方丈へ
慶長四年(1599)恵瓊が安芸の安国寺から移建したもので、銅板葺の屋根は、開山栄西禅師八百年大遠諱を機に、建立時のこけら葺に戻されました。本尊は東福門院寄進の十一面観音菩薩像。

本尊 十一面観音菩薩坐像(方丈)
十一面観音菩薩坐像は今から約四百年前、徳川二代将軍・徳川秀忠公の娘である東福門院(御水尾天皇の中宮で、明正天皇の生母)に御寄進を頂いた大切な寺宝であります。(建仁寺HPより)
建仁寺
お参りさせて頂きました

雲龍図
海北友松によって桃山時代に描かれた方丈襖絵 「雲龍図」。元は方丈東南の礼の間の襖に描かれた雲龍図で、現在は8幅の表具仕立てになっている。
建仁寺

建仁寺
こちらを見ておられるようで、生きているように感じられましたびっくり
建仁寺

建仁寺

建仁寺
琴棋書画図
この図は方丈の襖絵のなかでは、唯一淡彩を施した作品であるが、竹林七賢図など他の友松の人物画とは違い、全体に伝統的で厳格な画面構成となり、人物以外の樹木や岩などの描法にも狩野派的な要素が見られる。(建仁寺HPより)
建仁寺
海北友松1533 - 1615
浅井氏家臣・海北綱親の五男として生まれる(三男説もあり)。その画は宋元画、特に梁楷の影響を受け鋭く力のこもった描線と省略の多い画法(減筆法)によって独自の画境を開いた。作品は大画面の水墨画が多いが、金碧濃彩の屏風絵もある。八条宮智仁親王や亀井茲矩、もともと東福寺の退耕庵主だった安国寺恵瓊と親しかった。後に息子の友雪は、利三の娘である春日局から褒賞を受けている。(建仁寺HPより)
建仁寺
方丈庭園「大雄苑」
方丈前の枯山水庭園。創建当時は不明であるが、現在の作庭は加藤熊吉により昭和初期頃、作庭されたもの。建仁寺は中国百丈山の禅刹を模したといわれ、庭園も百丈山の景色を模して作庭された。(建仁寺HPより)
建仁寺
外は雨は降ったりやんだりです
襖絵をゆっくり見せて頂き 広縁に座ってゆったりとした時間を過ごしました
方丈の右手からお茶室方面へ降りて行けます
建仁寺
途中左手に
建仁寺
田村月樵 遺愛の大硯
建仁寺の襖絵等を手掛けた画家田村月樵愛用の大硯
建仁寺
茶席「東陽坊」
草庵式二帖台目席。天正十五年(1587)に豊臣秀吉が催した北野大茶会で、利休の高弟・真如堂東陽坊長盛が担当した副席と伝えられています。二帖台目席で最も規範的な茶室とされ、茶室の西側には当寺の名物「建仁寺垣」が設けられています。(建仁寺HPより)
建仁寺

方丈へ戻り法堂へ
通路でスリッパに履き替えます
建仁寺

建仁寺
法堂
明和二年(1765)上棟。仏殿兼用の「拈華堂(ねんげどう)」。五間四間・一重・裳階付の堂々とした禅宗様仏殿建築。正面須弥壇には本尊釈迦如来座像と脇侍迦葉尊者・阿難尊者が祀られています。また、その天井には平成十四年(2002)創建八百年を記念して小泉淳作画伯筆の双龍が描かれました。(建仁寺HPより)
建仁寺
こちらの双龍図はデザイン画のようでお洒落で可愛い感じがしました
建仁寺
再び方丈へ戻り外へ
建仁寺
建仁寺さんの開祖栄西禅師さんは茶祖とも呼ばれお茶を一般に広めた方です
建仁寺さんの生垣はお茶の木なんだそうですおねがい

建仁寺
三門
大正十二年、静岡県浜名郡雄踏町山崎の安寧寺から移建したものである。空門・無相門・無作門の三解脱門。「御所を望む楼閣」という意味で「望闕楼」と名づけられました。楼上には釈迦如来、迦葉・阿難両尊者と十六羅漢が祀られています。室町時代中期の瑞巌龍惺の「春眺」の詩の中に「望闕楼高くして帝城に対す」という句がある。
(建仁寺HPより)
三門から建仁寺塔頭禅居庵さんへ
2024年2月