↑熊本県にある直井家の墓。この写真を撮った2005年は、私の父も存命で、お墓のすぐ近くには伯母が住んでいたので、お墓について私が詳しいことを知る必要を感じていませんでした。ところが、やがて父が亡くなり、続けて伯母も亡くなり、父を引き継ぐ形で、お墓の手入れについて現地の婦人会と連絡を取り合っていた母の物忘れがひどくなるに至って、いよいよ私は事態の深刻さに気づいたのです。父は自分の墓を東京に用意していたので、熊本には祖父以上の遺骨が眠っているのですが、これ今後どうするの?っていうか、父はどうするつもりだったの?いや、うちの家系には、いとこやはとこや、いろんな親類がいるはずだから、そもそもどうするのか決める権限が私の父だけにあったのかも不明だ。というわけで、まるで探偵みたいな謎解き作業が始まりました。
 
 僅かな手掛かりは、母のアパートを引き払う時に回収した古い郵便物の中から見つけた、現地婦人会からのお礼状でした。どうやら、父が毎年お盆の時期に合わせて、婦人会にお墓の手入れを依頼し、お金を送っていたことが判明。婦人会のたぶん役員さんが、その寄付に対して丁寧にお礼状を送ってくださっていたのでした。そのお礼状の差出人に連絡を試みるも、年月が経過していたため、差出人の女性は既に故人(泣)。代わりに返信してくださった、たぶん娘さん(?)は状況がわからず、しかも集落の過疎化に伴い、婦人会という組織自体も消滅していました。その娘さんの旦那さんという方がとても親切な方で、近所のお寺に問い合わせてくれたりしたのですが、何とお寺はお墓に関与していなかった(泣)。東京にある父の墓は、毎年決まった管理費をお寺に払うタイプだから、どこでもそういうものだと思ってたけど、ここは完全に自主管理で、だから婦人会に依頼していたんだな。
 
 こうなってくると、もう完全にお手上げで、ネット検索したらたまたま「直井家先祖代々の墓なう!」なんて記事がインスタに上がってる可能性もゼロに等しく、最後に頼りになるのはアナログ的な方法だと考え、昨日お墓にメッセージボードを残してきました。お墓参りに来てくれたどこかの直井某さんが連絡をよこしてくれたら、今後の対応を相談できるし、1年位待っても何の音沙汰も無ければ、私の代で責任持って永代供養などに移行しようという考えです。今回、墓石に刻まれた文字なども細かくチェックしてきたけど、このお墓を建てたのはどうやら私の祖父の祖父の父、つまり五代上の人で、その人が亡くなったのは明治二十九年六月、享年66歳って書いてある。江戸時代に産まれて、大政奉還をリアルタイムで経験してるのか…。なんか凄い。できれば親類の誰かから連絡が来て、ご先祖様たち今後も安心してこの地にいてほしいな~と思いました。
 いや~今思うと、これは父が元気なうちに真剣に相談しておくべきことだったな。核家族化が進む日本では、同様の問題があちこちで起きてるに違いありません。ほんと、元気なうちに終活しておくべきだ。
 
熊本市内に戻って、いったん宿にチェックインしてから再度出かける。一番の繁華街は、熊本駅から少し離れたところにあるので、市電A系統というのに乗って、まずは大谷楽器へ。旅行中であってもピアノ練習1時間は欠かさない。
 この楽器屋さん、めちゃめちゃ良かったな。グランドピアノ1時間1100円て、島村楽器の会員料金と同額だから、たぶん国内最安値。
 そこからアーケード街をさまよい、馬刺し店を探す。何となくオシャレそうな店構えに惹かれて入ったのはこちら。
 
「馬肉Dining馬桜」というお店。馬面のため昔からウマウマ君とか呼ばれていた私なので、共食いみたいでちょっと申し訳ない(笑)。凄い高級店ぽかったけど、馬刺し盛り合わせ&馬肉丼と、生ビールで五千円ちょいだから、プチ贅沢くらいだ。
 
 最終日の今日は、いとこたちの案内で、赤牛ステーキのお店と阿蘇山を一望できるドライブウェイに連れて行ってもらいました。
 ううう、熊本いいところだ。実はこの2泊3日の1日目は、本業関係の打合せと視察で福山市に滞在していました。瀬戸内海の施設を回ってから、カワイ音楽教室福山センターでピアノ練習1時間の後、寿司と天ぷらをいただいた。
 この2泊3日でピアノが上達して体重が増えたな(笑)。では夏休み後半も頑張りましょう!

