〈識者が語る 未来を開く池田思想〉 マレーシア国際イスラム大学「国際イスラム思想・文明研究所」 ダト・オスマン・バカール名誉教授に聞く2024年5月23日

 本年1月、マレーシア創価学会とマレーシア国際イスラム大学の国際イスラム思想・文明研究所がきょうさいする、池田大作先生をついとうする集いが、首都クアラルンプールにある同研究所で行われました。とうだんした一人が、同研究所のダト・オスマン・バカール名誉教授です。先生の思想としょうがいめぐり、バカール名誉教授にインタビューしました。(聞き手=萩本秀樹)

 ――本年1月のついとう行事で、バカール名誉教授は池田先生を「ような文化や宗教を持つ人々の対話をそくしんした、すぐれたてつがくしゃ」とたたえられました。先生が現代の世界や人々にあたえたえいきょうを、どうお考えですか。
   
 池田氏の世界的な影響力は、第一に思想の次元にあったと考えます。数々のちょさく、特に東洋、西洋のちょめいな人物との対談は、文明間対話の重要性を多くの人々に理解させるものでした。世界の主要な文明の代表者と対談した池田氏の影響力は、当然のことながら世界のすみずみにまでおよびます。
 しかし、創価学会の世界の組織とその多くの支持者にとっては、池田氏の影響は思想の次元にとどまりません。氏の思想を実践に移そうとけんめいに行動する人たちがおり、そんなみなさんの高いりつと理想の実現へのけんしんに、私は大いにかんめいを受けてきました。
 
 池田氏はまた、国や文化をおうだんする知性のぬしでもあります。それは氏が、共通の人間性、平和、かんようや協力など、文化や文明や宗教をえて人々にうったえる問題に対して、へんてきな言葉を使いながら語られる点にも見て取れます。
 あらそいや分断がしんこくする現代にあって、地球の問題に対する池田氏のようなアプローチを、評価する人は多くいます。氏の長年の功績が、むくわれ始めたといえるでしょう。

対談集にかんめい

 ――名誉教授が池田先生を知ったのは、イギリスの歴史学者アーノルド・J・トインビー博士との対談を読んだことがきっかけだとうかがいました。
  
 その通りです。トインビーとのろんに見られる、しょ問題に対する池田氏の知性に、私は大変に感銘を受けました。トインビーは、西洋だけでなく東洋の多くの人々に影響をあたえただいな歴史家です。そうした人物をむかえるだけで、対話の質は高まるものです。それは同時に、対話する人をむずかしい立場に置きかねないものですが、池田氏は、みずからの考えを的確に表現することに成功しています。
 
 二人の対談集『Choose Life』(ほうだい『21世紀への対話』)に出あった時、私は、イギリスのロンドンで博士課程にざいせきしていました。私は哲学をせんこうしていましたので、池田氏の哲学的な思考に興味をいだきました。氏は哲学と宗教性とをはなして考えてはおらず、それが私にとっては重要でした。
 というのも、当時学んでいたイギリスの哲学者バートランド・ラッセルの書籍の中では、哲学は宗教性とはかけ離れたものでした。しかし、私たち東洋人にとって、宗教性は生活になくてはならないものです。地球的問題の根を宗教性のてんからとらえる氏のどうさつは、とてもりょくてきでした。
 
 池田氏の宗教性はもちろん仏教が中心ですが、そのしょうてんは仏教の普遍的そくめんに置かれています。ゆえに氏の思想は、私にとってのイスラム教をはじめ、世界の他の宗教的伝統とも視点を共有できるものです。
 
 また、池田氏は単なる哲学者でも宗教家でもなく、知的活動家でもあり、そのエネルギーは目をるほどです。おそらくその点こそが、私が最も感銘を受けた点です。
 池田氏とトインビーの対談集は、これまでに出あった書籍の中で最高のものの一つです。池田氏に深く感謝しています。

