今回は、久々に大人の本。
カテゴリーとしてはそういうことにしたのですが、YAくらいになったら読んで欲しい本の一つです。
小学生の間、母に漫画を読むのを制限されていました。
全く駄目ではないけれど、本棚に並べられるほどはなく、読む時間も制限されていたり。
ただ、女の子同士のお付き合いで全く読まないと仲間はずれにされたりするので途中である程度手綱を緩めてくれましたが、なんせお小遣いも少額で買えなかったので・・・。
友達の家に行って貪り読みました。
今思えば多分、小学生時代の私はものすごくつまらない子だったと思います。
遊びに行って、半分くらいは人の家の漫画を貪るんですから。
家では母推薦の児童文学、友達の家では漫画。
そんな二重生活はなんと二十歳くらいまで続きました。
その抑圧された反動で、結婚して親の監視がない状態になった途端、大人買いし放題を発生させましたが。
そんななか、ノーマークだったのが、学習漫画。
私としては、好きな作家が書いたわけでもない漫画に食指が沸きませんでした。
昔は、ものすごく繊細な絵を好みましたので、劇画風で、大げさな喜怒哀楽(いや、少女漫画も突然点描が飛ぶんだから、充分素っ頓狂ですけどね・・・)、ご都合主義名展開(ページー数の関係ですね)が、どうしても受け付けなかったため、これも今思えばかなり損をしたなと思います。
今改めて手に取ると、意外と凄い力なのです、学習漫画。
歴史物、伝記物を主にぱらぱら見た感じだと、さっと頭に入ることが結構多い。
絵で、覚えるのですね。
以前、中国初出張を控えた知人か慌てて学習漫画で中国の歴史をおさらいしたという話を思いだし、納得する次第です。
それに、歴史物はともかく、伝記の方の展開もすごい。
単なる教科書の説明文ならすっとばしてしまうような暗部などをきちんと取り扱ったりするのです。
恋愛とか離婚再婚とか、人に妨げられたこととか。
ちなみに、小学生向けの伝記小説も凄いものがいくつかあります。
ヘレン・ケラーが男性と恋に落ちたのを察知したサリバン先生が、親族とタッグを組んで引き裂いたなんて、ぜんぜん知らなかった・・・。
世の中、意外と知らないことがありますね。
ただし、この知識は全く役に立たないゴシップですが(この与太話好きめ・・・)。
日本人特有の文化と言われて久しい漫画。
作品としてものすごい力を秘めた漫画に出会う度に、ああ、日本人で良かったなと思うことがあります。
このような作品が作れる人がたくさん存在すること、
また、それを手に取る機会がたくさんあること、
そして、読む力のある人々がたくさんいること。
文章も絵も、表現の手段として自由自在に操れる土壌に感謝しています。
前置きが長くなりましたが、漫画でするすると頭に入るという話つながりで。
戦争、それも広島原爆を扱った漫画としてお薦めしたいのがこちら。
今年は『はだしのゲン』で大荒れでしたが、こちらの漫画も是非、大人に限らず子供にも読んで欲しいです。
その作品は、『夕凪の街 桜の国』。
戦後10年、広島で生まれ育った皆美に被爆者としてどのような苦しみが待っていたか。
それが、たんたんと描かれています。
まずは、『夕凪の街』。
10年経っているのに、雨漏りのするバラックに母と慎ましく生活している皆美。
彼女がようやく青春めいたものを味わい始めた矢先に発症し、命を落とします。
美しいものを見る度、しあわせを感じる度に、被爆直後の無残な光景、助けを求める人を振り切って逃げたこと、そして姉の死を思いだし、ここは自分の世界でないと思ってしまう。
せっかく生き残ったのに、せっかく愛されているのに、それを受け取ろうとすることにためらい、とっさに拒絶してしまう自分を情けなく思う。
誰にも言えないまま、表面では笑って、苦しみ続けた十年。
『死なずに済んだと思ったのに』という言葉が胸に突き刺さります。
この中で切ないのは、戦時中疎開させていた弟が被爆地を恐れて疎開先の親戚の養子になり一度も戻ってこなかったこと。
もう意識のない状態になるまで広島へ足を踏み入れなかった弟。