8月3日と4日、もはや立川のメインストリートとなった高島屋横のモノレール下、サンサンロードで演奏してきました。

(ムジカFacebookより)

 

元々はオーケストラに来た依頼ですが、弦楽器は騒音下の野外演奏には不向きなので、菅と打楽器のいわゆる吹奏楽編成で臨みます。場所が場所なので、盛大にやろうということで、私の方の楽団やいろんな学校の卒業生や、謎のミュージシャン軍団まで動員かけて、寄せ集めオールスターズを結成(笑)。わー、楽しそうでいいですね~と思う皆さんに、舞台裏の苦労話や笑い話をレポートします。

 

 まずは曲の話から。2daysだから、同じことを2回やるのが安全なのは分かりきっていますが、それは我々のポリシー(?)が許さん(笑)。私は以前、イオンモールでの3回ステージに、全部違うセットリストで合計24曲演奏という暴挙を敢行した前歴があり、イベント担当者もそれを望んでいました。今回リーダーのK氏も、私と同じ考え方のチャレンジャーなので、曲数倍増のリスク承知で今回も臨む!

セットリストは以下の通り。

 

【1日目】どらえもん、アイドル、リトルマーメイドメドレー、ジャンボリミッキー、ブリンバンバンボーン、勇気100%、ぼよよん体操(アンコール)

【2日目】ブリンバンバンボーン、夏祭り、沖縄POPコレクション、翼をください、風になりたい、ディープパープルメドレー、宝島(アンコール)

 

 2日間の曲かぶりは、ブリンバンバンだけでした。これだけの曲数を寄せ集めバンドでやるために、どのくらいの練習時間が必要なのかはバンドの性質によっても違うでしょうが、少なくとも今回が圧倒的に少なかったことだけは確か。当日のリハは無し。事前の練習が2回ですが、大多数のメンバーがどちらか1回しか参加できなかったため、まあ実質1回だ。全曲1回ずつ通して、アンサンブル崩壊箇所だけ直すというやり方で行くんだけど、大きな問題があります。各練習日にいるメンバーが異なるということは、本番当日にあちらこちらで「初めまして」の自己紹介から始まるような状況だ。また、みんな仕事や育児等の都合も抱えているから、ドタキャンもあればドタ参(笑)もあるし、今回で言うと、ドタキャン後やっぱりドタ参もありました(笑)。もちろん、本番当日が初参加という人もチラホラ。要するに、本番スタート5分前くらいに編成やパート割が確定するわけで、テンポが一定のまま終わるような曲なら何とかなったとしても、メドレーもの、今回でいえばリトルマーメイドや沖縄POPは、大崩壊の危険満載なわけだ。さあどうなる!本番クラッシュは免れたのかぁぁっ!?(笑)

 

 私が指揮者を務めたのは2日目の方でした。ブリンバンバンはテンポ一定だから、繰り返しの行き先さえ間違えなければどうにかなるな。夏祭りも同じことが言える。さあ問題は沖縄POPだ。テンポは目まぐるしく変わるしフェルマータも多い。勇気じゃなくて不安100%でのスタート(泣)。ただ、そういう時の方が指揮者の存在価値は上がるので、みんながしっかりこっちを見てることを確認。そして百戦錬磨の凄腕たちが、ちゃんと指揮に反応してる。うん、これは大丈夫だ!と私自身が安心した瞬間でした。後の曲でまさかの事故は起きたけどな(泣笑)。

 

 翼を下さいも原曲はテンポ一定なんだけど、今回は宮川さんのご機嫌なアレンジで、初見だと倍テンポになるところと半分に戻るところで騙される可能性があります。でも沖縄を無事終えたんだから大丈夫…むむっ、ふと見るとドラマー交代!わお、聞いてないよ。某職業ドラマーのどら息子は、ラスト2曲を叩いてもらう予定だったんだけど、奏者どうしの話し合いでここから交代したのかも。思わず「大丈夫か?」という言葉が出てしまったが、いや~やっぱり良く反応している。指揮を見ていないようで一番見てるのがプロのメンバーだ。しかしこれが裏目に出たのだったぁぁっ!

