世の中には様々な情報が溢れており、その中で何を信じるか、何を真実だと思うかは十人十色ですし、人それぞれ自分の信じる世界観の中で生きているのがそれぞれの人生かも知れません
自分が信じているものが否定される情報に触れると、ややもすると自分も否定されてしまうような氣持ちになり、抵抗感がある場合も多いかと思うのですが、昨年秋頃から自分の中にある常識感の一部見直しが続いており、目下“整理整頓”の真っ只中です
思い返してみると、私自身の常識感の大きな変化のトリガーとなったものはいくつかあるのですが、
最初は書籍「フラワー・オブ・ライフ(第1,2巻)」でした。世界各地でみられる神聖幾何学のフラワー・オブ・ライフ、地球と宇宙との関係、地球の歴史等の話は、私にとっては難解ながらもしっくり来る興味深い話でした
二つ目は2020年の米国大統領選挙の頃にweb上から情報収集した様々な驚くべき話の数々でした。これらは今後情報開示しようとする動きがみられています。2012年頃から読み始めた「アナスタシア」シリーズの中に、その本質となる概念が何度か出てきたのですが、当時は何のことか理解できませんでした
そして、三つ目は昨年社会的な話題?にもなった“2025年問題”と、SNS上の一部で盛り上がっていた“〇○〇撤退”の話題から感じた違和感がまさに引き金となった“どのような話を信じるか”の雪崩的な総崩れ状態であり、時期を同じくして目に入ってきた情報(多くの人が信じて疑わない常識を一刀両断するような内容)も重なり、自分が学んできた情報の“掃除洗濯整理整頓”が進んでいます
自分が何を信じるのかは、最終的には自分が決定することですが、三つ目については、最初から微かに感じていた数々の“違和感”をもっと大切に捉えることが重要であったと感じています
~違和感を大切に~
それは、2018年久高島を一緒に旅行した仲間を通じていただいたメッセージでした
最後までお読みいただき、ありがとうございました