世界で25億個のトイレ設置をすいしんした「ミスター・トイレ」の話2024年2月20日

  • 〈SDGs×SEIKYO〉 すべての人に快適な衛生かんきょう

©Cyril Ng/Asian Scientist Magazine

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 ひとんで「ミスター・トイレ」――シンガポールの社会起業家で、世界トイレ機関(WTO)のそうせつしゃジャック・シム氏は、世界に25億個のトイレ設置をすいしんするなど、トイレのきゅうじんりょくしてきました。一方、世界の4わり強の人々は、いまだ安全なトイレを使用できないかんきょうにあります。SDGsエスディージーズの目標6「安全な水とトイレを世界中に」をテーマに、“トイレのでんどう”として、「ユーモア」を武器に活動するシム氏にインタビューしました。(取材=木村輝明、山科カミラ真美)

 ――なぜ、トイレのきゅう活動にたずさわるようになったのでしょうか。
  
  
 24歳で起業して以来、私は16の事業をてんかいしてきました。
 
 しかし40歳の時に、これから先はお金をかせぐことより、もっと重要なことに時間を使おうと思うようになりました。それは、社会へのほうです。
 
 シンガポールの男性の平均寿じゅみょうは80歳くらいです。40歳だった当時、自分が80歳まで生きたと仮定すると、てん寿じゅまっとうするまで、残り1万4600日になる計算です。
 
 私はお金よりも、残された時間が何よりちょうなものであり、この時間をついやすべき最も価値あるものが、社会こうけんだと考えました。
 
 そんなことを思っていたある日、新聞を読んでいると、シンガポールのゴー・チョクトン前首相の発言がっていました。
 
 「わが社会のせいじゅくは、われわれの公共トイレのせいけつさと比例していると考えるべきだ」
 
 目を通した時、“これだ!”と思いました。
 
 当時、水問題にはきょうが向けられていたものの、「トイレ問題」は、ほとんど注目されていなかったからです。
 
 1998年、私はシンガポールで「おあらい協会(Restroom Association)」をそうせつすると、トイレ美化プロジェクトを始めました。トイレの建築デザイン(Architecture)、人々の動線へのはいりょ(Behavior)、せいそう(Cleanliness)が重要であるという「トイレABC3原則」という考えを、政府関係者らに伝えながら、かいぜんうったえました。

4億人以上が屋外で排せつ

©WTO

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 ――2001年には、「世界トイレ機関(WTO=World Toilet Organization)」を創設し、活動を国外にも広げました。トイレをめぐる世界の現状を教えてください。
 
  
 現在、世界で約34億人が安全に管理されたトイレを使用できずにいます。
 
 このうち4億1900万人が、家や近所にトイレがなく、みちばたや草むらなどのおくがいはいせつしています。
 
 排せつ物はきちんとしょされなければ、川や湖、地下水のせんの原因となります。未処理の排せつ物による汚染水などが原因で、命を落とす5歳未満の子どもは、毎年52万5000人に上ります。
 
 こうしゅう衛生が十分でないために、毎日1400人以上の子どものとうとい命が失われているのです。
 
 また、安全なトイレかんきょうがないことにより、女性が病気や性暴力などのけんとなわせになります。
 
 トイレをめぐる世界の状況は非常にきびしいものがありますが、私は悲観的になることはありません。むしろ、“この大きな問題は自分が解決しなければならない”と、ふるち、全力をくそうと決意を固めています。
 
 私の目標は、“トイレが確保されることが、良きれんの始まりである”と、世界中の人たちに気付いてもらうことです。トイレが使えることで、人間のそんげんを取りもどし、病気もらすことができます。学校にきれいなトイレが整備されればしゅうがくりつも向上し、結果的にはひんこんの減少にもつながっていくのです。

