前回から随分間が空いてしまいました。

 ええと、今確認したら4か月。

 実はその間、紹介したい本を三冊、何度も図書館で借りては返し、借りては返ししておりました…。

 そのようなわけで、まず二冊紹介します。

 

 美術家の田部光子の著作で、『二千年の林檎 わたしの脱芸術論』(西日本新聞社)と『着信人払い地球郵便局』(葦書房)です。

 

二千年の林檎 二千年の林檎
 
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 おそらく、どちらも出版年が古くなかなか入手できないかと思われますので、興味を持たれた方はとりあえず図書館で探してみてくださいね。

 

 私は絵を描くのが大変下手ではありますが。

 小さいころから身近な存在でした。

 それは、三つ上の兄が園児のころから近所の集会所で開かれているお絵かき教室に通っていたからです。

 そして、兄の真似したがりの私は小学生になった時に同じ先生の門戸を叩きました。

 その先生のお名前は大黒愛子さん。

 ほっそりとたおやかで美しく、静かな声の先生でした。

 そして、我慢強かった。

 私たち子供が遊び半分に書き続ける絵に、静かに静かに筆を加えておられたのを今も覚えています。

 床にブルーシートを敷いて、低学年の子たちは水彩画、中学年以降は油絵を主に習っていて、よくみんな水入れをひっくり返したり油をぶちまけてしまったりしていたなと・・・。

 とにかく、子供たちを一室に集めると雀の集会のように賑やかでした。

 それでも、先生が声を荒げた記憶はないのですよね。

 いつでも平常心だった。

 まあ、子供とはそういうものだと、この歳になると妙に達観してきたりもしますが・・・。

 そして年に一度くらいの割合で、天神のギャラリーで生徒たちと先生との作品展を催していた記憶が残っています。

 その時、先生の旦那様の小幡英資さんの作品も展示されていたのですが、それが私の中では衝撃で。

 畳一枚くらいの大きなキャンパスを真っ黄色に塗りこめて、そのど真ん中に流木がどんと貼り付けてある・・・。

 親に連れられて観に行く美術展は印象派以前のものが多かったので、殴られたような気分でした、本当に。

 これは絵と言って良いものなのかと、動揺しました。

 その時の大黒先生の作品は対局にあり、小さな画面に淡い色彩で白い馬や少年が描かれていた・・・ような。

 子供なりに、「え?夫婦として合わないのでは?先生こんな人と大丈夫?」と、余計な心配しましたね…。

 本当に余計どころか下種の勘繰りと痛感したのは、高校受験を言い訳に画塾を辞めて、ずいぶん経ち、こうしてネットが発達するようになってからのこと。お二人の名前を想いつつくままに検索して・・・いえ、そうではなく正確には去年のことでしょうか。

 福岡市美術館は現在改装のために休業中ですが、その閉館直前に九州派という昭和の前衛美術集団についての企画展を観た時です。

 九州派とは、1957年の福岡にて桜井孝身、オチオサム、働正、菊畑茂久馬らを中心に結成され、既存の美術システム(東京)から独立を宣言した美術家たちの集団のことを言います。

 その活動は前衛的で、朝鮮戦争や労働争議など社会問題にも着目し、労働運動や文学者ともかかわりを持ち、いわゆる無頼派の色濃いものだったと思われます。

 その中心メンバーの中に、大黒愛子さんと小幡英資さんの名前がありました。

 そして、九州派時代の大黒さん先生の作品を改めて拝見した時。

 私の中で色々な物が崩されました。

 先生…。

 本当に、九州派を愛して根を下ろしておられたですね。

 パフォーマンスも大変荒々しく、若さと血潮たぎる、この荒くれ集団と言っても良い、九州派の中にしっかりと。

 今更ながら先生についてもっと知りたいと思いましたがすでに他界されていて、なかなか難しいと思っていた時に知ったのが、同じく九州派に所属されていた田部光子さんの個展でした。

 2017年の七月にみぞえ画廊というところで開催されていたのを、友人が観て見てたいと誘ってくれたのがきっかけで、実際にはその作品の力強さに圧倒され、魅了されました。

 そして、田部さんの著作が図書館に存在することを知り、今に至ります。

 

 ・・・大変長い前置きになりました。

 今回紹介した二冊には、九州派についての記述が数多くあります。

 もちろん、田部さんが作品によく使われるモチーフ・林檎についても滑らかに語られておりますので、ご覧ください。

 田部さんは文章の力も大変素晴らしく、パワフルで明朗快活。読み手がうっかり引き込まれてしまう、なんとも恐ろしい方でした…。

 表現手段としての指先からなんでも描き出せるなんて、本当に羨ましいです。

 渡米・渡欧時代のお話も大変面白いのですが、中でも、九州派についての田部さんらしい見解には笑ってしまいました。

 

