戸田先生の誓願(2)(一周忌法要でのお言葉)

 「誓願」 の精神は、牧口先生の回忌法要のときの、牧口先生を想う戸田先生の報恩感謝のお言葉のなかに、端的に示されていると思います。
 法要・勤行は、基本的には “仏・法・僧” の 「三宝」 に帰命し報恩感謝申し上げる儀式であります。また、自身が関係する師匠・親兄弟・一切衆生にまでも、みな報恩感謝申し上げるものであります。
 「報恩感謝」 は、広宣流布の誓願となり、実践されなければ、その意義は無いものとなります。
 昭和20年11月18日の夕刻、中野区・歓喜寮にて、牧口先生の一周忌法要の席上、戸田先生の追悼のお言葉であります。(抜粋)

 「…… 忘れもしない今年の一月八日、私は取り調べの判事から、突然、『牧口は死んだよ』 と聞かされたのであります。…… この世に、これほどの悲しみがあろうとは、思いもかけないことでありました。
 先生は、死して獄門を出られた。不肖の弟子の私は、生きて獄門を出た。私が、何をなさねばならぬかは、それは自明の理であります」
 ………
 「われわれの生命は、間違いなく永遠であり、無始無終であります。われわれは、末法に七文字の法華経を流布すべき大任を帯びて、出現したことを自覚いたしました。この境地にまかせて、われわれの位を判ずるならば、所詮、われわれこそ、まさしく本化地涌の菩薩であります」
 戸田は、「四信五品抄」 の一節を読み上げた。
 「請(こ)う国中の諸人我が末弟等を軽ずる事勿れ進んで過去を尋ぬれば八十万億劫に供養せし大菩薩なり豈(あに)熈連一恒(きれんいちごう)の者に非ずや退いて未来を論ずれば八十年の布施に超過して五十の功徳を備う可し天子の襁褓(むつき)に纒(まとわ)れ大竜の始めて生ずるが如し蔑如(べつじょ)すること勿(なか)れ蔑如すること勿れ」(342P)
 ………
 「話に聞いた地涌の菩薩は、どこにいるのでもない、実に、われわれなのであります。
 私は、この自覚に立って、今、はっきりと叫ぶのであります。
 ―― 広宣流布は、誰がやらなくても、この戸田が必ずいたします。
 地下に眠る先生、申し訳ございませんでした。
 先生 ―― 先生の真の弟子として、立派に妙法流布にこの身を捧げ、先生のもとにまいります。今日よりは、安らかにお休みになってください」 
 戸田の一言一句は、並みいる人びとの心を、電撃のように撃った。  (ワイド文庫人間革命1巻・234~237P)

 牧口先生の三回忌法要は、昭和21年11月17日午前十時、神田の教育会館講堂において、堀日亨(にちこう)上人の導師のもと、厳粛に執り行われました。戸田先生は、次のような追悼のお言葉を述べられています。 

 「あなたの慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れて行ってくださいました。そのおかげで 『在在諸仏土・常与師俱生』(法華経317P) と、妙法蓮華経の一句を、身をもって読み、その功徳で、地涌の菩薩の本事を知り、法華経の意味を、かすかながらも身読することができました。なんたる幸せでございましょうか」
 ………
 「……しかし、この不肖の子、不肖の弟子も、二ヵ年間の牢獄生活に、御仏を拝し奉りては、この愚鈍の身を、広宣流布のために、一生涯を捨てる決心をいたしました。
 ご覧くださいませ。
 不才愚鈍の身ではありますが、あなたの志を継いで、学会の使命を全うし、霊鷲山会にて、お目にかかる日には、必ずや、お褒めにあずかる決心でございます」  (ワイド文庫人間革命2巻・107~108P)

 戸田先生は、“あなたの慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れて行ってくださいました。…… なんたる幸せでございましょうか” と感謝の言葉を述べられています。
 普通なら入獄させられたならば、文句の一つでも言いたいところである。事実、一緒に逮捕された十数名の弟子たちは、皆、大恩ある牧口先生を怨み、罵倒して去って行ったと聞いています。
 そのなかで、戸田先生ただ一人、命を懸けて牧口先生に随いました。その当時の思想犯としての入獄は、本当に命を懸けねばなりませんでした。
 事実、牧口先生然り、また、日蓮正宗の僧、藤本蓮城房は長野刑務所で凍死させられました。
 
 池田先生は、「報恩」 について、次のように指導されています。

 今の自分があるのは、さまざまな人々のおかげである。そのことを深く知り、感謝の心をもち、今度は自分が人々のために尽くしていく ――。
 それが 「知恩」 「報恩」 の原義です。
 さらに、万人の成仏を説く法華経によると、報恩の究極は 「一切衆生の恩」 に報ずることになると考えられます。
 それは即ち慈悲の実践であり、広宣流布の実践になります。
 そして、一切衆生への報恩は、法華経では万人成仏を願う仏の誓願に一致していくのです。

 斉藤  「一切衆生の恩」 について大聖人はこう仰せです。
 「一切衆生なくば衆生無辺誓願度の願を発し難し、又悪人無くして菩薩に留難をなさずばいかでか功徳をば増長せしめ候べき」(937P)
 ………
 名誉会長  全民衆の幸福のために尽くしたい ―― その慈悲の心を確立することが成仏の道の第一歩だからです。
 その決意を促がしてくれた苦悩の民衆こそ、恩人である。しかも、迫害を加えてくる悪人は、自分を鍛え、磨き、力をつけさせてくれる大恩人である。
 そう大聖人は教えられている。
 ………
 名誉会長  大聖人が説かれる報恩は、まさに法華経の報恩観なのです。したがって究極的には、万人を成仏させるという仏の誓願と一致していきます。
 それゆえに、「報恩抄」 では最後に 「大事の大事」(330P) たる三大秘法を明かされた後、大聖人の 「誓願の成就」 を示されているのです。  (御書の世界3巻・273~274P)

 その 「誓願の成就」 の御文は、「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし、日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ、此の功徳は伝教・天台にも超へ竜樹・迦葉にもすぐれたり、極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず、正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか」(329P) の御金言であります。

 したがいまして、万人救済のために 「三大秘法の大御本尊」 を護持し、「広宣流布」 に邁進し行くことが、父母・師匠・一切衆生に対する、真の 「報恩の道」 であります。