「地涌の菩薩」の覚悟

 

<「人から言われたから」やるのではない。

「自分で誓い願って」、地涌の菩薩として生まれてきた。>

 
池田先生 (前略)私たちは、誓願の祈りで、深く強く結ばれている。
 創価学会は「我、地涌の菩薩なり」との自覚で立ち上がった仏勅の団体です。どれほど尊いか。この「地涌の菩薩」の覚悟がなければ、三類の強敵をはね返して、悪世末法に広宣流布を進めることはできません。
熊沢 この誓願の人生を教えてくださったのが、創価学会の牧口先生、戸田先生、そして池田先生の三代会長です。
池田先生 戸田先生は「広宣流布へ戦う私たちは、皆、虚空会の儀式に連なっていたんだよ」と言われました。
 要するに、折伏にせよ、広宣流布にせよ、「人から言われたから」やるのではない。私たちは皆、「自分で誓い願って」、地涌の菩薩として生まれてきた。
 そう決めて拝読すれば、御書の内容も何重にも深く生命に響きます。法華経も同じです。『八万四千の法蔵は我身一人の日記文書なり』(御書563㌻)とある通りだ。
 御書を一切、自分の生命のことを説き明かした経典と拝しているから、学会は強いのです。負けないのです。
熊沢 地涌の菩薩は、厚い大地を打ち破って、歓喜踊躍して出現しました。
 私たちもまた、現実の悩みに負けずに、朗らかに、自分の使命に生き抜いていかねばならないと決意しています。
池田先生 地涌の菩薩は、最も大変な時に、最も大変な場所に勇み立って出現する。みんなも、そうなんだよ。
 今、直面している困難は、信心の眼(まなこ)で見れば、自ら願った使命です。そう確信して前進することが、「誓願の祈り」の証しです。
 仕事のこと、経済苦、人間関係の悩み、病気の克服など、目下の課題に打ち勝つために、猛然と祈ることです。
 自分自身が、断固として勝利の実証を示していくことが、同じような苦しみに直面する友を励ます光となる。
 「宿命」を「使命」に変える。これが「願兼於業」の祈りです。勇気を奮い起こして、自他共の幸福を祈ることだ。そこに深い慈悲がある。自分だけでない。人の幸福を祈る中で、自分の悩みを悠々と見下ろせる境涯が開かれていくのです。
 自らの悩みを抱えながら、それに押しつぶされない。『難来るを以て安楽』(同750㌻)と、広宣流布のため真剣に祈り、勇敢に学会活動に打って出る。広布の祈りは、仏・菩薩の祈りです。
 大きな悩みを引き受け、大きく祈った分だけ、大きな境涯を開くことができる。気がついたら、小さな悩みは全部、包まれ、乗り越えられている。
 ここに「煩悩即菩提」の極理があります。