アメリカのビル・クリントン元大統領㊨が創設した「クリントン・グローバル・イニシアチブ」のアジア会議で(2008年12月、香港で)©WTO

アメリカのビル・クリントン元大統領㊨が創設した「クリントン・グローバル・イニシアチブ」のアジア会議で(2008年12月、香港で)©WTO

 ――シムさんは「ミスター・トイレ」として、トイレをきゅうさせる運動の先頭に立ってこられました。時には、頭にトイレットペーパーを巻いて、ランプのほう使つかいにふんするなど、そのせんでんは一度見たら忘れられないものばかりです。なぜ「ユーモア」を大切にしてこられたのでしょうか。
  
  
 世界でトイレの問題がなかなか解決されない一番の理由は、トイレの問題が「タブー」とされているからです。
 
 普通、「トイレ」をテーマにした活動は、だれもやりたいと思わないし、話したがりません。そこで、私の取った戦略は、「ユーモア」をもちいて「タブー」を打ちやぶり、人々やメディアの笑いをさそい、興味を引き出すということでした。
 
 団体のめいしょうを「WTO」としたのも、その一つです。最初に聞いた人は、たいてい「世界貿易機関(World Trade Organization)」を思いかべますが、私が「ちがいますよ。世界トイレ機関ですよ」と言うと、笑い始めるのです。

©WTO

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 06年、ダボス会議(世界経済フォーラム年次総会)に出席した際、ある世界的な広告代理店の幹部が私に話しかけてきました。
 
 彼は、“WTOについての記事を読んだ時、なんて最悪な名前なんだと思ったのです。でも、そこから3時間後に、これは素晴らしい名前だと、考えを180度変えました。それは、「WTO」というめいしょうを目にしてから3時間経過しても、頭からはなれなかったから”と言うのです。
 
 もう一点、大切にしたのは、トイレを巡る「物語」を語ることです。トイレを普及する意味を感じてもらえるよう、私は「語り」となったのです。「物語」があれば、多くの人をれん反応を起こせます。
 
 おもしろさとさをゆうごうさせることで、メディアにも受け入れられ、運動を拡大することができました。
 
 WTOの事務所は、私のほかはたった3人で運営しています。しかし、58カ国235の団体が協力してくれており、レキットベンキーザー、LIXIL(リクシル)、全日空(ANA)など、多くのぎょうや団体が私たちの活動を支えてくれています。

自分ではなく他者を英雄ヒーロー

 ――WTOは「トイレを世の中に行きわたらせる」とのミッションを果たすために、さまざまな取り組みを行っているとうかがいました。どのような活動をされていますか。
 
  
 15年に、「ハーピック世界トイレ大学」というくんれん機関をインドに創設。15校まで拡大し、合計3万人のトイレせいそういんに、機械を使った下水しょの方法を教えてきました。
 
 同じ年に、中国のしゅうきんぺい国家主席は、全国各地のトイレを整備する「トイレかくめい」をすいしんすることを発表しました。
 
 これに合わせて、WTOは「にじのトイレ」プロジェクトという活動をてんかいしました。
 
 それまで、湖南省にある学校のトイレは、地面にあなが開いているだけのようなもので、仕切りもプライバシーもありませんでした。
 
 そこに、個室の水洗式トイレを設置しました。
 
 生徒たちはとてもていねいに使ってくれました。生徒らの衛生環境がかいぜんしたのはもちろん、都会の子どもたちと同じだというほこりを持つようになったことが、何よりの成果でした。
 
 この活動をさらに広げられないかと、中国の教育部に提案したところ、21万5000校でじっすることが決まったのです。

中国・湖南省の学校に個室トイレを設置した「虹のトイレ」プロジェクト(2015年)©WTO

中国・湖南省の学校に個室トイレを設置した「虹のトイレ」プロジェクト(2015年)©WTO

 ――13年7月、国連総会で、WTOが創設された11月19日を「世界トイレの日」として制定することが決議されましたね。
 
  
 まず、WTOとして、01年11月19日を世界トイレの日とせんげんしました。その後、毎年多くの人がこの日をいわってくれるようになり、メディアの報道も増えてきました。
 
