人違い? (1971年5月24日 バルセロナ)


 商談も終わり、永山とシュナイダーは近くのバルで一杯やっていた。もっとも、二人とも下戸なので、飲み物は薄いジントニックだ。
 フラナガンは早々とホテルの部屋に戻っていた。ガルシアの弟・テオの写真を見てから、どうも様子がおかしい。その時から涙ぐんでいたが、優しすぎる彼は、ホテルの部屋で一人泣いているのかも知れない。

 とはいえ、商談は上手く進み、二人の気分は最高だ。
「乾杯!!」
 永山とシュナイダーは、互いのグラスをぶつけ合った。
 その後の言葉は、まず永山からだ。
「よく頑張ったね、クラウス。みんな君のおかげだよ」
 永山の話相手のシュナイダーは、なかなか格好の良い男だ。過去、フランソワ・セベールについて「この男は格好良すぎた。背高い、脚長い、頭小さい、顔ハンサム・・・まあ、およそ永山の持っていないものをすべて持っているような奴なのである」という話をしたが、このシュナイダーも外見では決して引けをとらない。おまけに、高学歴で、頭脳明晰、普通に考えれば、永山が焼き餅しまくるのに十分である。
「いえ、いえ、ドットーレ。すべては、あなたがガルシア社長と友達になってからのことですよ」
「ドットーレはやめてよ。大学も出ていない自分が、君のような本物のインテリから言われると、照れるよ」
「そうですか。僕は、あなたこそ本物の知識人だと思っていますよ」
 ところがシュナイダーは、永山を心から尊敬している。独学とたたき上げの経験でここまでやってきたことを評価しているし、乗りにくいマシンにセッティングを施し、他のドライバーでも安定した走行ができるようにしたことを称賛していた。シュナイダーの方がこんな態度なので、永山も焼き餅ばかり焼いてはいられないのだ。その気持ちが痛いほどわかっているため、シュナイダーを弟のように可愛がっている。
 実際、彼らのこのやり取りは、これが初めてではない。もう十数回めになる。仲が良いのは結構なことだが、このやり取りを飽きもせず十数回も続けるこの二人って一体・・・

 シュナイダーは、永山だけでなく、フラナガンのことも好きなようだ。
「やっぱり、親父さんは優しいですよね。黒枠の写真見ただけで涙ぐんだりして」
 フラナガンと会社の人々との関係は、形式的には上司と部下だが、誰も「オーナー」や「社長」、「ボス」とは呼ばない。イタリア語でいう “Padre” 、「親父さん」が一番相応しい。未来の娘婿である永山にとってはもちろん「お義父さん」であり、正式には “Suocero” という単語があるが、やはり “Padre” という言葉がしっくりくるようだ。
「そうだよね」
と永山が応じると、シュナイダーが続けた。
「でも、弟さんって、何年前に亡くなったんでしょうね?ガルシアさんはどう見ても40歳は過ぎているようだけど、テオ君の写真からすると二十歳くらいに見えますけど。でも、ただただお気の毒です」
 シュナイダーも、優しい男だ。元々の性格もあるだろうし、フラナガンに影響を受けたところもあるだろう。永山が、このハイ・スペック男に対し焼き餅焼きにならないところには、こんな理由もある。

「それにね、あの写真の中の男の子が、僕には死んだ人には感じられないんだ」
と、霊感が強そうな永山も疑問に思っているようだ。
「うわー、何だか怖いですね」
 シュナイダーは笑いながら言ったが、少しゾクゾクしているようだ。
 それに対し、永山が話を続けた。
「いやあ、霊的なことじゃないんだ。テオ君の後ろに会社の看板があったよね。それが今の物とほとんど変わっていないようなんだよ」
 たしかに、ガルシアの工場では、”Garcia Automobile Factory” という英語で書かれた看板を見たが、写真の人物の背景にも同じ看板があり、その古さはあまり変わっていないように思えたのだ。

 二人がそんな話をしていると、店内に入って来たスーツ姿の若い女性が、彼らのテーブルを通り過ぎた。彼らが気づいた時には、それはもう後ろ姿となっていて、顔や胸元を見ることはできなかったが、二人はその尻や太腿の形の良さをよく覚えていた。
 永山は、自分たちのテーブルを離れ、彼女に声をかけた。一杯ひっかけて、すっかり気が大きくなっていたのだ。
「こんばんは、セニョリ・・・」
 永山に声をかけられ、振り向いた女性は、うれしそうに微笑みを浮かべたが、その顔はガルシアの工場で会った通訳嬢とは違っていた。可愛いことは可愛いが、可愛いすぎる、というか、若すぎる。通訳の女性は、25〜26くらいだったが、今目の前にいる彼女は10代にも見える。おまけに、あの時に見た気の強そうな顔ではなく、はるかにおとなしそうな、優しそうな顔をしている。
 永山は慌てた。
「ごめんなさい、人(違いでした)・・・」と謝ろうとしたが、相手は可愛らしい声で、
「こんばんは。昼間は、ありがとうございました。ローマのお兄さんですよね」
と挨拶してきたので、彼は大いに驚かされた。そんな永山の様子を見て、彼女は言った。
「ごめんなさい。昼間は、化粧が濃すぎました。顔、全然違いますよね」
そう言いながらクスリと笑ったが、その笑顔は本当に優しく、可愛いものだった。

(続く)