり前」を他のスポーツ競技者やその支援者に教えるようなセミナーがありましたね。
売る場所を変えれば、そのものの価値は変わらなくても、ビジネスになるいい例を見させてもらいました。
(メルカリにおいて、大きな古い専門書を書籍のカテゴリーでは売れなかったが、それをインテリアのカテゴリーで販売したらそこそこの価格で売れた、みたいな感じですかね。)


そんなのはいいんですけど、このようにスポーツという一見、華々しくキラキラした面が強調されるとともに、闇の面も深くなるんですよね。

最近では、ブログを書いたりノートを売ったり、自主セミナーを開催したりといったアウトプットを行うことが盛に推奨されるようになりましたが、そうすると河森さんみたいにブログをパクられたりするし。

知の輸入を行う商社からもたらされた情報は、下に波及されていくにつれて、劣化して陳腐化していくことをまざまざと見せつけられましたね。

「筋肉の超回復が」とか「乳酸が疲労を招く」とかの「スポーツ科学の知見」の名を騙ったクソ情報が世の中に蔓延るのも、原著を読んで情報のウラを取る能力がない人間が自分の頭でモノを考えることを放棄して権威主義に溺れて「〇〇先生がそういってるんだから、そうなんだろう」と指導者としての立場性を利用してクライアントや学生にドヤ顔で言葉を発してることに原因がありそうですね。

書きながら、気分が悪くなってまいりました。



現代社会では「何者かになれない」人間に対して冷たいんですよね。
ある集団へ所属することが、自身のアイデンティティと深く結びついていますね。
これは高須賀先生も言っていますし。
社会的動物であるがゆえのバグみたいなものですかね。

オンラインサロンや各団体は、社会的立場や錯覚資産や知識や技術の権力勾配のもと、「何者かになりたい人」を食い物にして自分たちの養分にするような構造が見受けられるかなと思います。

様々なスポーツ・トレーナー団体が設立されていくなかで、資格ビジネスの様相すら呈すようになりました。


教祖様になるのは、不条理な社会で生きる我々を納得させるストーリーがあれば十分なんですよね。
その教祖様のいる集団の規律の方が厳しいのに属してしまう。不思議なものですね。

カタギの世界の規律が嫌になって、自由を求めて任侠の世界に入ったら、そっちの社会のほうがカタギよりもはるかに厳しい規律があった、みたいな話ですよ。


情報発信をしてくれる個人にしても団体にしても、便利だし、ありがたいけど、自分が学習して、ウラを取っていく作業を怠るとアヤシイ宗教やオンラインサロンと変わらなくなりますね。


少しでも、自分が信じる良心に恥じないために、真っ当であるために、情報のウラを取って消化することをやめちゃいかんのですね。

毎日、ともすると、「そっち側」に堕ちてしまいそうでヒヤヒヤしてますよ。
そういうときはバーベルを握ります。
ひとまず、私はこれをより重い重量で、速く、正確に挙げることだけに集中すればいい。
ある種の祈りと浄化のようなものですかね。

15歳の自分に恥じないように、当時の自分との約束を守ることが、私を進めています。