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snow of spring

趣味とか独り言。


正式にニュースが出たのでもういちど。


日テレでは生放送ではなく録画でしたが、ダイジェストで試合を見ることが出来ましたテレビ


前半をリードされての折り返し。


後半入った直後に同点にするも再びリードされる。



それでも最後まで諦めずにボールを追いかけ、執念の同点キラキラ



延長戦に入り、フラフラになりながらも闘い抜いた。

これは鵬翔高校だけでなく、相手校の京都橘も同じ。


両校90分+20分の死闘を繰り広げ、熱くなった



最後は実力と、そして運のPK戦。


ほんのわずかな差が試合を分けた。



鵬翔高校、改めておめでとう!!キラキラキラキラキラキラ




鵬翔 宮崎県勢初の日本一!京都橘と死闘110分、PK戦で決着

スポニチアネックス 1月19日(土)14時37分配信
 第91回全国高校サッカー選手権は19日、降雪で延期となった決勝を東京・国立競技場で行い、鵬翔(宮崎)が2―2からのPK戦を5―3で制し、京都橘(京都)を下して初優勝を果たした。宮崎県勢の優勝は初めて。

PK戦で優勝が決まったのは第83回大会の鹿児島実以来(相手は市船橋)8年ぶりとなった。

京都橘は前半41分、ゴール前のこぼれ球に反応したDF林(1年)がペナルティーエリア手前から右足でグラウンダーのシュート。GKは反応したが防ぎきれず、京都橘が先制点を挙げた。

鵬翔は後半4分、セットプレーで追いつく。左CKからDF芳川(2年)が打点の高いヘッドを叩き込み、1―1の同点に。しかし同19分、京都橘は左サイドを抜け出したFW小屋松(2年)がゴール前にクロスを入れると、FW仙頭(3年)がワンタッチで押し込んで勝ち越し。鵬翔は同39分、DF日高(3年)が倒されて得たPKを主将のDF矢野(3年)が右足できっちり決め、再び試合を振り出しに戻した。

試合は2―2で前後半10分ずつの延長戦に突入したが、両校とも得点を挙げられず勝負はPK戦へ。PK戦では全員が決めた鵬翔に対し、京都橘は1人目の主将・仙頭が失敗した。

決勝は14日に予定されていたが、首都圏を襲った爆弾低気圧による大雪の影響で延期となっていた。
先ほど試合が終わりました!

延長戦にもつれ込み、それでも勝負はつかず、PK戦へ。


鵬翔高校が今大会でなんども経験したPK戦。


そして彼らは県大会の決勝も、PKで勝ち上がってきました。



キッカーは5人


全員、決めてくれました!!!



鵬翔高校、優勝しました!!!!キラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラ




ホントにおめでとう!!!!

ラジオ日本で高校サッカーを聞いています


前半は0-1で折り返し、

後半開始直後に同点!!サッカー


しかし、後半19分に再びリードされ、もうヤバいと思いましたが



後半39分土壇場で再び同点!!サッカーサッカー


そして延長戦に突入します。


もうここまで来たら勝ってくれ!!



小手指で応援してるぞ!!
原作ではステーシーと人間の間に子どもが生まれ、新しい種族として歓迎される。
すべては主軸の微調整期間であり、渋川もその運命を受け入れて静かな余生を過ごす。

しかし、この舞台ではそこまで描ききることはなく、時間軸としては渋川が自殺未遂(とここでは言っておく)する場面で終わる。

どうしようもない現実に、どうしようもないまま突っ込んでいく。
綺麗なハッピーエンドを描くことなく、解決しない問題を抱えながらも生きていく姿で終わらせたことを私はかなり評価している。
別に原作が嫌いとか、ハッピーエンド否定とかそういうんじゃないです。


現実世界は不条理で溢れてるし、思い通りにならないことだって多い。
自分が震災と原発、そして同性愛の研究してたからっていうのもあるんですけど、人生は苦悩(suffering)で溢れている。

