回顧録、精神一到何事か成らざらん。。 | ♫浜松でエンジョイテニス&スローライフ♫

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小学生低学年の頃、まだ、我が家には、ラジオが無かった、、当然TVなどは、まだない時代だった、、

笛吹童子とか紅孔雀とかのラジオ番組が、大ヒット、主題歌が鳴り始めると、子どもたちは、一斉に、自宅にすっ飛んで帰るのですが、我が家には、ラジオがない、、悲しい、思い出だ、、

又、君の名は、と言う、恋愛モノの、ラジオ番組があり、戦後の、お母さん方の、心を掴み、空前の大ヒット、、、となり、、この放送の時間帯になると、ラジオを聴く為に、風呂屋の女風呂が、ガラガラになると言う、社会的珍現象は有名である、、

 

それでも、小学何年生かの時に、親父が、ジャンクのラジオを入手、これを直して、やっとラジオが聴けるようになった、トンチ教室、二十の扉、、、とかが、番組として人気があったが、私には、チンプンカンプン、だった、、

 

小学低学年の時に、兄が持っていた鉱石ラジオを、バラして、、コイルと、コンデンサー、ゲルマニウム整流器、イヤホン等を、又、組み立て、鉱石ラジオを聴いた、、何を言っているのかは、サッパリ、分からなかったが、朝鮮か、中国の放送が、聴けた時には、鉱石ラジオというものに、感激したものだ、、

 

それ以降、電気、エレクトロニクス、、は一切、、関係ない、期間が続いた、、高校でも、電気、とは縁がなかった、、

大学生になり、就職で、化学系は嫌だったので、電気系の企業に内定、、電気の成績が、Cでは、良くないと、親父と同級生の、静岡大学教授が、、追試をしてくれた、多分、成績は、Bになったと、思う、

その企業に入社、、研究室に配備されたが、電気のデの字も、分からない、静岡大学工学部の、電気科助手の方が、同時に就職、私の上司に、なった、、どんな、試験装置、実験装置も、回路を組んで、電子部品を組み立てて、、自作していた、まさに魔術師だと、思った、が、この方が、一から、全てを教えてくれた、、この方には、足を向けて、眠れない、、くらいに、お世話になった、

 

当時、まず、抵抗、コンデンサー、の部品に書かれている、カラーコードが、理解出来ない、大学の講義で、インダクタンス、抵抗、コンデンサーの機能を勉強した、はずなのに、、ケミコン、スチコン、セラコン、と言っても、見分けがつかない、使い方が、分からない、、抵抗もそうだ、ソリッド、カーボン、メタル、、、、区別すら、つかない、、

 

エレクトロニクス系の企業で、飯を食っていく為には、イヤでも、エレクトロニクスの勉強をせざるを得ない、一生懸命、勉強するしかない、、、、ラジオ工作のラジオ少年に、変身、した、、

ありとあらゆる、エレクトロニクス工作参考書を買って、、片っ端から、エレクトロニクス工作に励んだ、、

秋葉原の、ジャンク街にも、どれだけ、通ったことだろう、そして、ハム無線資格を取った、、

抵抗、コンデンサー等のカラーコードも、一目見れば、分かるようになった、

ラジオも作った、アンプも作った、TVだけは、高周波部分が、難しいので、自作は出来なかったが、、しかし、何台のTVを修理して来た、ことだろうか、、、シンクロスコープ、オッシレーター、等々の計測器等も、自前で、揃えた、、、

 

ラジオ、アンプ、TV等の修理は、ほぼ出来る、が、、最近の、電気製品は、半導体の塊なので、修理は難しい、、ボード毎、変える、しかない、場合が多い、のは、残念だ、、

私が、入社した頃は、まだ、真空管全盛期、でしたが、半導体が出始め、アナログからデジタルの、変遷期、に、、当時は、真空管と、トランジスタ、共に使う、ハイブリッド回路とかが、、重用された、時期もあったが、あっという間に、デジタル時代に、移行していった、、

