チバが死んだ。
4月にガンの知らせを聞いて、まあそりゃあんだけ飲んで吸ってならなってもおかしくないよなあ…と思うと共に、チバなら大丈夫、ぜってぇ負けねぇよなって勝手に思ってた。またフェスの常連に戻ってくるって思ってた。皆そうだと思う。
公式から全くお知らせがないのは不安をあおったが、治療に専念してるからだ、信じて待とうぜって自分に言い聞かせた。
チバは帰って来なかった。
ロックンロールの神がつかわした男は
天に還ってしまった。
僕らはくそったれの世界に置き去りだ。
学生時代から追い続けた人だった。
ブランキーが解散して凹んでいるところへミッシェルガンエレファントはギンギンのロックンロールでぶん殴りに来てくれた。「神回」と言われるMステ初登場を見たときは本当にぶっ飛んだ。お茶の間にロックンロールが鳴り響いたのだから。これが本物だ、これがロックンロールだと言わんばかりの轟音で。
いよいよミッシェルの時代が来たぜ!と思った矢先に、彼らは解散を発表した。
LASTHEAVENツアーはなんとか行けた。幕張メッセでのラストライブ、30000人以上を2ブロックに分けただけのとんでもない空間でただただ響き渡る轟音を浴び、歌い、踊り、暴れ、そして泣いた。
ただロックンロールが鳴っているだけなのにあの場所にはすべての感情があった。
生きるとは「想像」と「体験」でできている。
あの極上の解散ライブは生涯忘れることはないと思う。
ミッシェルは終わったけどROSSO、THE BIRTHDAYとチバは歌い続けていた。でもミッシェルとは違うんだよなあ…と当たり前のことを思いながら聞いていた。
第二期ROSSOの重たさから開放されたかのような清々しい軽さで始まったバースディも、年月を重ね再び重さを増していった。イマイくんからフジケンにメンバーチェンジし、細くて変化球な音色からジャキッとした骨太なロックへ変わっていった。正直に言って、ミッシェルジャンキーズの僕は物足りなさを感じていたのも事実だ。もちろん好きな曲も多く、バースディの曲には優しさが溢れていた。年月は人を変えるし、閉塞した時代の中で思うことは多かっただろう。チバの歌詞はより自由な方へと飛んでいった。特に「愛でぬりつぶせ」「SATURDAY NIGHT KILLER KISS」の詞はチバの中でも最上級に素敵な詞だと思うのでぜひ感じてほしい。
それでもチバにはギンギンのとんがったロックンロールでぶっ飛ばしてほしかった。バースディは数少ない「本格」のロックバンドだ。他がマネできないカッコ良さを持つバンドなのだ。チバがロックンロールシーンのど真ん中にいて且つメンバーもそれに負けない存在感を放っている。探すとわかるがこのようなバンドはなかなかない。だからこそ妥協無しにロックンロールと真向勝負して欲しかったのだ。これは僕のわがままだ。でも同じ気持ちの人は少なからずいるだろう。ミッシェル、ブランキーを体験してしまうとあの快感からは抜け出せないものだ。「夢とバッハ~」でダイバーを見たときはさすがにちょっと苦笑したけど。あのミドルナンバーで飛ぶやつは立派なロックンロールジャンキーズだよ。でも空気は読めよな笑。
2009年、ミッシェルのアベフトシが死んだ。
ミッシェルを加速させた張本人で。最もロックンロールに取り憑かれていた男。
アベちゃんがいなければここまでミッシェルがとんでもない存在になることはなかっただろうとさえ思う。
もうあの殺人カッティングマシンガンギターは聴けないんだ…と思うと共にまだ3人はいて、いつか交わる日が来るか、でも簡単にはしないだろうなと思っていた。
もう、その日が絶対に来なくなってしまった。
チバは過去の歌を歌わなかった(シャロンだけは特例か)。ベンジーとの対談で「いい曲なんだから歌った方がいいよ」って言われてたはず。実際ベンジーはブランキーの代表曲を歌ってくれるので大盛り上がりだ。ミッシェルの曲は良曲ばかりで歌わずじまいなのはホントもったいなかったと思う。チバ以上にカッコよく歌える人はいないんだぜ?
バースディはチケットがなかなか取れないバンドで、ようやく取れたチケットは台風やコロナ自粛で中止になってしまった。今年~来年は静岡近隣のライブあるから行けるかな…と思った矢先に、チバは死んでしまった。今年の初めは元気にライブやってたのに。アラバキを始めフェスもツアーも決まってたのに。
結局3回しか観れなかったと思う。
もっと見たかった。ステージで動くチバを。
もっと聴きたかった。新しい唄を。
もちろん、本人たちが一番悔しかっただろうな。
中止になったクアトロツアーのタイトルは「F××K Forever」。
コロナ禍で思うようにライブできなくて、世界はどんどん悪い方向に向かって、
鬱屈した世界をさぁここからぶっ飛ばしにいくぜっていう決意表明のタイトルだったんじゃないかと思ったんだ。
楽しみだったよ。本当に楽しみだった。今は絶望さ。
バースディもROSSOもミッシェルも、もう二度と見れないのだ。
事実だとわかっていても受け入れることは当分できそうにない。これは死ぬまで無理だろうな。じじいになってもチバの歌を聴いている自信しかない。
全てが理想だった。動きも唄もビジュアルも、詩も曲も全てロックンロールの理想系だった。
僕がロックンロールに求めたものは激しく美しいロマンだったのだと思う。チバの唄は寓話的で、その実現実的ながらもロマンに溢れていた。
「宇宙を突き抜けて 銀河を手に入れろ」
こんなロマンのあるロックンロールが他にあっただろうか。こんな詩を臆面もなくカッコ良く歌い上げるボーカリストがいただろうか。
チバには銀河すら射程圏内だったんだろう。
チバみたいな友人(結構似てるんだこれが笑)とミッシェルみたいなバンドもやったよ。短く終わってしまったけど、いいバンドの片鱗は秘めていたと思う。
「バイバイダニー
バイバイビリー
バイバイジェニー
バイバイケリー」
ラストライブのアンコールでチバは自分の曲の登場人物に別れを告げていた。
さんざん聴いた曲の人物たちが、バースディでも呼ばれることはなかった。
バイバイチバユウスケ。
バイバイアベフトシ。
バイバイミッシェル。
バイバイバースディ。
「世界の終わり」で始まって、「世界の終わり」で燃え尽きて。
「世界の終わり」を歌った人はいなくなった。
僕にとって世界とはチバが描く楽曲の世界だ。その世界が終わった。
生きるとは、歳をとるとは、影響を与えた偉大な先輩の死と向き合っていくことだと思う。それを経験したところで、大人になっていく自信も、いい経験になったと思うつもりもない。ただ寂しさと悲しさを抱えて、それでも生きていくだけだ。
もう逢えないんだな。あと40年ぐらいチバがいない人生を過ごすのはしんどいな。生きていくしかないな。遺した音源は一生聴き続けるよ。ぶっ飛んだロックに逢えるようになんとか生きるよ。体が動く限り、バンドはやめないよ。あんなに最高なものはないって教えてくれたのはミッシェルだから。やめたらロックじゃねえもんなって勝手に思ってるよ。
ありがとうチバユウスケ。僕の青春。
でも未練タラタラだ。このぐちゃぐちゃな感情をどうにかしてくれよ。気が狂いそうだよ。「知らねぇよバカヤロー、勝手に好きになったんだろうが」って言われそうだけどね。大好きなんだからしょうがねえだろ。一生好きなんだよ。