家が壊れたこと、津波に流されたこと、愛する人を失ったこと、故郷を奪われたこと、これは被災者たちの苦悩の一部。
セクシュアリティを言えないこと、結婚できないこと、法的保証がないこと、差別されること、これは同性愛者たちの苦悩の一部。

すぐに風邪を引くこと、鼻水が止まらないこと、口頭試問に向けてパワポをつくらなきゃいけないこと、これは自分自身の苦悩の一部です。

苦悩とはさまざまなもので、簡単に言うと、水虫だって人によっては苦悩です。
いまの会社がブラックだから辞めたい、生理痛が重くてたまらない、二世帯住宅で家族の関係がうまくいかない、愛する人が死んだ、これらも全部苦悩。

なにが言いたいかというと
程度の差はあれ、生きることには苦悩がついてまわり、私たちはだれひとりとしてその苦悩から自由である人はいない。そうである以上、人は苦悩とともにある人生の中に意味を見出していくことしかできないのである。

人は自ら希望を持って理想や夢を追いかけて生きるからこそ、ふとした瞬間に、生の喜びを実感することができる。
そう言った意味では、苦悩と希望は表裏一体のものである。


現実世界に溢れた苦悩の中に、人は何かしらの希望を見出し、意味づけて生きていくしかない。
「ステーシーズ少女再殺歌劇」という舞台は、そのラストシーンにこれ見よがしなハッピーエンドの結末を用意していない。

しゃべるステーシーとして最初に認識されたモモは渋川によって再殺されているし、有田はモモに食い殺され、渋川自身も詠子の幻影を見て生きるか死ぬかの選択を迫られている。
ホスピスの先生も銃弾に倒れ、再殺部隊も壊滅状態。

祐助と砂也子にしても、果たして逃げ切れたのかは分からない。
この物語の終わり、ステーシーと人間の抗争はどう終わりを告げたか、世界はこのまま崩壊してしまうのか、その結末は敢えて描かれていない。


だからこそ演者も、そして観客である私たち自身も、その人生の中に自分の手で意味づけをして希望を見出していくしかない。
用意された幸福なラストではない、混沌とした絶望に満ちた世界を、それでも必死に生き抜いていくしかない。

こんな世の中だからこそ、こんな終わり方が相応しいんじゃないかとか真剣に考えました。


というのも、自分の修論の終章にそういうことを書いたんですw

人は苦悩から自由になることはできず、その苦悩とともに生きていくしかない。
社会からの言われなき差別や軋轢は問題ですし、解決できるものならしたいけど、現実的にそれはムリな話しです。
解決できる苦悩もあるけど、全部の苦悩を解消するのはまず不可能。だから人はそれとともに生きるしかない。


どうしようもない社会で、それでもどうしようもなく足掻いていくしかない。



自分にとって修論を書くこと自体が苦悩だったのですが、その苦悩の答えはすぐ傍にあったんだなと提出当日の朝3時くらいに気付きましたw




長々と書きましたけど、いろんな要素を含めても今回の舞台はかなり面白かったです。

れいなの歌唱力と演技力を筆頭に、よく他のメンバーを喰らいついてきたなと。
手放しに絶賛できるような内容じゃないことはもう十分すぎるほど前述したと思います。
でも、「未完成」だったり、「不安定」だからこそ、ちょうど9期10期メンバーの世代だからこそできた舞台でもあります。
たぶん、もっと有名な女優さんを使えばキャラは立つだろうし、格段と綺麗になったでしょうけど、
いまの(当時の)彼女たちが演じたからこそ、あの舞台は完成したんだろうなと思います。


主演であるモーニング娘。の脇を固める俳優陣も見事。
河相我聞、山本匠馬、白又敦の主演3人のほか、
隊長の山浦徹、ホスピスの先生役、赤星マサノリ、詩人の真心、再殺部隊の口上で走る少年菊池祐太、郷志郎、キムユス、椎名茸ノ介。

音楽の和田俊輔、原作大槻ケンヂ、そして撮影には、大槻氏の兄、大槻慎一。
最後に原作を見事再構成し、新たな価値観と批評、そして原作への愛を入れた脚本と演出、末満健一。