学会員との交流

 ――マレーシア創価学会(SGM)をはじめ、各地の創価学会員とも交流を深めてこられました。
  
 最初の接点は1990年代でした。私が副学長をつとめていたマラヤ大学に、学会員の日本人学生がいたのです。90年代後半には、創価大学を訪問する機会にもめぐまれました。
 その後、SGMの活動にも招待していただくようになりました。ぼうであまり参加できなかったのは残念ですが、マラヤ大学で行われたかんきょう問題に関するイベントなど、参加できたものは、どれも印象的でした。
 
 池田氏とインドネシアのワヒド元大統領の対談集(『平和の哲学 寛容かんよう』)のマレー語版を発刊する際には、序文しっぴつらいがあり、もちろんかいだくしました。準備のために対談集をみました。いっしょに準備をしてくれたSGMメンバーのけんしんりつは、とても印象的で、深く感謝しています。
 また、本年1月には池田氏のついとう行事でも言葉を述べさせていただき、SGMとのきょがさらにちぢまったとうれしく思います。

マレーシア創価学会とマレーシア国際イスラム大学の国際イスラム思想・文明研究所が共催した、池田先生を追悼する集い(本年1月、首都クアラルンプールの同研究所で)

マレーシア創価学会とマレーシア国際イスラム大学の国際イスラム思想・文明研究所が共催した、池田先生を追悼する集い(本年1月、首都クアラルンプールの同研究所で)

 ――池田先生とワヒド元大統領の対談集に、どのような印象を持ちましたか。
   
 仏教界とイスラム世界を代表する、二人の世界的な人物による対談です。さまざまなテーマをあつかっていますが、それらをアジアに限らず、グローバルな問題としてとらえていることに意義があります。また、二つのアジアの精神が、多くの共通点とゆうごう点をゆうしていることは注目にあたいします。
 私は個人的にもワヒド元大統領をよく知っていますが、彼は非常にオープンで寛容な心の持ち主として、イスラム世界の人々からけいあいされています。対談の主題は、しょせきのタイトルにもかんせられた「寛容の智慧」ですが、それはイスラム教で伝統的にじゅうようされてきた価値でもあります。
 
 7世紀にアラビアでイスラム教をそうしたげんしゃムハンマドが、布教のきょてんとした都市メディナは、多様な民族と宗教に対する寛容さを特徴としていました。以来、イスラム教は多元的な社会に貢献し、多民族、多宗教が調和して生きる方法を示してきました。
 その寛容の智慧は、仏教の伝統にも見られます。池田氏が対談集で示した仏教観には、イスラム教、キリスト教、ヒンズー教等にも共通する普遍的な価値観が多くありました。
 
 対談集をマレー語にほんやくしたのは、私の友人であるシディン・アーマド・イシャク教授でした。素晴らしい翻訳に仕上がっていることを、一言付け加えたいと思います。

しょうとつ」論のしょうげき

 ――名誉教授は1996年、マラヤ大学に「文明間の対話センター」を設立されました。目的やけいについて教えてください。
   
 設立の数カ月前、マラヤ大学で、文明間の国際会議がかいさいされました。私は副学長にしゅうにんしたばかりでしたが、すでに多くの対話活動に関わっていました。
 会議は、現在のマレーシア首相、当時は副首相だったアンワル・イブラヒムによって公式に動き出しました。私たちは学生時代を共にし、文明と対話という共通の関心を持つあいだがらでもありました。政府のえんを得たことで、とてもだいな会議が実現したのです。
 
 当時、「文明のしょうとつせまっている」という説を唱えたサミュエル・ハンチントンの悪名高いろんぶんが、国際社会にしょうげきあたえているさなかでした。
 イスラム教とじゅきょうちからを合わせて、西洋と戦うという彼の主張は、マレーシアをふくむ世界中で多くのはんまねきました。私自身も賛成できない見解です。互いを知るために対話するのがイスラム教の精神であり、力を合わせて西洋にたいこうするというのは、あまりにもせんぱくな考えです。
 
 多民族・多宗教のマレーシアで、マレー系に次ぐ大きなコミュニティーを形成しているのは中華系の人々です。しかし長い間、イスラム教と儒教がきょうそんしてきたにもかかわらず、本格的な対話が行われたことはありませんでした。
 そんな中、イスラム教と儒教の代表を招いて会議を開催しました。著名な儒教研究者であるハーバード大学のドゥ・ウェイミン博士も、参加者の一人でした。会議では、両者の間に多くの共通点があると示され、それはおどろきをもってむかえられました。この会議の成功の直後、私は、「文明間の対話センター」の設立を主導しました。
 
