【行程】4/28(土)青梅IC→花巻JCT→岩手県大槌町「小川旅館」(泊)

29(日)コンサートat大念寺→釜石TETTO(Bホールで練習)→釜石PIT(交流会)→釜石ベイシティホテル(泊)

30(月)コンサートat釜石TETTO(Aホールでリハ、本番)→釜石駅(解散式)→車で帰宅


 震災から7年、ようやく東北の被災地を訪ねることができました。同行させていただいたグループは、「ムジカプロムナード」というオーケストラ。釜石出身の瓦田さんが指揮者を務めているので、毎年こちらで演奏しているメンバーが多数。初めての地ですが、安心して参加できました。
 まずは土曜日の午前に自宅を出発し、ひたすら東北道を北へ。花巻までは慣れた道のりなんだが、ここからが遠かったぁぁっ!なんとか釜石市入りして、大槌に向かうと風景が一変。海の近くが見渡す限り更地なのだ。大量の重機が置かれていて、作ったばかりの道路があって、所々にポツンと新築の家。これが東京湾岸を埋め立てた「○○ニュータウン予定地」とかなら解るけど、明らかにそうではない。今まであった物が消滅した跡に違いないから、背筋が凍りました。これって、復興が進んでない・・・ってことだよな。
 到着した「小川旅館」(写真左)・・・仮設のプレハブで営業しています。震災関連の書籍や写真集が置いてあって、奥さんが説明してくださいました。震災前の小川旅館の写真というのが飾ってあって・・・ええ~っ!普通の町じゃんか!「これが全部消えたんですか?!」 「はい、こちら写真を見てください」 パラパラとめくった後に出てきたのは、なんと火の海から黒煙が上がっていて、東京大空襲で見たのと似ている。「この大きな建物が銀行で、隣で大きく燃えてるのがうちです」 「・・・」 言葉が出ないってよく言うけど、本当に言葉出なかった・・・。元の場所に再建するのは費用面で難しく、仮設で続けるしかないのだが、なんと仮設には使用期限があって、すでに行政から立ち退き要請文書が届いているそうです。ご主人の言葉が印象的。「こういう災害は必ずまたどこかで起きますから、その時に私たちと同じような苦労を味わってほしくないですね」
 夕食メニュー(写真右)には逆の意味で言葉を失う。この自慢の料理を求めて、大量のリピーターたちの予約が既に来年まで入っているそうですし、我々も毎年行くわけだから、なんとか営業停止を阻止しなければ!
 

 翌日は近所の「大念寺」に移動して、9時からリハーサル、10時半から本番という流れでした。お客さんはご近所の方々で、この「大槌キャラバン」も毎年恒例になっているようです。
 

終演後はお寺でカレーをご馳走になって、いよいよ釜石へ移動。
 
コンサート会場はオープンしたばかりの「釜石TETTO」。はっきり言って素晴らしいホール。テットとは「鉄の都」のことです。新日鐵釜石という、史上最強のラグビーチームがあったことは、ラグビーファンでなくても周知の事実。
 前日リハーサルには、この日の朝東京を出発して昼過ぎに到着した人たちも合流して総勢60名。東京だけじゃないな。地元岩手の方もいれば、仙台、栃木、静岡・・・これだけの範囲から釜石に60人集結って、それだけでも凄いことだ。当然、お互いに「初めまして」の方もたくさんいるので、リハ終了後に交流会が開かれ、翌日の本番に向けての結束を高める。
 この日の宿は、会場から100mちょっとの「釜石ベイシティホテル」。私の部屋からの風景・・・ひときわ巨大なイオン釜石が目立ちます。さすがに眠くて、23時前には就寝。

30(月)は午前リハで、午後1時半開演。なんと12時半には行列が出来ていて、開演時はほぼ満席。1曲目の「ダッタン人の踊り」から、舞台も客席も異様な盛り上がり。私もついつい、音符が無い箇所で1発シンバル思いっきり叩いちゃったけど、たぶん違和感無くて誰も気づいてない(笑)。ラヴェルのピアノコンチェルトとメインの新世界はひたすら聞き惚れ、最後アンコールの威風堂々は、せっかくだから視覚的にも楽しんでいただこうと思って、スレイベル(鈴)を両手に1本ずつ持って、頭上で高々と振ってみました。
 いや~、いろんなステージに乗ったけど、これほど温かい大きな拍手を浴びたことは多分無かったな。歴代2位と3位は二戸文化会館だから、岩手県がトップ3独占だ(笑)。今回は、被災地の人々とお話することもできたし、とてつもなく凄い3日間を体験させてもらった、という印象です。
 余韻さめやらぬ中ですが、東京に帰る人たちは17時47分の釜石線に乗らないと、その日のうちに帰れないので、我々マイカー組や、もう1日残留組も全員、釜石駅のホームに集結。ほぼ楽器を持った人々の専用列車をお見送りしました。ううう、5月1日も休みを取って、もう1ヶ所演奏するという人たちが羨ましいな。早く定年退職したいぜ(笑)
 
私の車は、私以外に多摩地区のメンバー4人を乗せて、一路東京へ向かいます。19時半に花巻を通過したから、この時点では電車組をリードしているのだが、ここから新幹線に大逆転を許す(泣)。直井家御用達の前沢SAで夕食タイム。前沢牛の牛丼美味すぎで、ゆっくりしちゃったし、そもそも100km/h前後しか出さない安全運転なので、到着時刻は延び放題(汗)。帰宅が午前3時くらいになっちゃったけど、翌日は普通に授業(泣)。でもなんか興奮状態になってたせいか、そんなに眠くなかったな。

 というわけで、皆さん、ぜひ東北に行きましょう。実際に見てお話を伺って、現状を知る必要があります。それは東北地方のためであると同時に、必ずやってくる関東大震災に立ち向かわねばならない、我々自身のためでもあります。