全てのスタッフに拍手喝采です。



観た人になにかを与える演劇ではなく、
観た人の中に存在しているものと共鳴するような芝居を作る。
哲学や価値観の押しつけのような傲慢な作品は作りたくない。



末満氏のこの言葉には感嘆せざるを得ず、頭が下がります。


イメージ 1



少女たちを再殺したあと、渋川は再び詠子の幻影を見る。

「私たちは一度死んで、二度死ぬことはできるけど、三度目は殺せないんだよ」

「どうして僕に愛してるなんて言ったんだ!」

「あの夏の終わりの日に結ばれたのよ」


そして笑いながら詠子は去り、渋川はステーシーたちに囲まれ、銃をこめかみに当てる


周囲のステーシーが幻影なのか本物なのかは分かりませんが、渋川がそこでぶっ放した銃は全部で8発。

開演当初は1発だったようですが、途中から演出が変更されて8発になったことを鑑みても、彼は自殺せずに生きる道を選んだのかなと思います。
1発目と2~7発目の間に微妙な間、そして最後の8発目にも間が空いていますが、此処で自殺はないかなと。

というのも、「初めて出逢ったあの夕暮れの公園で、僕は詠子を、再殺したんだ」というナレーションのあと、再殺のシーンが訪れるからです。



最終場面。
渋川による詠子の再殺

時間軸は再び巻戻り、詠子が一度目の死を迎えたあと、
渋川は公園で「ライダーマンの右手」を片手に、彼女が生き返るのを待つ。

此処でもういちど詩人が現れて喚く。


―――愛する人が死んだときには、自殺しなきゃなりません。
   愛する人が死んだときには、それより他に方法がない。


さらに詩人はこうつづける。それは詠子も知らなかった詩のつづき。


―――けれども、それでも業が深くて、尚もながらうこととなったら、
 奉仕の気持ちになることなんです。




中原中也「春日狂想」


中原中也は、この詩をつくる1ヶ月前に自分の子どもを亡くしているようです(さらにその前に奥さんまでも亡くしている)。
愛する我が子を亡くした哀しみ、だけどそれでも奉仕の気持ちで生きていくと決意した、と感じか。
奉仕の気持ちとは、すべてを捨てる、とも取れますが、ある意味で発狂しつつも生き抜く決意とは実に重い。

そういった詩を聞いたあとに再殺、それを思い出した渋川は、
詠子を愛していたことを知ってなお、生きていくことを決めたんじゃないのかなあ……
まあ真相は分かりませんが。


原作でも、そして映画「STACY」でも描かれなかった再殺場面。
ちなみに映画「STACY」では詠子を加藤夏希、渋川を尾美としのりが演じ、大槻さんは、「七人の侍を100点とすると、この映画は-64点」というなんとも微妙な評価を下していますw
酷評なのか、それとも比較対象が七人の侍だからなんなのか…w

この映画は自分も観ましたが、まあ大槻さんがそう評するのも致し方ないかなと。
スプラッタのゾンビ物、という印象で終わってしまった…とはいえ、主演ふたりの配役はドンピシャひらめき電球
冴えないというか哀愁漂う渋川に尾見さんがあまりにもマッチしてたなー。


話が逸れたので戻すと、そんな映画でも原作でも描かれなかった再殺場面。

詠子はゆっくりと体を擡げてベンチの上から渋川を見下ろす。
ニアデスハピネスの笑顔を引っ込め、感情もなく、ただ渋川を肉塊としか認めずに黙って見下ろし、再殺が始まる。

牙をむいて襲い掛かる詠子に、「ライダーマンの右手」で応戦し、脚や腕をぶった切る渋川。

愛する人をこの手で165以上の肉片に切り刻むなんて尋常じゃないし、それは紛れもなく狂気的で、何度も言うけど、狂ってる。

ただ、狂ってるんだけど、どうしようもなく美しい。

切り刻むたびに詠子の体から溢れる鱗粉とハーブティーの香り。
夕陽の沈む公園で、渋川はチェーンソーで切り刻む。
それが詠子との約束だから。
詠子が渋川に押し付けた再殺の権利。「ちゃんと切り刻んでね」と、交わした再殺の誓い。
渋川は全身全霊をかけて、その誓いを必死で果たそうとしている。

