つばきちゃんは、

映画「うまれる」の中で、

死産でうまれてきた赤ちゃん。

 

 

池川先生とのコラボ講演会で「うまれる」の上映をして、
そのつばきちゃんについて、お話をしました。

 

つばきちゃんのように
死産でうまれてくる赤ちゃんもいますが、
出産する時には、何が起こるか解りません。

流産や、妊娠中絶で亡くなってしまったり、
うまれても、早産が要因で亡くなってしまう赤ちゃんもいます。

「わたしも流産で、赤ちゃんが死んでしまいました」
講演会では、そう言われるお母さんが何人もいました。
 

みんなの話を、涙ながらに聞いていた方も

少なくなく、何人もいらっしゃいました。

そんな姿を見ていると、
多くの人たちが人知れず、

 

「赤ちゃんを亡くしてしまった悲しみ」
抱えているということがわかりました。

うまれてこようとする赤ちゃんの命が
亡くなってしまうのですから、
それは辛くて悲いものです。

「自分のせいで死んでしまった」
そう言って自分を責めてしまうお母さんもいました。

 

会場ではそんなふうに、自責の思いを

感情的に話されるお母さんがいて、

 

彼女の話が一息ついた時、

僕はこう聞いたのです。

 

「その子は、男の子じゃなかったですか?」

彼女は質問の真意が良く解らずに

軽く口を開けてぽかんとしていました。

 

「あなたがその子を思う気持ちは、

『その子の思い』をそこに居させてあげるんですよ。

 

とても優しくて、お母さん思いで、

 

『そんなに悲しまないで。僕は此処にいるよ』って、

お母さんのスカートの裾を引っ張っていますよ」

 

僕がそう言うと、

 

彼女がずっと抱えていた

緊張の糸が突然切れたようで、

 

目から涙がボロボロと流れてきて、

 

「ありがとうございました」

と言ってくださったのです。

 

目に見えるわけじゃないけど、

耳に聞こえるわけじゃないけど、

 

彼女は僕の言葉に、

 

「本当に此処に、その子がいる」

って感じたようでした。

 

その後も何人かの方が、

亡くなった赤ちゃんの話をしてくださり、

 

僕は、こんなふうに、

その子たちについて話をしたのです。

 

 

亡くなった赤ちゃんたちは、

今でも家族の一人で、

 

目に見えない世界から

家族を一緒にサポートしているのです。

 

亡くなっていく赤ちゃんにも意味があって、

家族の一員として

家族の誰かを助けてくれているのです。

 

今生きている家族や兄弟が、何かに秀でているなら、

それは目に見えないサポートがあるからです。

 

 

私たちは実は、目に見えない世界からのサポートがないと

生きていけないのです。

 

私たちは、目に見えない世界から

前に進む力を受け取っているのです。

 

 

死産や流産、そして妊娠中絶で亡くなっていく赤ちゃんには

意味があって、

 

意味のない命など、一つも無いのです。

 

いのちは、死んでしまったら

それで終わりというわけでなく、

次の世代に繋げるため、

 

そして、自分の思いを

次のいのちに託すために

私たちは今、生きているのです。

 

もし愛する人を亡くされて

悲しんでいる方がいましたら、

 

亡くなったその人は、目に見えない世界から

あなたをサポートしている。

そう思ってあげてください。

 

そんなふうに話をすると、

多くの方々の目から涙が流れてきて、

 

誰かを亡くされて悲しんでいた思いが

涙と一緒に流れ出ていったようで、

すっきりとした顔になられていったのでした。