葬儀屋が母の遺体を自宅に引き取りに来た日。 | あの日夢見た10年先へ【2nd season】

葬儀屋が母の遺体を自宅に引き取りに来た日。

母の火葬式から、10日間が経ちました。


未だ悲しみが減ることはありませんが、

自分の気持ちに整理をつけるために、

前に進むために書いています。



弔事で書き損じていた逝去後のブログを

連続して、綴っています。

 


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昼食を食べ終わった頃、母の中学時代の女友達が

母の顔を見に来てくれた。



現在、横浜で夫と娘家族と住んでいる女性だ。



母が余命宣告を受けた後、逝去後は

何かあったら彼女に頼りなさいと、

母の計らいで先月に顔合わせをしていた。



介護ベッドに横たわる母に手を合わせ、涙ぐむ。



母を横目に、色んな学生時代の話をしてくれた。



母が英語の教師をしていた時のこと。


コカコーラ会社の秘書をしていた時のこと。



今まで知り得なかった僕が生まれる前の

母のことを幾つか教えてもらった。



母はベッド上で薄っすらと笑みを浮かべていた。




それから僕の友達で、母と面識のある

仲間や知り合いが、立て続けに来てくれた。



今日までずっと一人で母と向き合ってきて

何処にも吐き出す場所がなかった僕は


皆の訪問に安堵したのか、一言口を開く度に

わんわん泣いてしまっていた。



皆、よく頑張ったねって、お疲れ様って

どんな話も優しく聞いて、受け入れてくれた。




あっという間に夕方になって、

葬儀屋が母の遺体を引き取りに来た。



スタッフが2人がかりで、母を持ち上げ、

玄関先のストレッチャーに乗せて車に積み込む。




“安全に運転して霊安室に保管しておきます”



そう残して、母は居なくなった。




さっきまで、皆が居て、母も居たのに

部屋に、ぽつんと残された僕は

急に寂しさに襲われた。



だって、3ヶ月近く、毎日一緒に居た。



急に1人になった僕は、空虚感に包まれる。





母はどんな気持ちで過ごしてきたんだろう。



難病診断されてから2年近く、

この部屋で、このベッドで、1人で過ごしてきた。



両親も居ず、夫も友達とも疎遠で、唯一の

心の支えだった僕からも素っ気なくされていた。




「旅行に連れて行って欲しい。」


「2人で食事に行きたい。」




様々な願望を電話や会う度に言われ続け、

その時間を作ろうとするも、


母の圧力に耐えきれなくなり、

僕は母を避けるようになっていた。



周りは口を揃えて言ってくれる。


親の要望に全て応えなくても良いし、

応えれなかったことに、悩み続ける必要はない。



十分に親孝行をしてきた。



3ヶ月近くも、仕事や私事をセーブして

毎日一緒に居た、それだけで喜んでるよ。



僕を慰めるように、周りからは散々そう言われた。




けど、僕にしか分からないこともある。



もっとしてやれたという後悔は拭えない。



母はきっと、そんなことくらいでは、

心から喜ばないのは僕が良く知っている。



この3ヶ月の介護は、これまで母の想いに100%

応えれなかった、せめてもの償い程度に過ぎない。



母の寂しかった気持ちを味わうために、

母が寝ていたベッドで寝てみる。



悲しかった、胸が痛かった。




母が過ごしてきた辛さや、やるせなさ、

色んな気持ちを自己投影させてみる。



今日はここで、この気持ちと向き合いながら

火葬式の時間まで、寄り添おうと思った。



それが母に対する、せめてもの償い。



僕は頭が変になっているのだろうか。



永遠に報われることがない

無限ループに陥っていくようだった。