 

 「風になりたい」は難なく着地するはずだった。この曲は何回もやっているけど、前半部分のラスト「かぜに~なり~たい~」の最後の伸ばしは2拍。そして曲のラスト4小節前の伸ばしは全音符の4拍なのだ。これがテキトーになると、切ってんだか伸ばしてんだかわからん切れ味の無い演奏になってしまうので、私はこれだけは明確に振り分けていました。で、ラスト、しっかり4拍伸ばしてから揃えて切る、という合図にドラムも一緒に反応した!つまり曲が終わっちゃった(泣)(笑)(汗)うえ~ん、今思えば誤解を生む振り方ではあった。左手で管の切りを合図すると同時に、右手で打楽器を指せばよかったんだよな~。K氏がMCでドラマーをいじってくれたので、私は無罪ということになったから、まあいいや(笑)(笑)。

 あとの2曲もみんな盛大に暴れてくれて大盛り上がり。お祭りを盛り上げる役目は果たせたと思うし、今回声をかけた卒業生たちが、こういうスリリングな本番にちょっぴり味をしめてくれたのも収穫でしだ。では9月1日にも立川でお会いしましょう!

 

【本日の手口】1回目の暴落時に仕込んだら、昨日また暴落で昼に追撃買い。そしたら午後にもっと下がって歴史的大暴落。買った後2時間で含み損が何十万も増えるのは、実は初めての経験ではなく、そんなの何度も喰らってます。占い師じゃあるまいし、値動きを予測的中させることはできまい。下がった場面でどう負けないかが重要なのだ。某アナリストが「逃げ一択」とか言ってたけど、昨日の午後慌てて損切りした人は、今日は大反発をどういう気持ちで見ているだろうか。プラスになるまで待つ!これが必勝法だ。

先週の土曜日に行ってまいりました。卒業後40年目の大学同窓会。何日か前に配信されてきた、事前の近況報告一覧を読むと、完全リタイア組もけっこういて、まあそりゃそうだろうな。現役入学の私が63歳なわけだから、一浪二浪はもっと年上だ。リタイアして庭いじりでもしてるのが普通だよな。きっと毎日庭いじりしていることだろう。また、嘱託員みたいな立場で軽い仕事に就いてる人もいて、週3日とか1日4時間とかだけどボケ防止には効果あるはずだから、せいぜいボケないように頑張ってくれたまえ(笑)。私のようなフルタイム勤務続行は、明らかに少数派ではあるけれど、まだまだ俺は元気だし、社会の第一線で活躍中だぜ、という謎のマウントを取る気満々でした(笑)。

 

 同窓会の対象となるメンバーは、都立大学1980年入学SIB(エスワンビーと読む)の35名だ。当時、都立大理学部は、数学、物理、化学、生物、地理の5学科があったんだけど、全部合わせて1学年で100名ちょい。これが3つのクラス、SIA、SIB、SICに分けられていました。工学部だとTIAとかで、人文学部はJIAとかじゃなかったっけ?これらはもともと、語学(英語やドイツ語)の授業用のクラスですが、学生自治会の委員も、これらのクラスを単位として選出してたし、学園祭にもクラスで参加していたので、まあ高校までのクラスと非常に近い色彩がありました。私がいたSIBは、物理学科と化学科が半々という構成だったので、専門科目が増える3年次以降は徐々に交流機会が減るんだけど、でもやっぱり1,2年次の色んな学内イベントで共に過ごしたから、物理学科つながりよりもSIBつながりだったな。

 

