2005年02月23日

Qちゃん と「メンツ」

テーマ:メンツ論

ご存知とはおもうが、「Qちゃん」とは、かつての世界記録保持者で、国民栄誉賞をも受賞したマラソンランナー高橋尚子のことである。

今日は、古いはなしで恐縮であるが、Qちゃんがアテネオリンピックの出場権を事実上獲得できないことになってしまった2003年東京国際女子マラソン記念大会での彼女のレースはこびについて、書かせていただく。

レースのもようは、つぎのようであった。

気温は24度という高温。 しかも、スタートから折り返し地点までの大部分が強い向かい風、という悪条件であった。

この悪条件のなか、スタートした日本が誇る世界記録保持者 高橋尚子は、向かい風をものともせずに飛び出し、15キロ地点までのタイムが自己最高を出した2001年ベルリンマラソンのときのタイムを23秒も上回る驚異的なハイペースでかっとばした。
そして、折り返し直後には、併走していたエチオピアの強敵アレムを、赤子の手をひねるが如く、あっという間にいやというほど引き離してしまったのである。

このみごとな走りっぷりに、沿道の観衆は興奮をかくしきれず、Qちゃんコールは最高潮に達した。

しかし、である。

そのあとは、追い風になったにもかかわらずペースが落ちはじめ、追い上げてきたアレムに39km付近で抜かれると、さらにペースが落ち、彼女の脚は、気の毒にも、カモシカから食用牛に変わってしまった。

結局、アレムに次いで2位、日本選手ではトップでゴールインしたものの、2時間27分21秒という予想もしない悪い結果(彼女の最高記録は2時間19分46秒)におわり、前述のように、アテネオリンピック出場権を獲得できないことになっていくのである。

このレースがこのように悪い結果になってしまった原因は、高温かつ強い向かい風という悪条件のもとで、自己の最高記録を上まわるハイペースで飛ばしたため、レース前半でエネルギーを消費し過ぎたことにある、とおもう。

しかし、こんなことは、百戦錬磨の高橋にとっては百も承知、二百も承知のことであって、十分に予測できたことであり、歯に衣着せずいわせてもらえば、「無謀」としか言いようがない。

なのに、なぜそんな無謀な行動に出たのか?

彼女のコーチである小出監督はなにをしていたのか?
レース中、小出監督は運転手つきのバイクを使ってQちゃんの先回りをし、沿道から彼女に何回もどなっていた。

しかし、レース後のQちゃんの談話によれば、小出監督の声は観衆の声援にかき消され、二度しか彼女の耳にはいらなかった、とのことである。

ということは、彼女のレースはこびは、ほとんど彼女自身が仕切っていたということになる。
彼女自身の意思で、前述の無謀な行動を選択した、と考えられる。

この無謀な行動に出た理由は、彼女がメンツにこだわってしまったからではないか、とおもう。
「私は世界記録保持者なのよ。私の脚は世界最速よ!」というメンツである。

このメンツにこだわりすぎた結果、「気温がなによ。向かい風がなによ。私の脚はそんなものに負けっこないわ。」となったのではないだろうか?

この推論がまちがっていなければ、彼女は、くだらないメンツのために、アテネオリンピック出場権を棒に振ったわけであり、このレースのためにおこなった米コロラド州ボルダーまで出かけての高地トレーニングや厳しい節制などのすべての努力を、水泡に帰させてしまったのである。

げにおそろしきはメンツなりけり。

なお、アテネオリンピック女子マラソンは、日本の野口みずきが金メダルを獲得した。
タイムは、2時間26分20秒であった。



ところで。

ところで、わが愛するQちゃんが、もし、この駄文をご覧になって、(ご覧になるわけないが)
「それは見当違いもいいところだわ。私はあのレースに賭けたのよ。世界記録更新を賭けたの。私の "華麗なる賭け "だったのよ。」
と反論されたとしら、愚輩にはお返し申し上げる言葉はない。

なぜかって?
それは、つぎのような名文句があるので。

"人生はおそれを知らぬ冒険か、無か。"(ヘレン・ケラー)


(蛇足)
愛称「Qちゃん」の由来は、彼女がリクルート陸上部の新入部員歓迎会において「オバケのQ太郎」の歌を熱唱して、おおいに盛り上がったことによるものであり、ルックスとはまったく関係がない。
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2005年02月14日

