ダラけた学生生活を送り、どこかで、真っ当な生活を送りたいと願い、就職。
漠然と海外を飛び回るような仕事をしたいと考え、超氷河期になんとか滑り込み、就職。
海外出張の機会にも恵まれ、結婚し、家族帯同での海外駐在の機会にも恵まれ、ひと息をついたところで、50を目前とし、
ふと、想う。
我ながら、運良く、ここまでこれたもんだと。
若い時は、それなりに必死だった。
目の前の課題を解決し、進むことは機械的にこなせた。自分が、どこまで偉くなるとか、関係なく与えられた事に取り組む日々。
今、ふと周りの景色を見ると、自分の想いと現実にギャップが出てきているのではないかと感じる。
今の場所で、どこまで登れますか?登りたいですか?そのために、何を差し出せますか?
そろそろ差し出すものに対する価値観が、変わりつつある事に気付く。
人生、与えられた残りの時間の減少とともに、差し出すものが非常に幸せな時間である事に気付く。
自然を感じ、四季を感じ、家族と一緒にご飯を食べ、笑い、怒り、泣きといった他愛もない時間。
その価値。
今、耐え、先送りできるものなのか?
その解を知り得ないから、尚更。考える。