 12時に都立大学駅近くのお店集合だったので、私は1時間早く到着して付近を探検(笑)。卒業以来、理工学部があった世田谷区深沢の跡地は何度か通ったりしたけど、目黒区八雲の方は本当に40年ぶり。ううう、どんな風に変わってしまったのだろうか。でも以外と昔のままの風景が残っていて、逆にビックリ。まずは東横線の駅。都立大とっくにいないのに、駅名そのままで(笑)、駅の造りも昔のまんま。ちなみに隣の学芸大学駅には、もっととっくに学芸大はいない(笑)。

 駅前の東急ストア健在。そしてなんと!珈琲「杉の木」と「八雲堂書店」が健在!これは凄いぞ。ここら辺一帯が保守的な土地柄なんだな。坂を上がってくの楽しみになってきた。この調子ならきっと「麻雀コニーク」「蕎麦屋の更科」「ケーキ屋アイリス」駅南側の「喫茶店マナ」も残ってそうだな、と思ったけど、それらは一つも残ってなかった(泣)。いや~それにしても、ここら辺で過ごした大学時代は、人生の中で2番目に楽しい時期だったよな。(1番は実は今だけど)

 

 さあ同窓会だ!すげ~!誰だかさっぱりわからんくらい変貌を遂げた人と、誰だかさっぱり一瞬でわかる(笑)、大学時代に撮った写真からそのまま抜け出してきたような人がいる(笑)。私はその中間ぐらいかな。でも、すぐに「よお、直井」って言われたからホッとした(笑)。

 昔話に花が咲くっていうけど、咲きすぎ(笑)。みんな記憶力凄すぎ。直井があの時ああ言ったこう言った。ああしたこうした、どーしてそんなどーでもいいこと覚えてんだ(笑)?脳のストレージ無駄遣いしてるでしょ。残りの人生のために、早くフォーマットした方がいい(笑)。続いて近況報告スピーチのコーナーへ。

 

 みんなの近況、っていうか卒業から40年間の人生いろいろを聞いた中で、衝撃的だったことその①

→ 絶対に留年するだろうと確信されていたY君が、実は4 年で卒業して、超一流企業に就職していたこと(笑)。

 Y君は滅多に授業に顔を見せず、たま~に現れてもチンプンカンプンなもんだから、いつも私の隣に座って、当てられた時は私が助けてあげてました。私は自分で言うのもなんだけど、かなり劣等生だったから、そんな私に助けられるほどのY君は、絶対に卒業は無理だろうと誰もが確信したのだ(笑)。こうなった主たる原因は、Y君が所属したサークルにあります。①探検会 ②ボート部 ③グリークラブ この3つに入ると留年するって言われてて(笑)、中でもY君が入った探検会は、熱気球で太平洋横断を企ててたか何かで、勉強そっちのけの筆頭格だったのだ。でも、そのY君は卒業し、助けた側の私が留年したって、なんか納得いかない(笑)。

 

 衝撃その②→ 完全リタイア悠々自適組は、庭いじりしていなかったぁぁっ!(笑)。60歳から一念発起で日本画を極めるための修行を始めた人、女優デビューを果たした人、海外旅行100か国超を回ってる人・・・。ううう、みんな第2の人生をガチで生きてる。

 私もまあまあ多趣味で、それなりにガチでやってる方だから、「50歳過ぎてからバイオリン初めて、バッハのパルティータ練習してます」とか言うと、たいてい「凄ーい!」って反響になるんだけど、この同窓会では、バイオリンの話プラス「9月にはオケの伴奏でピアノコンチェルト弾きます」って言っても(おっと、ゆっちゃった)、「ふーん、そうなんだ~」程度の反応(泣)。みんな凄すぎ。

 

 ずっと昔、人生を3等分すると、

「1ブロック目は勉強しろ、2ブロック目は働け、3ブロック目で好きなことをしろ」っていう話をした先生がいたけど、我々バリバリの3ブロック目だから(笑)、本来はもっとやりたいことに打ち込むべきなんだよな。いや~、昔を懐かしむ楽しさもあったけど、同年代の高齢者が人生を充実させてる話を聞けたのは、めちゃめちゃ収穫で刺激的でした。仕事してる場合じゃないな、とか思ったけど、仕事はします(笑)。フルタイムの仕事しながらピアノコンチェルト弾けるようになった方が、かっこいいもんな(笑)。