『 「九州派」が死亡率がやたら高いのは、アスファルトが原因かなどと心配になってくる。常時二十人足らずのメンバーのうち、八人もの故人を出している。しかし、この早く死んでいったメンバーはアスファルトピッチはあまり使っていないのが不思議である。(中略)

 なぜ、「九州派」の連中は、がんで死ぬのだろうか。ネオ・ダダの連中は、がんになっても死なないのに。意外に淡白な生命力、「九州派」が強かったのは、酒だけだったのか。』

(『二千年の林檎 わたしの脱芸術論』(西日本新聞社) 19頁「スファルト・ピッチ」より引用)

 

 九州派を語る時、ついつい田部さんは辛口で表現しますが、その中に強い愛着が垣間見えて、その青春の輝きを感じることができます。

 大黒先生も、小幡先生も、きっとそうだったのではないかと、今は思います。

 美術家として、己はどの道を進むべきか。

 つねに挑み続けておられたのではないでしょうか。

 1962年に九州派は解散。

 こうしてみると僅か5年あまりの出来事で、それから現在に向けて、それぞれ美術活動をされて、素晴らしい作品が次々と生まれました。 

 私は残念ながら良い生徒ではありませんでしたが、美術に親しむ土壌は先生に作っていただいたと思っています。
 さまざまな事象を楽しむ、ということは人間に与えられた特権ですね。
 これからはもっとアンテナを張って、貪欲に美術の世界を見つめていきたいと思います。

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描け。

テーマ:
 あえて、大人の本のカテゴリーにしました。
 漫画家東村アキコさんの自伝的作品『かくかくしかじか』。

 根拠のない自信ではちきれそうな高校三年生の作者。

かくかくしかじか 1/東村 アキコ
¥802
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 己を天才と信じ、さらっと美大に行って在学中に漫画家になり、ドラマ化が縁で卒業後は俳優と結婚・・・と言う夢を見ていたところ、美大を受ける予定の同級生に誘われて(というか、鋭い突っ込みを入れられ)、海のそばにある画塾に行ってみることにします。
 まずは、その師となる日高先生は出会いの瞬間から強烈な人で、そのエキセントリックぶりに衝撃を受けるアキコ。
 美大を出たわけではない男にどうして色々言われなきゃいけないんだと脱走を試みたりするものの、実は日高はただ絵を描くことのみに情熱を傾けているだけで、お人好しで単純なのだと気付き、その純粋さに好感を持つ一方、羞恥を感じ、心の底で思うことの一つも口に出す事が出来なくなります。
 一つは、美大に行きたいのはなんとなく格好いいからとか、絵描きになりたいのではなくて漫画家になりたいのだとか、そんなことの一つ一つが積み重なって、やがてアキコは先生のそばにいることが苦しくなってしまう。
 そして、大学生活、漫画家生活、恋、友達付き合い、馬鹿騒ぎにまぎれて時は流れ…。
 どんなに時間が経っても疎遠になっても、先生は変わらない。
 あろうことか、片腕もしくは後継者としての期待と信頼の厚さを感じ、それに応えられない苦しさにもがくことに。

 これは、東村さんの日高先生に対する思い出を綴った言うよりも、懺悔だと思います。
 ごめんなさい、ごめんなさい、本当のことが言えなくてごめんなさい、逃げだしてごめんなさい、放り出してごめんなさい、見ないふり、気が付かないふりをしてごめんなさい。
 あとからあとから、後悔の念が押し寄せてくるのを、四十過ぎた作者が一度全部さらけ出して吐き出して、描ききった作品です。
 正直、読むのが辛いところがたくさんありました。
 それは多分、自分の中にも東村さんと同じ部分がたくさんあったからだと思う。
 とうに昔に忘れたつもりのそれを突きつけられるのは、本当に辛いな・・・。
 私も子どもの頃から中学生にかけて絵を習っていました。
 公民館の二階で、火曜日だったかな…?
 一階は算盤か習字かの教室があっていて、一階も二階もケモノな小学生たちで大騒ぎ。
 もちろん私もその日の課題を仲良しの女の子たちと喋りながら適当に描いて、「せんせー、できたー」と言うと、ほっそりして穏やかな大黒先生という女性の先生が静かにゆっくり筆を入れて仕上げてくれるのを待つ、という日々でした。
 結局私は大黒先生から何一つ学ばず、ただ好き勝手に描いていただけで、デッサンもパースもくそもない、元気だけが取り柄の絵を適当に描き続けました。
 もちろん仲間の中で芸術を目指した人は何人もいて、彼らはきちんと先生に相談して進路を進んでいたようです。
 ・・・ということを、大人になってから親から聞きました。
 ましてや先生が前衛集団九州派なんていかついグループに所属して作品を発表していたことなど、ネットが発達した今になってようやく知った次第です。
 私の知る先生は、とても静かで。
 そんな無頼派青春時代を過ごした方とはとうてい思えなかった。
 先生の情熱も、心意気も、全く感じとることなくおよそ9年の受講は高校受験を理由に幕を閉じて。
 毎週毎週、油絵の道具とキャンパスを自転車に積んで公民館に通った日々は、時には楽しく、時には苦痛で、最後は惰性に近かった。
 なぜ、先生の指導を真面目に受けようとしなかったのか後悔し続けるのは、もう随分前に先生が病気で亡くなられたと風の便りに聞いたからでしょう。
 若い時にどんな絵を描かれていたのか、いつか探しに行ってみたいと思っています。

