こんにちは。瀬谷松栄塾田中です。
本当はブログというのは日を決めて、もしくは毎日書けたらいいのですが、書きたいことができるときは比例して忙しい時なので、なかなかその時間を捻出することができずにいます。
入試まで残り1ヶ月を切り、今さらながら焦りを見せる中3。例年よりベースの学力が高かったにもかかわらず、どこか受験がひとごとであったのですが、ようやくエンジンがかかってきました。遅い、遅すぎる。風が語りかけてしまいます。が、まあ今さらそれを言っても始まらないので私は自分がやれることをやり、彼らは自分がすべきことをするしかありません。
さて、ある程度エンジンがかかってきたときに改めてする話があります。
ある人たちからは「そういうことを求めるのは勉強ではない、“勉道”だ」と言われることがありますが、お、いいねそのネーミングもらった!程度にしか考えておりません。実際に「学習力検定」なんてものを独自でやって「初段以上は月謝割引」なんてやっていますからね。
「なぜ勉強しなきゃいけないの?」という質問に対し「将来のため」と答えがちですが、これを自信をもって本当に言い切れるか、ということを考えてきました。
我々の時代(氷河期世代)はまだ「大企業神話」があった時代ですから、親からも「ちゃんとしたところに就職するために勉強をきちんとやったほうがいい」ということも言われていたような気がします。
※まあ漫画などで得ていた情報や価値観の方が大きいかもしれませんが。初期の「Y氏の隣人」などもそういう描写が頻繁に出てきますし、いっぽうで勉強ばかりしていて歪んでいく子供たちの話も出てきます。
しかし今はどうでしょうか。
大企業に入ったからといって将来が約束されるわけでもありません。
また「ライフワークバランス」の言葉が出てくる通り、今の子たちはお金がたくさん欲しいということもあまりない、と聞きます。
これは低価格で楽しめる娯楽が増えたことや、価値観の多様化など、様々な理由があるでしょう。
ただ、「お金はそんなにいらない」と本人が思っていたとしても、最低限の学歴がないと生きていけるだけのお金を稼げる仕事に就けないことが多い、という面もあります。
昔にくらべて、いわゆる「学歴を必要としない技術職」の仕事が激減していることもあり、なんだかんだ高校くらいは出ておかないと、となりますよね。
※本来学歴を必要としない仕事も最低限の学歴を大卒以上としているケースも多々あることがさらに問題を大きくしています。
私は塾を経営しているわけですが、生徒たちには受験を通して身につけて欲しいことがあります。
それは
・自分の体調と相談しながら、無理しないようにすること
・一方でやるべきときにやるべきことはきちんとやること
・自分なりに理解しやすい姿勢・方法、覚えやすい方法などを発見すること
・それができるように自分の限界や、自分の体調不良の予兆などを知っておくこと
・今自分になにが足りないのかを俯瞰してなるべく客観的に見れるようにすること
・自分のできないところ、苦手なところと向き合うこと
・向き合ったうえで、逃げることも選択肢に入れること
・なにかあったときに助けを求められること
・PDCAを自分で回してみること
・できていないところの指摘を、「自分への非難」と捉えず、修正するための道筋と考えること
・失敗できる場で失敗しまくってみること(限度はあります)
・問題のまわりをぐるぐる回っているだけの「悩む」ではなく、問題に対して自分なりに試行錯誤できる「ヒット&アウエイ」ができるようになること
・自分が悪いときにまず他責にしないこと
・でも心が壊れそうになるくらいなら他責してもいいんじゃない、ということ
また、これは本当に賛否両論なのですが
・仕事だったらこういうやり方が好まれるということ
・仕事だったらこういうやり方が嫌がられるということ
・・・大人に忖度するってことですよね
でも・・・結果的にスキルとして身につけると生きやすくなる、とは思います。
それぞれについて、「どういうこと?」と説明しようとしたらいくらでもお話しできますがここでは割愛します。
これが半分でも「勉強するという行為を通じて」受験に挑んでくれれば、受かろうが落ちようがそんな結果は当日の体調ひとつで変わってしまうものですし、私の中では「高校受験は成功である」と言えます。一方でこれが全く身に付かなかったのであれば、たとえ合格だったとしても私にとっては「うまくできなかったなあ、やれることできなかったなあ」と考えていますし、それをこの時期に改めて中3に伝えます。
もちろんこんなきれいごとは成績を上げるからこそ言えることです。成績が上げられないのであればこれは「成績が上がらない言い訳」になりますからね。ですから成績を上げることにはこれからも並行してこだわります。
しかし合格に関しては、上記のような理由から、保護者の方と生徒に現実をありのままにご説明をしたうえで、ご本人たちが納得のできる挑戦なのであればいくらでもすればいいし、応援します。
10年後、20年後、世の中がどうなっているか、正直想像もつきません。今までになかった職業も出てくるかもしれないですし、こういう変な技術は必要なくなっていくかもしれません。それでも伝えられることは伝えていきたいと思っています。
塾にそんなもの求めてない、という方も当然いらっしゃることでしょう。
そういう意味では瀬谷松栄塾は塾ではないのかもしれませんね。
ただそんな枠組みは正直どうでもいいのです。
自分の子ですら、自分だけで見てるのは苦痛になります。大人だって不完全、当然私だって不完全です。だからこそ、お互いが補い合っていければいいと考えておりますので、子どものための塾でもありたいし、大人のための塾でもありたいと思っています。