原型と変化と「粋」 | よもやま話

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色々と感じた事を書いてみたいと思います

最近、出張の飛行機で落語を聴く事が多い。
飛行機にかなりの頻度で乗るため、新作映画の供給と私の需要のバランスが崩れたことと、
ここ二年間は、勉強すると決めた中で、いくつかテーマを決めた中の一つが、「日本文化に触れる事」だ。
正直、理解できるかどうかとか、なにが正しいかということではなく、自分の生まれ育った国「日本」が長い歴史で育んだ文化に触れようと決めただけだ。
その中で、国内線、国際線共に名作落語チャンネルを発見し、聴く機会を得た。
古典的なものが中心だと思うが、噺家の方々の十八番とされるものに触れ、機外でも他の方が同じ演目を取り組まれているのを聴いたりする。
同じ話であっても、素人が聞いても異なる世界を見せてもらえる。
正直、うまいとかヘタとかよくわからないけど、世界観が違う。
そして、人によって変化があり、これが「粋」ってやつなのか!?なんて勝手に勘違いも含め、感じている。
この二年間は、劇団の演劇、歌舞伎等々に触れていこうと思っている。
それで自分がどうなるかではなく、どうにもならなくても、触れて何でも感じる事ができれば良いと思う。
正解などどこにもない。人が言う正解は、その人の正解であって、私の正解と一致するかどうかはわからないし、正解を押し付けられないから、この世界に触れる価値があるのかもしれない。