 ・・・というか、ここでぶちこわしにするのはどうかと思いましたが、現在も私の絵は超絶下手くそです。
 小学生なら、元気だねー、かわいいねーで、済みますが、大人になってしまった現在、シャレにならないレベルです。
  なのに今、仕事で絵を描いたり空間を飾ったりする機会が結構あるので、デッサンと色彩について、あの世の先生に土下座してでも習い直したい気分になることが多々あります。
 だから言います。
 先生、あの頃は本当にごめんなさい。



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かなしみとは。

テーマ:
 紹介したい本が山積みですが・・・。
 まずは、友人から借りてそのまま握り続けている本から(ごめんなさい、確かこの本引越前から借りてましたよね・・・、二ヶ月超えちゃった・・・)。
 『逢沢りく』 ほしよりこ 文藝春秋刊

逢沢りく 上/文藝春秋
¥1,080
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逢沢りく 下/文藝春秋
¥1,080
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 『今日の猫村さん』のほしよりこさんの作品。
 何が凄いって、鉛筆画のまま(ですよね?)発行されている点です。
 以前、他の作家さんで鉛筆画のまま掲載されているものを見たことがありますが、それは、申し訳ないけどやっつけ仕事でネタとして熱いうちに打て的な印象を受けました。
 しかし、ほしよりこさんの場合は作品として確立されているとしみじみ思います。
 正確なコマ割りやペン入れ、そして画像処理をほどこすと却ってバランスを崩してしまうと、多分、文藝春秋側も判断したのではないでしょうか。

 主人公は、14歳の逢沢りく。
 裕福な家庭の、理知的な美少女。
 ドラマに出てきそうな美男美女の両親、その暮らしの中で、自分は特別な少女なのだという意識だけが存在し、その他のことは『解らない』。
 悲しみも、喜びも解らなくて、ただなんとなく『泣いてみようかな』と涙をこぼしてみると、それは美しい姿であったらしく、彼女を繊細なガラス細工のように周囲は扱い、だんだんと演じてしまうようになる。
 そんな中、父が部下を愛人にしていることを知った。
 そして愛人の悪戯から母を守るつもりで取った行動が、逆に気味悪がられる結果になり、大阪の父の親戚の家へ送り込まれることに。
 『蛇口をちょっとひねるように、嘘の涙をこぼすことが出来る』りく。
 彼女の涙を見た人は、面白いほど、思惑通りの反応を見せてくれた・・・筈だった。
 しかし、その魔法がなぜか新天地では通じない。
 そして、彼女はいつしか一滴の涙もこぼせなくなった。

 これより下はネタバレ要素も含みますので、それが駄目な方はご遠慮下さい。

 母親が毛嫌いしていた筈の関西弁世界に放り込まれたりくが、熱すぎる愛情と手荒い歓迎に翻弄される話・・・と、くくって良いのか。
 ただ、フランス映画にありそうな両親の曲がった恋愛関係の中にいたら、そのまま『悲しみよこんにちは』(サガン作)のような展開になったのだろうな、と思います。
 そうならなかったのは、大阪の大家族たちの懐の深さと愛情と、にぎやかな関西弁のおかげかな。
 そして、ちいさな時ちゃんの役割が一番大きい。
 幼い男の子の無邪気な言葉の一つ一つに心を洗われていく課程を見るにつけ、冷え切った東京の箱庭から放り出されたりくの幸運を思います。

 中学生から高校生は、成長していく身体と心をもてあます時期でもあります。
 既にいい歳になったオトナに冷めた目を向ける一方、時々、子どもの頃そのままの両親の愛情が欲しくなったり。
 にぎやかな周囲を鬱陶しいと思う反面、独りになると不安になる。
 どうやって折り合いを付けるのか、試行錯誤の日々なのだと思います。
 極端な表現だけど、山の尾根を歩いている様な感じ・・・かな。
 目に映る景色は最高だけど、気を抜いたら踏み外して滑落してしまいそうな恐怖がつきまとう中、歩き続けなければならないのです。
 そんな時、一人でも良いから、手を繋いでくれる人がいたら。
 きっと、歩くことを楽しめると思うのです。

 一切の感情を知らない人形が、「かなしみ」、そして「心のありか」を知る、そんな話です。


 鉛筆画でここまで描き上げられた傑作を、私は初めて読みました。
 機会がありましたら、ぜひ。



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