チェーンソーを回し始めてから止めるまで、およそ4分20秒。
約4分間の死闘は、時間だけ見ると短いと思われるかもしれませんが、実際に舞台で見ると丁度良い。
ふたりに残された最後の時間。最後の約束を涙を流しながら果たす渋川。


「ありがとう、ごめんなっ、大好きだっ…!」


渋川がどうしても言いたかった告白。
原作でも映画でも共通して流されるこのセリフは、ステーシーズの最大の魅力ともいえる。

詠子の体を刃が貫いた瞬間、彼女は微笑む。
それは原作の言葉を借りるなら「動き回る眼球と舌先が、笑顔状に一瞬バランスを保っただけのこと」なのかもしれない。


「ありがとう、ごめんね、大好きだよ…」


最後に詠子の魂(幽霊)もそれに応え、ハーブティーの香りに包まれた公園で渋川は慟哭する。

さて、原作が筋肉少女帯の大槻ケンヂであり、「ステーシーズ少女再殺歌劇」と銘打っているので、この曲は絶対に外せないでしょう。


「再殺部隊‐少女再殺歌劇ver.‐」


原曲よりキーを上げ、田中れいなの歌いだしから始まる曲。
もともと少女視点で描かれている歌詞が多いし、これはアリなんじゃないかと思った。
筋肉少女帯ファンの人からはどうだったんだろ…そこまで酷評は聞いてないけど。

しかし、やっぱりれいなが中心にいると安定するなーって印象ですねひらめき電球

episode Ⅱはほとんどれいな抜きの9・10期だけで歌っていて、それも凄く良かったんですけど
何処か不安定さが否めなかったんですよね。
もちろん、そのアンビバレンスがニアデスハピネスの少女たちを上手く表してて悪くはないんですけど、
安心して聴けるのはやっぱりれいなが入ってる曲だなーと。

彼女が中心で全体を引っ張ることで、9期10期もそれにくらいついて行ける、そういう感じです。


この曲でのもうひとつの見どころは、生田衣梨奈
曲中に「その深い悲しみから逃れるため、少年は部隊に志願した」という口上が入ります。
そこで見せる生田さんの笑顔と、直後に少年を食い殺すシーンは「ステーシーズ」という舞台のテーマを凝縮した瞬間のような気がしました。

ホントに一瞬なんですが、生田さんのだらしない笑顔と、直後の狂気は見所です。


そして場面はホスピスへと移動します。
此処はドリューこと明音公恵が脱走した場所でもあり、玉代(生田衣梨奈)たちニアデスハピネスの少女たちが収容されている場所でもある。

そこで初めて、主役3人がそろい踏みしての「幻燈幻影マタイツカ」

原作でも少しだけ触れられた、「ステーシー化現象の真実」のようなものが此処で語られます。

「すべては主軸のもとに繋がっている」、原作の言葉を借りるなら、「主軸による微調整期間」。
此処では「神(GOD)」という言葉を使ってはいないものの、それが宗教的な考えによるものは明らかで、そしてそれもまたひとつの考え方であり、正解ではない。

ステーシーたちはなんども
「仕方のないこと」、「だから哀しまないで」、「再殺してくれてありがとう」と云っています。
「主軸に繋がっている」ということもまた、抗えない運命を受け入れたうえでの彼女たちの出した答えなのかなーと思います。
だからこそ「かみさまの気まぐれ、ただそれだけ」なんだろうなぁ。


そんな「どうしようもないこと」に歯止めは利かず、ステーシー化する前のニアデスハピネスの少女たちにも再殺の命が下る。
ホスピスに再殺部隊が突入し、いよいよ事態は泥沼へ。


