こんばんは。とうとう昨日はブログを休んでしまいました瀬谷松栄塾の田中です。

 

打ってる途中で寝落ちして日付が変わったので、もう諦めました(笑)。

 

そして、意地で続けても、ではそれはなんのためにやっているのか、という話になるので、もうちょっとゆるりとやってもいいのかなあ、と思い始めている次第でございます。

 

 

さて、一度は誰もが耳にしたことがある。

 

「勉強なんて人生の役に立つの?」

 

 

まあ、よく出てくるのは

 

「勉強すらできないあなたたちが社会でなんの役に立つの?」

 

 

とか。

 

まあ、うん、学習障害や識字障害がない場合は、勉強ってなんだかんだ一番簡単と言えなくもないですよね、とくに中学レベルでは。

実際に社会に出てから困ることって、知識うんぬんよりも、誰でも『やればある程度できるであろうこと』ができない、ということなのかな、と思わなくもなく。

 

 

次に

 

「役に立たないならやらないのか!?」

 

 

と、質問に質問で返すやつ。

 

「質問に質問で返すな」の画像検索結果

Ⓒ荒木飛呂彦

 

もうね、こういう質問してくる時点で基本的に「やりたくない」んだし、「役に立たないならやらないよ」。

 

 

だから、「やりたくなきゃやんなくてもいいんじゃないかな、あなたの人生だし」と、最近は言ってしまいます。

 

 

 

他には

 

「いい成績を取って、良い高校・大学に入って、いいところに就職するため」

 

これ、今でも結構聞きますね。生徒の口からです。

 

 

 

もちろん、生徒の声、ではなく、これは保護者の方がそうおっしゃっているのでしょう。Y氏の隣人

「Y氏の隣人」の画像検索結果

 

を読むと、こういう場面がよく出てくるのですが、まだこういう価値観って残ってるのですね。

 

もちろん大学によるフィルターはありますが、「いい大学にいけば幸せになれる」とはもう到底言うことができない世の中ですから、説得力は弱いかな。と思います。

 

 

 

 

 

 

ふむ。

 

どれも一理あるのかもしれませんね。

 

まあ、どこかで聞いたような話をここでする意味はわかりませんから、自分が生きてきてどういうところが役に立ったか。

 

資格の勉強をするときに、「問題集を解くだけ」みたいな勉強法じゃない勉強ができたり。

 

対照実験の考え方。それじゃ原因わからないじゃん、というツッコミができるようになったり。

 

使える道具でどうやって戦うかを考えたり(数学の証明とか)

 

なぜ?を考えることがそんなに苦痛でなくなったり。

 

やらねばならぬことをやらねばならぬときに、「やる気」をそこまで出さなくてもやろうとできたり(ただしダイエットは除く)。やんなきゃいけないもんはしょうがねーだろ、と。ね。

 

 

知識を整理するようなメモ書きがある程度できるようになったり。(誰かの話をメモ取る時に役立ちます)

 

あとはね、一番は

 

 

笑えることだったり、興味を持ったり、あることに対しておもしろい、という感情を持てる、ということ。

 

 

ああ、このネタは○○ってことを知らなければ笑えないな、とか、○○を知っているからこれはおかしいな、ということはわかるけどそれは笑いどころなのかな、とか。あとは純粋に、知らないことを知るっていうのは楽しいということ。学ぶことは娯楽でもありえるのだなあ、ということ。

 

 

これは当然、受験していた時代に思ったことはなく、大人になって学んでいるからこそ思うことだし、それを例えば当時の自分に伝えても「なにいってんのあんたウゼー」としかならないとも思う。

 

 

 

まあ、それでいいと思うのです。

 

 

大人になったときに、あ、あれが学ぶということのベースになっているな、と

 

 

そう気付いてくれれば、

 

 

私がこの仕事をしている意味はあったんだな、と思えると思います。

 

 

 

役に立つかどうかは知らない。

 

 

役立てるかどうかを決めるのは、本人だから。

 

 

 

でも、どうせなら、役立ててほしい。

 

 

自分の豊かな人生のために、ね。

 

 

※最近のブログは、もう本当に普段から喋ってることそのまんま、ありのままです。

 

瀬谷松栄塾