それにしても本当に便利な世の中になりました。

 

ここ数十年での世の中の発展は目覚ましく、私の幼少期から比較しても当時からは考えられないようなことが今の世の中では当たり前に成立しています。


私のような若輩者が過去を語るなんておこがましいのは百も承知していますが、時に若い選手達に話すと驚かれることも多々あります。

 

私が小学生のころにファミコン(ファミリーコンピューター)という革命的なゲーム機が販売。

 

中学生の頃の最先端はポケベル(ポケットベル)。

 

ピッチ(PHS)というものもありました。

 

それから20数年、携帯電話は進化を重ね、今ではスマートフォンという精密機械でテレビも映画も観れますし、インターネットすらできます。

 

音楽も聴けるしゲームだって出来てしまいますね。

 

スマホ一台での出来ることが本当に多い。

 

 


 

インターネットの普及により、サッカーを学ぶにしてもいとも簡単に膨大な情報量を得ることが出来るようになりました。

 

しかもとてつもないスピードで。

 

コーチとして駆け出しのころは本屋を駆け回りサッカーの本を探していました。

 

ビデオ屋を回り、映像をひたすら探し回りました。


一日空けて通ったって売っているものは変わらないのに、それでも知識がほしくて通いました。

 

時間も手間もかかれば得られる情報量は僅かばかり。

 

それ故にトレーニングメニュー1つとっても獲得させたい技術から逆算して独自のトレーニングメニューを考えていたものです。

 

今はトレーニングメニューも簡単に調べられますし、映像だって処理しきれないほどの量を得ることが出来ます。

 

コーチの資質は知識や情報量で決まるわけではありませんから、いくら知識を得ようとも情報を得ようともそれだけで判断されるわけではありませんが便利に飲み込まれ、1つの事柄における本質を見極めようとすることよりも情報を得ようとすることが多くなっている世の中になっているのかもしれません。

 

その傾向はこれからも強くなっていく可能性があります。

 

膨大な情報量が錯綜する中、自分の中で整理し、何が必要で何が不要なのかの取捨選択をし、その都度、自分の信念をもって的確に判断して行く。

 

サッカーに限らず情報という渦に巻き込まれることなく、逆にその力を利用していく。

 

便利が故にその便利さに飲み込まれてしまえば誰しも自分という価値を見出せなくなってしまうのだと思います。

 

便利なのも使い方次第。

 

誰しもそんなことはわかっているはずですが、便利が故に見え辛くなってしまう部分もあるはずです。


まずはそれを理解することが大事なのかもしれませんね。

 

 


 


川邊