上を目指すかシリーズの、一応最終回。今回は、譜面を書く側の視点から考えてみます。


私が大学の男声合唱団にいた時、2年時の役職は渉外補佐でした。3年に上がれば補佐の2文字が外れて、正式に渉外になる予定が、諸事情により部長になってしまいましたが、たくさんの女子大と合コンの打ち合わせをする仕事は大好きだったので(笑)、部長になってからも、渉外の仕事を進んで手伝いました(笑)。

 大学合唱界は、横の繋がりが非常に盛んなので、演奏会シーズンになると、ほぼ毎日、何十団体もの定演を聴きに行きます。多くの団が終演後にレセプションを開いて、他大学の渉外を招待してくれます。私は部長でしたが、よくレセプションに行きました。

 レセプションでは、指揮者の先生からのお言葉がメインです。厳しい先生だと、労いの言葉に加えてチクリとダメ出しが入ったりもしますが、ある大学のレセプションで、余程出来がよくなかったのか、指揮者からのお言葉が「ただただ、残念です。以上!」で終わってしまい、場内が凍り付いたこともありました。レセプションは、打ち上げの色彩を持ちつつも、厳しいお言葉が飛んでくるかもしれない、怖い一面もあるのです。

 ある国立大学のレセプションでのこと。そこには、作曲家が呼ばれていました。僕らも歌ったことがある、当時流行っていた合唱曲の作曲者です。スピーチは非常に簡潔でした。「今日くらいの音で歌ってくれれば文句はない」

 今日くらいの音…とは、ズバリ音程のことを指します。裏返せば、多くの合唱団は音程が悪すぎて「俺が書いた美しいハーモニーをぶち壊しやがって~」というストレスを抱えてたんだよな。たしかにその某国立東京大学(ゆっちゃった)は、僕らが聴いててもよくハモってました。作曲者からすれば、「迫力さえあれば」みたいな演奏は怒りの対象にしかなりません。この気持ちは、私自身が譜面を書くようになって、すごく解るようになりました。


 30年くらい前ですが、多摩市で吹奏楽の合同演奏を計画した時のこと。曲はジャングルファンタジーで、編曲者の故・岩井直ひろ先生を指揮者にお招きするという企画でした。岩井先生がお見えになるまでの間、私が下振りを務め、とりあえず通せるところを目標にしました。曲の真ん中あたりに、長~い打楽器の掛け合いがあります。管楽器は40小節以上休みですが、中高生中心の打楽器セクションはリズムが頻繁に崩壊してしまい、管のメンバーが40小節数えて全員が次の演奏を開始することができません。仕方なく、私は「ここ数えなくていいや。小節数は決めないでおいて、指揮者の合図で次に入ろう」と指示しました。これ、ポップスではよくやられるし、合理的な方法です。

 しか~し!岩井先生による練習が始まり、問題の箇所に差し掛かった時、余りにも出来ないのを不思議に思われた先生「どーなってるんだ!」とお怒りモード。クラのトップの子が「数えなくていいって言われました」と返答。その瞬間、岩井先生爆発!「誰だ~っ!そんな指示を出したのは~!」

 私はひたすら謝るだけ(泣)。今思えば、ジャングルファンタジーのあの部分には、ちゃんとストーリー性があって、書いてある通りに演奏すべきだよな、っていうのはよく解ります。スコアをしっかり読んで、作曲者がどういう狙いで書いた音なのか想像することが大切だ。


 そういったことを、凄くよく理解していると思われる団体がありました。香川県のサックスオーケストラの練習を見に行った時のこと。私が登場すると場内の空気がピーンと張り詰めた感じになったのがわかりました。リーダーの方がそれを察してか、「直井先生は気さくで優しい先生ですから」とか言って、メンバーを安心させようと努めていました。

 サックスアンサンブルの譜面は、4重奏や5重奏は市販されていても、ラージアンサンブル用の12重奏や16重奏となると、どうしても特注品になります。あの空気から想像するに、過去に他のアレンジャーから怒られたことがあるのかも。「オレはそんな音は書いてねえ~!もうお前らには今後一切書かねえからな!」みたいに。でもこの団体に関しては、私が書いた以上の音にして吹いてくれてると感じていたので、もし怒った編曲者がいたとしたら、よほどの気むずかし屋さんだな。


 というわけで、作編曲家目線で言えば、ハーモニーやバランスをちゃんと整えて演奏してほしいです。もちろん、音楽は作曲者のためじゃゃなくて、聴衆に向けて演奏するものではあるけれど、曲の価値が半減するような雑な演奏だと、みんなが損するだけのような気がするんだよな。なので、私はこれからも、うるさい頑固オヤジとして、悪い音程を摘発しまくります(笑)