今回は「土佐稲荷神社」を参拝。
土佐稲荷神社とは?
土佐稲荷神社は、その名の通り、「お稲荷さん」を祀っている神社だ。
「お稲荷さん」を祀っている稲荷神社は全国各地に存在するが、なかでも土佐稲荷神社は「堺事件」と「三菱グループ」にゆかりのある神社で有名である。
創建は不明とのことだが、神社の公式な発表では、安土桃山時代に築城した大坂城に使われた石に只ならぬ畏きものがあり、これをお祀りしたのがはじまりなのではないか、とされている。この石は非常に霊験あらたかであり、航海安全の神として多くの参拝客があったそうで。
1717(享保2)年、土佐藩6代目藩主である山内豊隆が、伏見稲荷大社より御分霊を戴き、合祀して以降、「土佐稲荷神社」と称するようになった。
このことから、江戸時代の参勤交代において、土佐藩主山内氏代々家は大坂を通る際に必ず土佐稲荷神社を参詣し、社殿の修繕は藩費で行われていたらしい。
堺事件とのかかわり
大政奉還により、政権が江戸幕府から明治新政府へと移った翌年の1868年、鳥羽・伏見の戦いが起こると、大坂町奉行に代わって堺を警備していた土佐藩兵と、当時測量のために堺を訪れていたフランス帝国水兵との間でいざこざがあり、殺傷事件へと発展した。
これを堺事件というが、フランス帝国の水兵が11名も亡くなるという事態に、当時の駐日仏公使であったロッシュはひどく哀しみ、「事件にかかわった土佐藩兵は処刑すべし」と怒りをあらわにした。
ロッシュは土佐藩主である山内容堂と明治新政府に対し、土佐藩兵の処刑や山内容堂の直接の謝罪、賠償金の支払いを含む5つの要求を突きつけ、戊辰戦争により兵力を東京方面に割いていた明治新政府側は、この要求の大半をのむしかなかった。
だが、土佐藩兵の処刑に関しては、ロッシュとの交渉により、土佐藩兵全員ではなく、うち20名を切腹による処刑とすることになり、土佐藩兵の指揮官4名を除く29人の中から、みくじを引いて処刑する人を決めることになったらしい。
そのみくじを引いた場所が、この土佐稲荷神社なんだとか。
みくじを引いて決まった16人に指揮官4人を足した20人が処刑の対象となり、翌日処刑場所となる堺の妙国寺へ護送され、フランス帝国水兵の死亡数である11人を処刑した時点で、フランス帝国側から死刑執行中止の要請があり、9名の命が助かった。
ちなみに、助かった9人は「恩赦八士」といわれている。「八士」なのは、恩赦が決定する直前にお亡くなりになられた方がいたから(死刑執行中止命令と恩赦の正式な決定は違う日)。
もしかしたら、土佐稲荷神社のお稲荷さんのはたらきがあったのかもしれない。
なお、堺事件について、土佐稲荷神社へ問い合わせることは正式に禁止されている。迷惑をかけることはやめよう。
三菱とのかかわり
堺事件の後、土佐藩蔵屋敷とともに土佐稲荷神社は、三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎に譲り渡された。
岩崎弥太郎はこの北堀江の地で事業を営んだことで、結果として北堀江が三菱財閥の発祥の地となり、江戸時代には土佐藩によって行われていた社殿の修繕が、岩崎弥太郎に引き継がれることになった。
以来、現在まで土佐稲荷神社は三菱グループの守護神となっており、毎年三菱グループの繁栄を願う祈願が行われている。
鳥居・参拝入り口
手水舎
本殿
伏見稲荷大社と同じ、宇賀御魂大神をまつっている。
社務所・その他
境内には末社がいくつかあり、スサノオノミコトなどが祀られている。
社務所は、15時くらいには閉まってしまうようです。御朱印は書置きのもの。
アクセス
【住所】
〒550-0014
大阪府大阪市西区北堀江4-9-7
大阪メトロ長堀鶴見緑地線・千日前線西長堀駅から徒歩3分
大阪メトロ御堂筋線心斎橋駅や四つ橋線四ツ橋駅からも歩いて行ける距離。