この殺戮に終わりはあるのか。
ステーシーにも、そして人間たちにも希望はないのか思わせるような展開。
それでも鬱々とせずに見ていられるのは演出者の力量かなーと思いました。


episode Ⅲの最後を飾るのは「少女再殺」

救いようのない世界で歌われる狂気。少女たちの鮮血と叫び声、それが狂気をかき鳴らす、葬送の曲。

祐助と砂也子はふたりでこの地獄を抜け出して生きていくと決意する。
その先に必ず希望があると信じて、ふたりは走り出す。

一方、渋川は少女たちを再殺しても再殺しても拭い去れない詠子の記憶と血に怯える。
なんど銃をぶっ放しても詠子の声が頭から離れない。

此処の希望と絶望の対比は結構綺麗です。
もちろん、祐助と砂也子が生き残る保障も確証もないけれど、泥沼の中に咲く一輪の花という意味で此処は綺麗なシーンでした。

対して、絶望の中を這いずり回る渋川の目の前で交わされるのは、少女たちの約束の指切り。
「僕はきみを殺したくなかったんだ!」と叫んだ直後に、詠子との再殺の誓いの指切りを見せてくる演出が憎い。

思わず「おおお!」と叫んでしまったあたり、もう完全にこの舞台のとりこになっているんだなーとしみじみw
episode Ⅱとepisode Ⅲの合間に、詠子と渋川の回想シーンが入ります。
此処で時間軸は再びepisode Ⅰの直後へと逆回転。

ふたりの初めてのデート。
「良いね、普通って」と呟く詠子のセリフがなんとも切ない。
女の子っぽさというか、あまり艶っぽくない、何気ない一言なんだけど、それが妙に綺麗です。

そしてふたりは、初めて出逢ったあの公園で、再殺の誓いを交わす。

これもラストに活きてくるんですが、子どもっぽく指切りで交わした再殺の約束

「渋さんが私を愛してくれなくて良かった」と中原中也を引き合いに出して詠子は呟く。
彼女は死ぬ直前までも、笑っている。それはニアデスハピネスの笑顔。

そして訪れた一度目の死。


「詠子、少しの間だけ、さようなら」


本舞台は全体的にセリフが淡々としています。
これは原作でも思ったことなんですが、良い意味での淡泊さがあります。

こんな狂った世の中で情をこめて、激情に任せるようなセリフは逆に興ざめになる。
だからこそ、敢えて、セリフが全体的に「軽く」なっています。詠子と渋川の会話が特にそう思います。

さすがにしゃべるステーシーと出逢ったときの叫びはマジですけどw


このあと渋川は詠子を再殺したあと、再殺部隊に入隊し、詠子の血を洗い流すこととなる。


episode Ⅲ ドリューと祐助

悲しみから一転、照明が明るくなった途端に発せられるは工藤遥演じるドリューの「バーーーカっ!」という言葉。

おいおい、急にどうした?と思ったらドリューの口上が始まります。


「玉代なんてスーパーバカよ!」

「13歳で彼氏いておっぱいでかい女に、自殺する権利なんて断じてないわ!」

「もしあの世で会ったら、おっぱい鷲掴みにしてやるんだから!」





……なんてことを言わせるんだ中1のアイドルに!と笑ったもんですw



これは工藤遥だから言えるセリフだよなーと思いました。
ある意味で田中れいなもあってますが、年齢的に見ても、背伸びしている感じとか含め工藤さんはナイスキャスティングかと。

「違法再殺少女ドリュー」をハスキーボイスで歌い上げる姿もなかなか面白い。

全体的に一気にまくしたてるセリフが多く、駆け足になりがちなシーンが多かったので、公演中はなんどかそこを指摘されたようです。
あれだけ早口で言い立てる彼女の演技も嫌いじゃないですが、ちょっと落ち着いて、と言いたくなる気持ちも分かるw

しかし13歳であれだけの演技は立派かと
彼女の幼さと、どうしようもないことへの抗い、そして違法再殺という背伸び、初めて知った恋。
いろんな複雑な感情とかを込めて、必死に駆けずり回った姿には思わず感嘆。
工藤さんの演技でいちばん良いなと思ったのは、再殺されたあと、去っていくシーンの表情。

