マスクから鼻を出して呼吸しやすくしたものが「鼻マスク」。コロナ禍の初期は、これもマスクの立派な装着方法の一つだったけど、その後か科学的な研究が進んだのか(皮肉です・・・笑)、将棋の日浦八段が「鼻マスク」で反則負けを喰らったことでも解るように、鼻マスクは「マスクしているとは見なさない」という共通認識になりました。ウレタンマスクもそうだよな~。便利だと思ってたくさん買ったのに、全然使わずじまいだ。でも、どうなんだろう?不織布マスクで鼻まで覆ってる人は、本当に飛沫をまき散らさない正義の味方なんだろうか?少なくとも私は悪の手先だ。鼻の部分の金属ワイヤーを、ほぼ直線に保ったまま着けると、鼻の両サイドにけっこうな隙間が生じてスースーして、呼吸がすごく楽になります。マスクしたまま授業とか、合奏の指揮とか、けっこう息を使う仕事をする中で身に着けた知恵なんだけど、これ明らかに鼻マスク以下の効果しかないし、正しい装着を装って周囲を欺いてる分、より悪質だよな。でも世間は見た目で判断するし、そもそもマスクで感染予防できてないことは皆うすうす知っててやってることだから、実際の効果なんて誰も気にしてないよな。そして、鼻マスクを上回る最恐最悪なマスクの着け方が「顎マスク」だ!

 

 顎マスクという装着方法・・・そもそも装着って言えるのか?(笑)。鼻どころか口も覆ってないんだから、してないのと一緒じゃん。だったら完全に外しちゃえばいいのに。だいたい顎マスクやるのって、ろくな連中じゃないよな。実際、街中で見かける顎マスクは、路上喫煙おやじとか、まっ金髪でフラペチーノ吸引中のネエちゃんとかだし。第一、見栄えも良くないから、私は完全に顎マスク否定派でした。

 しかし、この3年間で顎マスクを推奨、いや要求されたイベントが2つだけありました。

 

①多摩川のマラソン大会

 コロナ禍でも、参加者100人程度で中止にすることなく続けてくれた数少ない大会です。今でこそ、競技中のランナーはノーマスク当然だけど、初期は「ランナーの吐息から飛沫が飛ぶ」とか恐れられてたから、マスクしたままジョギングとか、信じがたい危険行為が行われてました。この大会では、「スタート前、ゴール後はすぐにマスク装着。競技中はいつでも装着できるよう顎マスクで」という指示でした。なるほど、過激マスク警察からクレーム入れられたら、大会の存続に関わるもんな。顎マスクは、「必要な場面が来たら瞬時に装着可能」をアピールする方法だったのだ。

 顎マスクで10km走った最初の大会は、たしか残暑厳しい9月第1週だったな。顎って、顔中の汗が集まってくるんだよな。私の場合は特に顎が尖ってるので、雨どいみたいな役割になって、凄い量の汗が顎マスクに吸収されていく(笑)。いや~、ビックリした。あの軽やかな不織布マスクが、こんなにズッシリ重くなるんだ~(笑)。絞ればジャーって滴り落ちるくらいだったから、さすがに外して手でブラブラ振りながら駅まで歩いて、京王線に乗るときはそのマスク着けなきゃならなくて、ぐちょっていう感触(笑)。冷房がガンガン効いてたから、意外と早く乾いてきて、その後はそのマスク、普通に着けて帰りました(笑)。

 

②行きつけだったライブハウス

 マスク会食を要求するお店で、飲食物を口に運ぶ瞬間以外は常時装着!マスク会食といえば「利き腕の反対の手で紐を持って着脱を繰り返す」という、いわゆる「尾身食い」が標準的ですが、このお店では「顎マスク状態で飲食」という指定がされていました。ちなみにこの店、筋金入りのコロナ脳で、ワクチン接種がスタートして以降、接種証明を提示しないと入れてくれなくなり、更には次亜塩素酸ナトリウムで空間除菌を始めたというので、もはや怖くて行けなくなってしまったのが残念です。

 

 そんなわけで、上の2回は私の自主的な行動ではなく、半ば強制された顎マスクでした。しかし、記念すべき2023年3月13日、私は自ら顎マスク民となりました。いや~呼吸が楽だ!(当たり前・・・笑)こんな快適なんだったら、もっと早く落ちぶれてれば良かった~(笑)。待て、顎マスクするくらいなら外せばいいじゃん、て言ったの誰ですか。もう一度言う!外せばいいだろ!

 

 ご説明いたします。3月13日以降も、マスクを外せない状況にある人がたくさんいて、私もその一人。まあ予想はしていたけど、やっぱりこうなるか。学校ではこれまで通りっていうお達しがあって、13日以降もマスクして授業してます。

楽器を習っている2つの教室から来た通知は、

A社→ これまで通りの感染対策を継続します

B社→ 店舗内はマスク不要。レッスン室内は装着

ですって。

っていうかねぇ、原則が個人の判断になっても、混雑した車内では推奨とか言って、もうこの時点で「しろ!」って言うのと何ら変わらないよな。そして追い討ちをかけるように、各メディアの発言。私が見た例として、読売新聞の社説が「任意になっても配慮を忘れるな」みたいな書き方。もう一つはFM79.5パーソナリティの発言。「ノーマスクの人を怖がる方もいます。任意になった後も、そういう人を思いやる優しさは持ち続けたいものです」って・・・

これ、「いつ車が突っ込んでくるか不安な人もいます。歩道とガードレールが整備された道でも、車を走らせないという思いやりを持ち続けましょう」っていうのと何が違うんだろう?そして極めつけが、どこかのお医者さん(?)の発言。「任意になった今、その人の思いやりの心が試されている」って、何じゃそりゃぁぁっ!マスクするしないは、踏み絵ってわけか。結局、引き続きノーマスクは非国民という空気が根強く残されているわけだ。こんな空気の中を渡り歩くのに、してないのと一緒なのにしてる感(いつでもしますよ感)を出せる顎マスクは、非常に便利なツールだ。

 

 ただ実際のところ、人間の顎はどの程度清潔なのだろうか?尾身さんが薦める「マスクをポケットに入れて持ち歩く」っていうのと、どっちがマシなんだろう。どっちもどっちな気もするけど、あえてポジティブなとらえ方をすれば、マスク内で培養した多種多様な雑菌を繰り返し吸い込むことで、我々の免疫力はかつてないほどに鍛えられたはずだ。これは皮肉でも何でもなく、事実だと思います。だって、マスク内の温度ってたぶん人間の体温に近いはずで、それってすなわち食べ物が腐敗しやすい=菌が繁殖しやすい温度だし、栄養分になる食べかすとかも豊富だろう。だから、身体が弱いと思う人ほど、マスクを外す時間帯を増やして、完全に外すのが難しい環境では顎マスクを上手に利用しましょう。

 

 私は1年前くらいから、外ではノーマスク民ですが、13日以降も状況はそんなに変わってない感じだ。学校は4月1日からノーマスクって言ってるけど、怪しいもんだな。でも、マラソン大会や居酒屋店内ではノーマスクは当たり前になってきてるし、洗脳は解けるときも早いっていうし、案外ノーマスクの日は近いのかも、という淡い期待を持っています。