今、ドリブルを教えている中で、自分の中での考え方の変わり始めている。
これまで指導してきたときは、強いドリブルとは、競った相手を力で押し込むといった強さを求めてきたのですが、決して、間違ったことではないとは思いつつも、今は競った状態をいかに回避するかといった考え方に変わり始めている。
競ったときは、強い者、大きい者が勝つ、そうであれば、あえて競る状況を一時的に回避し、再度、アタックする方法が、身体能力の劣るマッチアップで、1対1に勝つといった結果への近道なのかもしれないと。
これは私の教え子、今は素晴らしい指導者となったKから教えて頂いた考え方です。
相手の強いところにあえて「がっぷりよつ」で向かい合うというのは、指導者の思いの一つであって、それを乗り越えるための選手を根気よく育てるか、それとも「逃げながら勝負する方法」を選択するのか、ここは指導としての考え方で左右される。
思いは「強い気持ちで相手に向かっていく」、そんなことがどこか私の指導感として残っている…これがいいのかわるいのかは、私にはわからない。
フィジカルバスケから、スキルバスケに…。
ただ、同じことを、この十数年経った今でも、同じようにすることが自分にとっても「面白みがない」といえば落としどころになるのだろうか。
今、未だに、昔の記憶が邪魔をする…。
過去の栄光とまではいかないが、やり切った感、達成感、満足感があった遠い記憶が、どうしても「もう一度、味わいたい」という勝手な欲求が、今、目の前にいる子ども達を「道具」に変えてしまう。
これはいわば、“自己満足の極み”です。
先週にあった大会で、私は指導者ではなくなりました。
自分の思いを、子ども達、選手達に押し付けたから。
エンジョイしているのは「誰」か?
そう、私であると同時に、子ども達、保護者、レフリー、大会関係者、そしてバスケに情熱を注いでいる仲間たち、みんながエンジョイすることが真のスポーツマンシップなのでしょうか。
「全国大会」「近畿大会」…目標として掲げてきた言葉は、実は、彼らに多くのリスクをおかさせているワードであって、「結果が全て」の考え方に導いてしまっている危険なカケをさせているのかもしれません。
今、目標ありきで、目的がカスレはじめている気がして…“我を忘れた自分”がいかに危険かを感じています。
だから、私はもう、その言葉は使わない、そう決めました!
このブログも私のチームの関係者も多く読んでくれています…ありがとう!
私を指導者として受け入れてくれたこと、チームの指揮を任せてくれたこと、何より、子ども達を預けてくれたこと…感謝しています。
だからこそ、大会の結果は「後からついてくる!」だから、今、彼らがやることは、バスケットで自信を持ち、自分がやれる、変われると感じること、気づくこと。そして、何より「バスケットが楽しい」と感じられること。
これが本当の目的であり、それはブレてはいけないということ。
決して、あきらめたり、逃げたりした訳ではありません。私なりにやらなくてはいけないと「手段」を選んだ訳です。
まだ、心の底から…本心で…言えてないのかもしれませんが、それはこれからの私の行動、子ども達の成長が「答え」になりますので、どうか、見て判断してください。
怒る、怒鳴る、強く指導する、叱咤激励…言葉では違いが分かり難いですが、ベースにあるのは、相手を「奮い立たせる」ための策。
奮い立たせるために取る手段は…他にもある…ということ。
私は「古い人間」なのか…老兵として片づけられることなのか、そんなことを考えながらも、“笑顔”で子ども達の前に現れる「スーパーヒーロー」になってみせます!(笑)
…僕のヒーローアカデミアの“オールマイト”の言葉に心震える今日このごろ。
「私が来た!!」。