『林先生が驚く 初耳学!SP』(1月6日放送)”高学歴ニートたちに特別授業”がネット

ニュースで目に留まり、息子と並んで見た。

 

東大や早慶大卒という日本における高学歴者でありながらも親の援助を受け、定職に

就かないニートたちが、働かない主な理由とは・・・

1.人生の貴重な時間を他人のために使いたくない。

2.好きな仕事でなければ、働きたくない。

3.よい大学に合格すれば、よい人生が送れるはずが、社会に出たら、そうでもなかった。

 

これに対して、林修先生のご意見は・・・

1.国民全員が、自分の好きな事だけを求め、納税しなければ、公共サービス(道路整備

  やゴミ処理、警察、国防など)は、破綻する。

  日本で生活すれば、思っている以上に公共サービスの恩恵を受けているにもかかわら

  ず、納税しないということは、フリーライダー(納税などの義務を果たさずに公共サービス

  を受ける人)であるということ。

2.仕事の選択には、”やりたいこと、やりたくないこと”という横軸と”出来ること、出来ない

  こと”の縦軸がある。”やりたいこと、やりたくないこと”という願望は、環境などの外的

  要因に影響を受けた”偶然”であり、”絶対的”ではない。

  ”出来ること、出来ないこと”は、”必然”。

  ”出来ること”を仕事にした方が、続けられる。

3.人生に迷い、モラトリアム(猶予)期間があってもよいが、期限を決めた方がよい。

 

ネズミも概ね林先生のご意見に賛成だ。

出演した高学歴ニートたちを見ていると、明治時代から昭和初期の”高等遊民”(実家が

裕福で定職に就かず、読書などをして暮らしている高学歴な人)を彷彿とさせた。

高学歴ニートは、成績は良かったが、”社会に出る”という覚悟を親から教育されなかった方

達なのだろうなぁ・・・と思った。

一方、普通のサラリーマン家庭で育ち、「大学卒業後は、一切支援しないので、経済的自立

を果たすように。」と母から言い渡されたネズミの場合、”無職=餓死”という覚悟をもって、

就職したのだけどね。

高学歴ニートの意見を伺いながら、”義務を果たさずに権利ばかり主張するな”や”頭の中

だけで考え、つべこべ言わずに社会へ出て、揉まれて来いよ!”と思った社会人は、ネズミ

を含めて少なくないだろう。

 

林先生は、言及していなかったが、大学の運営費は、学生が支払う学費だけでなく、国公立

大学の場合は、国からの交付金、私立大学は、補助金でまかなわれている。

日本の大学進学率は、約52%で内、東大や早慶大の高学歴者になると更に人数は絞ら

れ、学んだことを社会へ還元する義務があるのではないかと個人的には、思う。

 

有名大学進学がゴールという教育を受け、無駄にプライドが高い場合、社会に出て、”バラ

色でもない現実”に直面するとたちまち心が挫けてしまうのだろうなぁ・・・と思った。

予備知識を得て、事前に免疫をつけ、社会に出れば、こんなものかと現実を受け止められる

だろうと思い、ネズミ夫婦は、”働く現実”を日々、息子へこう話している。

「仕事は、つまらないややりたくない事が7割、楽しい事はせいぜい3割止まり。若い頃は

雑用ばかりで、つまらないややりたくない事の比率は更に高いが、それでも出来ることが

増え、認められるようになり、そこに喜びを見出せば、続けられる。どこへ転職しようとも

本質的にこの比率は、大差ない。」

 

『林先生が驚く 初耳学!SP』(1月6日放送)”高学歴ニートたちに特別授業”は、小学校

高学年以上のお子さんと一緒に見て、話し合うのにお勧めだと思う。

 

* おまけ *

息子が小4の時、日本人学校にて”二分の一成人式”が、実施された。

授業参観で各自が、将来の夢(職業)をプレゼンした。

我が子への手紙(非公開)を書くように担任の先生からご依頼があり、こんな事を書いた。

”日々の学習から自分がやりたい事や専門分野を見つけ、社会に貢献出来る人になって

下さい。学ぶことは、自分自身のためだけではなく、社会をより良くする事に繋がっていま

す。志を高く持ち、成長することを楽しみにしています。”

 

これは、何もキレイ事ではなく、社会的動物の人間は、ビジネスで成功し、経済的に豊か

になろうとも”真の幸福とは、誰かの役に立つこと(社会貢献)”と気づくからだ。

結局、他者の喜びに自分の幸せを見出すようになるならば、最初からそこを目指して、

志高く生きればよいと思う。

          **********

駐在員家庭のお子さんで熾烈な受験戦争を勝ち抜き、有名大学へ進学、他人も羨むような

高学歴なのにいざ就職の段階に入ると、”高学歴ニート”になったまま年齢を重ねている、

という話も聞く。

”社会へ送り出す準備”を家庭で怠り、学力一辺倒で育てたのかな、と残念に思う。