まだ十代だった彼と、養母に罪はないけれど、じわりと、被爆者でない人たちによる差別が浮き出ています。
そして『桜の国』。
皆美の死後、弟は結局大学を広島に選び生母と暮し始めます。
皆美よりも被爆の傷が深いように見えた母は八十まで生き、息子が胎内被爆の少女と結婚し二人の子供をもうけ、やがてその嫁が早世するのを見送り、健気に孫達を育てたことが記されています。
そしていつしか息子は被爆者の息子として、恋人の両親に結婚を反対されている。
これは、広島と長崎と関わりのない人には解らないこと、知らないことだと思います。
私は親戚筋で長崎に縁があったので、多少のことは知っています。
原爆で亡くなった方もいます。
ただ、その後のことは、あまり知らされていなかったかな、とも思います。
身体に後遺症が出ることは、福岡市では夏休みの宿題などの平和学習で知っているけれど、差別を受けることまでは教えられていないような気がします。
原爆を落とした人たちにとって、全てが吹き飛んだ瞬間、それで何もかも終わったつもりでしょう。
終戦のきっかけになったのは、確かに二度の原爆投下にあるかもしれない。
でも、それをしなくても、もう、終わりの見えていた戦いでした。
あれは、必要のない武器使用で、作り上げた玩具の威力を試してみたいという誘惑に、大人たちが負けてしまったのだと、いつも思います。
しかも、恐ろしいことにその毒はいつまで経ってもなくならないのです。
人の笑顔の下に、
綺麗に整備され直した街の影に
そしてしっかりと根を下ろす草木の狭間に
毒は潜んだまま、存在しています。
それを日本人ですら忘れようとしている。
また、気が付かないふりをしている。
勇ましいこと、
勢いのあることが、
しあわせを運んでくれると思い込み始めた時、
じわりと、毒が、私達をあざ笑い、飲み込んでいくことでしょう。
知らないことは、恐ろしいことです。
大切なことを、人から人に繋ぐために、教えるために、人も、本も、存在するのだと思います。
カテゴリーとしてはそういうことにしたのですが、YAくらいになったら読んで欲しい本の一つです。
小学生の間、母に漫画を読むのを制限されていました。
全く駄目ではないけれど、本棚に並べられるほどはなく、読む時間も制限されていたり。
ただ、女の子同士のお付き合いで全く読まないと仲間はずれにされたりするので途中である程度手綱を緩めてくれましたが、なんせお小遣いも少額で買えなかったので・・・。
友達の家に行って貪り読みました。
今思えば多分、小学生時代の私はものすごくつまらない子だったと思います。
遊びに行って、半分くらいは人の家の漫画を貪るんですから。
家では母推薦の児童文学、友達の家では漫画。
そんな二重生活はなんと二十歳くらいまで続きました。
その抑圧された反動で、結婚して親の監視がない状態になった途端、大人買いし放題を発生させましたが。
そんななか、ノーマークだったのが、学習漫画。
私としては、好きな作家が書いたわけでもない漫画に食指が沸きませんでした。
昔は、ものすごく繊細な絵を好みましたので、劇画風で、大げさな喜怒哀楽(いや、少女漫画も突然点描が飛ぶんだから、充分素っ頓狂ですけどね・・・)、ご都合主義名展開(ページー数の関係ですね)が、どうしても受け付けなかったため、これも今思えばかなり損をしたなと思います。
今改めて手に取ると、意外と凄い力なのです、学習漫画。
歴史物、伝記物を主にぱらぱら見た感じだと、さっと頭に入ることが結構多い。
絵で、覚えるのですね。
以前、中国初出張を控えた知人か慌てて学習漫画で中国の歴史をおさらいしたという話を思いだし、納得する次第です。
それに、歴史物はともかく、伝記の方の展開もすごい。
単なる教科書の説明文ならすっとばしてしまうような暗部などをきちんと取り扱ったりするのです。
恋愛とか離婚再婚とか、人に妨げられたこととか。
ちなみに、小学生向けの伝記小説も凄いものがいくつかあります。
ヘレン・ケラーが男性と恋に落ちたのを察知したサリバン先生が、親族とタッグを組んで引き裂いたなんて、ぜんぜん知らなかった・・・。