 3年前には設立25周年を祝賀することができ、センターは今もかっぱつに活動しています。マレーシアだけでなく東南アジア地域における、文明間の対話のきょてんであり続けています。

平和と正義の追求のため
国や文化をえて連帯を

 ――高名なイスラム哲学者である名誉教授は、グローバリゼーションの過程でイスラム教が果たしたやくわりなどについて、積極的に発信してこられました。
  
 イスラム教のせいてんであるコーランには、人類という家族の統一について書かれています。イスラム教は基本的に、それまでの全ての聖典を統合した教えとしてを提示しています。
 ここで問うべきは、何が人類を統合するのかということです。それは人種でも物質主義でもなく、宗教性です。コーランでいう「神意識」であり、それは人間にないざいするものです。あらゆる聖典の真理を再確認する意味で、コーランは、普遍的でグローバルな聖典であるといえます。
 
 また、ムハンマドの死後にイスラム教が東西に急拡大したことで、人々はそのグローバル性を意識するようになりました。イスラム信仰の柱の一つはせいメッカへのじゅんれいですが、毎年、はだの色や民族のことなる数百万人もの巡礼者がメッカをおとずれます。メッカが文化的な中心地にもなることで、グローバリズムの精神をそくしんしてきました。
 
 しかしこれらの事実は、イスラム教に対する一部のへんけんちたイメージによって、わいしょうされてしまっているのが現実です。残念なことに、こんにちのイスラム世界では、げき主義に関連した出来事が起こり、そうした過激主義や暴力が強調されて報道されることで、イスラム教の多くのこうていてきな側面はきゅうせず、あまり知られていないのです。
 
 しかし私は、イスラム教の名の下に、過激で暴力的な行為に訴える人たちがいることはていしません。重要なのは、イスラム教徒の大多数はいかなる形の過激主義も、同意もようにんもしていないということです。政治化された側面ではなく、教義のかくしんに目が向けられ、イスラム教の理解が深まることを願っています。
 文明の目的は、互いを知ることにあります。コーランでも、人間が国や部族に分かれたのは、互いをよく知るためであると説かれています。イスラム教は何世紀もの間、東西文明のはしとなり、豊富な知識とヒューマニズムを共有しながら、グローバリズムの精神を強化してきました。
 
 池田氏もまた、人々をぶんだんする宗教とれんたいさせる宗教を、明確に区別されています。そして氏自らが、人類を連帯させるための努力にしょうがいをささげました。

 ――池田先生の心をぐ学会員は人類の幸福と平和のため、「対話し互いを知る」行動にてっしてきました。
   
 すでに述べたように、創価学会員の規律と献身に、長年、感銘を受けてきました。私が期待するのは、池田氏が築いた良い伝統をけいしょうし、氏の思想を深く理解するとともに、その思想に生きてもらいたいということです。理解することにも増して重要なのは、氏の思想を、あらゆる活動を通して実践していくことです。
 創価学会の皆さんは、さまざまな活動を通じて社会に貢献してこられました。その根底にあるのは、池田氏と、氏の二人のしょうである戸田氏、牧口氏の理念と思想でありましょう。
 
 これからも、人類にほうしているという自信とせいじつさを持って、前進し続けられることを願っています。私たちの世界は、皆さんのような人材を必要としています。そして、共通の理想を持つ世界中のグループと、さらに協働していっていただきたい。
 私たちは、平和と正義の追求のために手をたずさえていくのです。創価学会は、他の多くの人々をつなぐそんざいであると思います。

 〈プロフィル〉 Osman Bakar 1946年、マレーシア生まれ。「世界で最も影響力のある500人のムスリム」に選出された著名なイスラム哲学者。マラヤ大学副学長に在任中、同大学に「文明間の対話センター」を設立した。現在、マレーシア国際イスラム大学「国際イスラム思想・文明研究所」名誉教授。多民族・多宗教のマレーシアで、平和と共生の社会を育む対話を促進している。