 そこで、国連で「世界トイレの日」を制定してもらうために、私はシンガポール外務省に、決議案を提出するようようせいしました。
 
 しかし、当初は関係者が会ってもくれず、事が進みませんでした。

インドにある「ハーピック世界トイレ大学」で、トイレ清掃に従事する人々が機械を用いた下水処理を学ぶ ©WTO

インドにある「ハーピック世界トイレ大学」で、トイレ清掃に従事する人々が機械を用いた下水処理を学ぶ ©WTO

 そんな時、わが国のジョージ・ヨー元外務大臣が、中国の海南省で行われた「世界トイレサミット」に参加してくれることになりました。スケールの大きさにきょうたんした彼に現状を話すと、すぐに外務省に電話し、たんとうしゃを付けてくれました。彼とニューヨークに飛び、シンガポール国連代表部でちゅうべい大使に面会したのです。そのばん、同大使がしゅさいする太平洋各国の大使が集うフォーラムで、私が世界トイレの日を制定する理由を語る機会を得ました。
 
 しゅうりょうみなが賛同してくれ、大使館がしょめいを集めるためにさまざまな手をくしてくれたのです。
 
 最終的に122カ国の署名が集まり、参加193カ国の全会いっで制定にいたりました。とてもうれしかったです。
 
 私のてつがくは、「自分がヒーローになるな。他者をヒーローにせよ」です。
 
 大事を一人で成しげることはむずかしい。しかし、ムーブメントを起こせば、皆が“自分ごと”として行動に移し、広がりを生み出すことができます。

世界のトイレ・衛生問題等について討議する「世界トイレサミット」(2019年11月、ブラジル・サンパウロ市内で)©WTO

世界のトイレ・衛生問題等について討議する「世界トイレサミット」(2019年11月、ブラジル・サンパウロ市内で)©WTO

トイレの重要性を国際社会に訴えるために、20カ国以上で行われているランニングイベント「アージェント・ラン」(昨年5月、シンガポールで)©WTO

トイレの重要性を国際社会に訴えるために、20カ国以上で行われているランニングイベント「アージェント・ラン」(昨年5月、シンガポールで)©WTO

人生の大切なパートナー

 ――日本のトイレ事情については、どのように見ていますか。
  
  
 日本のトイレ文化は素晴らしい! 日本の最大の輸出げんではないかと思うほどです。
 
 世界が日本のトイレ文化についずいする必要があると感じますし、世界の人たちに、東京駅や渋谷駅のトイレを見学させてあげたい。私は世界トイレサミットを日本政府に開催してもらいたいとも思います。他国の人々に、いかに日本のトイレ文化がせんれんされているかを学んでもらう機会をつくれば、それぞれの国に帰った後、皆が自国のトイレをきれいにすると思うのです。
 
 日本のトイレは世界さいこうほうの品質です。とりわけ、温水せんじょう便べんはもっと普及させるべきものです。
  
   
 ――これまで、WTOは64カ国で活動を展開しています。今後のてんぼうをお聞かせください。
 
  
 トイレ、せいけつな水、教育、住居などを手に入れるために、十分な経済的ゆうがないとされる40億人のひんこんをなくしたい。
 
 トイレの普及方法を活用して、こうした問題解決に全力をかたむけたいです。
 
 私自身、読者の皆さんには、ぜひともトイレについてもっと語り合ってほしいと思います。トイレは人々の健康にとって非常に重要なものです。
 
 1日に6回から8回、人生のおよそ3年を過ごす場所がトイレなのですから、それをずかしいことではなく、むしろ楽しい時間ととらえていただきたい。
 
 私たちの“人生のパートナー”であるトイレを心から愛し、大切にしてほしいと思います。

©WTO

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ジャック・シム 1957年、シンガポール生まれ。2001年に世界トイレ機関(WTO)を創設。トイレの啓発活動に尽力する。13年には同機関の創設日(11月19日)が、国連の全会一致で「世界トイレの日」に制定。米「TIME」誌が選ぶ環境ヒーロー賞、イギリス連邦加盟国の社会的貢献を果たした人物にエリザベス女王から贈られる「ポイント・オブ・ライツ」賞等を受賞。

●世界トイレ機関(WTO)のホームページはこちら
  
  
●著書『トイレは世界を救う』(PHP新書)はこちらからご覧いただけます。