勉強と「メンツ」

テーマ:メンツ論

勉強を教えない通信教育受験塾の捨面子です。

「メンツ(面子)」とは、広辞苑によれば、もともとは中国語であって「面目」とか「体面」のことである。(「麻雀の競技者」というイミもあるが。)
「体面」とは、「世間に対する体裁」とある。
三省堂の例解国語辞典によれば、
「体面」とは、「自分が、地位や立場にふさわしいものとして人の目にうつっているかどうか、という意識」とある。

ここでは、これらをまとめて、「メンツ」とは、
「他人が自分を見て判定すると思われる、想像上の自分の立派さの格付け。」
ということにする。

このメンツなるものへのこだわりがひどくなると、
「他人より上位に格付けされたい。」
となり、さらにひどくなると、
「何が何でも他人より上位に格付けされなければ気がすまない。自分に上位格付けを獲得するだけの能力がないならば、他人を引きずりおろしてでも。」
となるようである。

まえおきはこのくらいにして、本題に入らせていただく。

愚輩は、学習塾で算数と数学を教えているが、あることに気がついた。
それは、例外はあるが、「勉強ができる生徒は、メンツに対するこだわり が小さい。」のである。
(この逆、すなわち「メンツに対するこだわりが小さい生徒は、かならず勉強ができる。」は、成り立たない。)

なぜなのだろうか?

「勉強ができる」ためには、頭のよさ、集中力、ものごとを深く考えてその本質を見抜く力 などが要求される。

メンツに対するこだわりが非常に大きい生徒-「メンツ君」と呼ぶことにする-は、塾など、自分以外の全メンバーが自分を認識できる程度の大きさの集団の中にいるときは、自分のメンツを上げること、メンツをつぶされないこと、につねに注意をはらって神経をぴりぴりさせているので、勉強に集中することできない。

たとえば、問題が3問出題されると、他の生徒がやっと第1問をおわったころ、(彼も同じか、または第1問の途中でもたついているのに)第3問について私に質問をしたり、あるいは、誰かが発言したことに対して、それを批判したり、発言者の一歩先をいくようなことを言ったりするのだ。

本題からそれるが、上記の「発言者の一歩先をいくようなこと」の内容には、うそが多い。
うそをついてでも己のメンツを上げたいのだ。
一般に、うそつきは、多くの場合、己のメンツを上げたいがためにうそを言う、のではないだろうか?

上記のように、メンツ君は、勉強ができるための条件の一つである「集中力」に欠ける。

また、メンツ君は、己のメンツを上げることが人生の目的のひとつになっていて、それが最優先されるので、たとえば、あることがらAについて討議をする場合、Aについてちょっと気がきいた意見を言って己のメンツが上がれば、それで彼の目的は達成され、その瞬間、彼のAについての思考回路はOFFになる。

なお、メンツ君のAについての意見は、ほとんど例外なく枝葉末節に属するものであり、Aの本質には触れていない。
彼は、その意見によってメンツが上がりさえすればよいのだから、Aの本質に触れようが触れまいが、そんなことはどうでもよいのだ。
彼にしてみれば、本質を探求するというシンドイことをしても、それにペイするだけのメンツ上昇が得られるとはかぎらないので、やりたくないのだ。

こんなことをしょっちゅうやっているので、彼は、勉強ができるための条件である「ものごとを深く考えてその本質を見抜くこと」がますますできなくなっていく。

というわけで、メンツ君は勉強ができるようにはならない。

彼のようにメンツへのこだわりが大きい生徒は稀少であるが、メンツへのこだわりが大きい生徒には、程度の差こそあれ、メンツ君とおなじ傾向がある。
そして、彼らは、わずかな例外を除いて、「勉強ができる」という部類に属さない。

したがって、勉強ができる生徒は、メンツへのこだわりが小さい生徒のなかから生じてくることになる。


以上が愚輩の愚考であるが、教育心理学などまったくかじったことがない愚輩(脱サラの塾講師)が経験のなかから得た経験則にすぎない。
また、怠慢にも、数値データもない。

もし、心理学に通じた方のご批判、ご教示をいただけたら、これに勝る幸いはない。
メンツへのこだわりを捨てて、拝聴させていただく。


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今日のよしなしごとは以上であります。
次回は、スポーツ選手とメンツの関係について書かせていただこうと思っている。
(勉強を教えない通信教育受験塾塾長)

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