世の中、意外と知らないことがありますね。
ただし、この知識は全く役に立たないゴシップですが(この与太話好きめ・・・)。
日本人特有の文化と言われて久しい漫画。
作品としてものすごい力を秘めた漫画に出会う度に、ああ、日本人で良かったなと思うことがあります。
このような作品が作れる人がたくさん存在すること、
また、それを手に取る機会がたくさんあること、
そして、読む力のある人々がたくさんいること。
文章も絵も、表現の手段として自由自在に操れる土壌に感謝しています。
前置きが長くなりましたが、漫画でするすると頭に入るという話つながりで。
戦争、それも広島原爆を扱った漫画としてお薦めしたいのがこちら。
今年は『はだしのゲン』で大荒れでしたが、こちらの漫画も是非、大人に限らず子供にも読んで欲しいです。
その作品は、『夕凪の街 桜の国』。
- 夕凪の街桜の国 (アクションコミックス)/双葉社
- ¥840
- Amazon.co.jp
戦後10年、広島で生まれ育った皆美に被爆者としてどのような苦しみが待っていたか。
それが、たんたんと描かれています。
まずは、『夕凪の街』。
10年経っているのに、雨漏りのするバラックに母と慎ましく生活している皆美。
彼女がようやく青春めいたものを味わい始めた矢先に発症し、命を落とします。
美しいものを見る度、しあわせを感じる度に、被爆直後の無残な光景、助けを求める人を振り切って逃げたこと、そして姉の死を思いだし、ここは自分の世界でないと思ってしまう。
せっかく生き残ったのに、せっかく愛されているのに、それを受け取ろうとすることにためらい、とっさに拒絶してしまう自分を情けなく思う。
誰にも言えないまま、表面では笑って、苦しみ続けた十年。
『死なずに済んだと思ったのに』という言葉が胸に突き刺さります。
この中で切ないのは、戦時中疎開させていた弟が被爆地を恐れて疎開先の親戚の養子になり一度も戻ってこなかったこと。
もう意識のない状態になるまで広島へ足を踏み入れなかった弟。
まだ十代だった彼と、養母に罪はないけれど、じわりと、被爆者でない人たちによる差別が浮き出ています。
そして『桜の国』。
皆美の死後、弟は結局大学を広島に選び生母と暮し始めます。
皆美よりも被爆の傷が深いように見えた母は八十まで生き、息子が胎内被爆の少女と結婚し二人の子供をもうけ、やがてその嫁が早世するのを見送り、健気に孫達を育てたことが記されています。
そしていつしか息子は被爆者の息子として、恋人の両親に結婚を反対されている。
これは、広島と長崎と関わりのない人には解らないこと、知らないことだと思います。
私は親戚筋で長崎に縁があったので、多少のことは知っています。
原爆で亡くなった方もいます。
ただ、その後のことは、あまり知らされていなかったかな、とも思います。
身体に後遺症が出ることは、福岡市では夏休みの宿題などの平和学習で知っているけれど、差別を受けることまでは教えられていないような気がします。
原爆を落とした人たちにとって、全てが吹き飛んだ瞬間、それで何もかも終わったつもりでしょう。
終戦のきっかけになったのは、確かに二度の原爆投下にあるかもしれない。
でも、それをしなくても、もう、終わりの見えていた戦いでした。
あれは、必要のない武器使用で、作り上げた玩具の威力を試してみたいという誘惑に、大人たちが負けてしまったのだと、いつも思います。
しかも、恐ろしいことにその毒はいつまで経ってもなくならないのです。
人の笑顔の下に、
綺麗に整備され直した街の影に
そしてしっかりと根を下ろす草木の狭間に
毒は潜んだまま、存在しています。
それを日本人ですら忘れようとしている。
また、気が付かないふりをしている。
勇ましいこと、
勢いのあることが、
しあわせを運んでくれると思い込み始めた時、
じわりと、毒が、私達をあざ笑い、飲み込んでいくことでしょう。
知らないことは、恐ろしいことです。
大切なことを、人から人に繋ぐために、教えるために、人も、本も、存在するのだと思います。