①陣屋跡
②大悲山観音寺
③大悲山観音寺
訪問日:2014年9月
所在地:兵庫県加東市
浅野長恒の弟長武も赤穂浅野家の分家3500石の家原浅野家の養嗣子となり、貞享3年(1686)将軍徳川綱吉に謁見し、家督を相続した。養父は浅野家と姻戚関係にあった竹原松平家出身の長賢。
長賢は赤穂藩主長直の養嗣子として浅野家に入ったが、その後長直に実子長友(長矩の父)が誕生したため分家していた。
長武は旗本として御書院番の組頭であったが、長矩の刃傷、大石良雄の事件により二度にわたり出仕を禁じられた。許されて正徳2年(1712)持弓頭に就任したが、その年の内に50歳で亡くなっている。後妻は八百屋お七を裁いたという甲斐庄正親の娘。
家原浅野家の菩提寺である大悲山観音寺には近隣有志の浄財により、幕末の弘化4年(1847)に完成した赤穂四十七士の墓所がある。