 

トランジスタ、サイリスタ、トリガー素子、トライアック、等々を使っての、実験装置、試験装置等々も、楽勝に、作れるようになっていった、、

更に、テキサスインスツルメントから、集積半導体が発売され、、その半導体を利用して、色々なエレクトロニクス工作も、した、、デジタルの世界を知らずして、エレクトロニクスは語れない、からだ、、

お陰様で、回路も、ひと目見れば、、大体、分かる、ようになったが、、、しかし、その後、製品のカスタムICとかを設計したり、とかは、いつの間にか、だが、餅は餅屋、専門の回路設計者の部下に任せる、、、立場に、なっていた、、

 

最近になって、断捨離で、自分の、エレクトロニクス工作に使っていた、シンクロスコープ、オッシレーター、グリップディップメーター、等々は、捨てた、、が、、、回路設計をして、パーツを集めて、基板に穴を開けて、半田コテで、パーツを接続して、回路が正常に作動した時には、嬉しかった、、、、良き思い出だ、、、

 

余談だが、若かりし頃に、夢中になったもの、には、

エレクトロニクス工作、、ギター、、囲碁、、登山、、野球、、とかが、、あるが、

エレクトロニクス工作は、実際に、仕事の上でも、役に立った、登山、野球は、、私のその後の、健康体の、礎、と、なった、と、思う、、

 

営業関係必須の、接待ゴルフと、似たようなもので、囲碁は、企業のトップたちが、趣味としていたので、、付き合い囲碁で、コミニュケーション上、、役に立った、と、思う、、

麻雀は、学生時代に、ハマり過ぎ、不健康と、思えたこともあり、極力、断った、ことが多い、、、、

 

電気のデの字も分からない、新入社員が、一念発起、エレクトロニクス工作に没頭し、、回路を、ひと目見れば、どんな機能なのかが、ほぼ、分かるようになった、、自作の、エレクトロニクス製品も、多々ある、、やれば出来る、、、、これが、仕事の上でも、大変有意義だった、ことは、言うまでもない、、、

精神一到何事か成らざらん、、、、成せばなる、、だった。。。

 

私の、回顧録のうちの、ひとつ、、又、別の回顧録を、書いてみたいと、思っています。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どの分野も、最先端の、学会発表会に出掛けては、、最新情報を得ると同時に、、各界の、教授連と、連携をはかり、、技術習得に努めた、、

業務は、超繁忙、研究分野と言う、頭脳社会での、業務は、自分に合っていた、、と、思われたので、日夜、、楽しくて仕方なかった、、

そんな中、突如として、降って湧いたように、スピンアウトの、話しが、舞い込んだ、のだ、、、

 

これが、どのように、仕事に活かされたか、ですが、、

元々、化学系と言うより、物質系、、、エレクトロニクス用の材料を、作り出す仕事からスタートしたが、、

電気屋は、世間に出回っている、所謂、電気部品、パーツで、、回路を設計、組み立てることは出来る、ものの、、もっと、こう言った機能の部品が欲しいと、思っても、作り出すことは、出来ない、、、ましてや、どんな素材を使ったら、その機能が出せる、かもしれない、と言う、ことを、考えることは、、まず、難しい、話しだろう、、

 

私は、回路系も理解出来るようになっていた、、ので、ある機能が不足している、

その機能を満たす為には、どんな素材で、作ると、可能性があると、、両面から、考えることが出来た、、

結果、幾つかの、研究室を、任された、、研究テーマも、沢山過ぎるくらいの研究テーマがあった、、

磁性材料の応用製品、強誘電体材料の応用製品、単結晶の開発、印字用のトナーの開発、印字用のヘッドの開発、エレクトロニクス素材を利用したエレクトロニクス製品の開発、等々等々、、多岐に亘った、、