一瞬呆けて、焦点の合わない瞳を向けながらも、なにか熱を帯びたような、ホントに良い目をして闇に消えていくあのシーンは好き。


episode Ⅲのもうひとりの主役は祐助(白又敦)、そしてその恋人の砂也子(石田亜佑美)
白又さんのただ恋人を護りたいって我武者羅さは、そこまで暑苦しくないし嫌いじゃない。
「仕方のないこと」を「仕方のないこと」として受け入れ、それでも恋人といっしょに生きていくって宣言は「ほうw」と面白かった

此処からガンガンに彼が引っ張っていくのかと思いきや、途中で主役が石田さんに交代。
冷静にしゃべり始め、彼といっしょに生きるために逃げる。
「私たちはアダムとイブになるの」というセリフ回しにはドキッとしてしまった。


本舞台の主役は田中さん鞘師さん工藤さんなんですが

ある意味でいちばん美味しい役どころは石田さんかもしれない。


果たして世界の果てまで逃げ切れるかどうかは分かりませんが
ステーシーと人間の新たな可能性を示唆したふたりの行く末に幸あれと願わざるを得ないです。
episode Ⅱ モモと有田

原作でも最も好きなエピソードで、舞台でもやっぱり此処が好きでした。
急に「悪趣味なコマーシャル」である「ライダーマンの右手」から始まり、狂気すら枯れ果てた全寮制リルカ女子美術学院での出来事。

時間軸は一気に進み、再殺部隊に渋川が入隊。
ステーシーと化したリルカの生徒たちを再殺しながら、彼は詠子の幻影に怯える。

一方、有田約使(山本匠馬)は生徒たちを使ってステーシー研究をつづけていた。
彼もまた、狂人のひとりとして、生きていた。


此処は実質、山本匠馬の独り勝ちのような気がしますw
笑いながら少女たちを切り刻み、赴くままにチェーンソーでバラバラにしていく。
まさに「狂人」という言葉に相応しい役どころを見事に演じ切る。

今日もステーシーを再殺しようとチェーンソーを手に取ったとき、彼が目にしたのは、14歳の誕生日に再殺したはずの妹、モモだった。


「リルカは地獄‐ステーシー聖歌隊斉唱‐」は、モーニング娘。のれいな以外、9期10期の8人だけで歌っています。
年代が丁度女子中高生であるので、役柄としても、そして声質もドンピシャ。
れいな抜きでもちゃんと歌えていることにちょっと感動したりするw

再殺部隊隊長(山浦徹)が最初に再殺したのもまた妹(譜久村聖)
そんな彼女が歌うは「バタフライパウダー」

ステーシーの証、体中から溢れる銀色の鱗粉と、ハーブティーの香り。
それは幻想的で綺麗であるものなのに、それが皮肉にもステーシーである証拠。見とれていると食い殺されてしまう。

原作でも、なぜステーシー化するのか、なぜ鱗粉がハーブティーの香りがするのかは原因不明。
大槻さんの中でも説明する必要がないと思ったのか、果ては彼の執筆時の精神状態によるものなのか、それも不明です。

この鱗粉の演出もなかなか綺麗でした。
ドラマになった場合はCGとか使うんでしょうが、舞台ならではの銀色の紙吹雪は幻想的でした。

譜久村聖の柔らかい歌声にもちょっとドキッとしたりしましたw
ここでは笑うことなく佇み、寂しげに、そして儚げに歌う。
もともと彼女は凛としているというより、何処か寂しそうな雰囲気を携えているので結構似合ってます。

これで譜久村さんは(当時)まだ15歳ですw




どこからくるんだその色気ww




そしてepisodeⅡでの主役、モモ(鞘師里保)と有田のやり取り。

「にーいさん」と呼びかけるモモとの会話が凄く良い。
これが結果的に最後の会話なんですけど、結末を知ってるだけに切なさ倍増。

個人的には鞘師さんの演技は嫌いじゃないです。
ただ一点、滑舌がさほど良くないというか、口に籠るというか、そこが凄く残念です。
透明感のある伸びのある声だけに、ホントに惜しいあせる

ここは姉も指摘していた点で全体的に滑舌が良くないそうですw

とはいえ、普段のラジオを聞いてる限り、この舞台中はかなり良い方でしたけどw


モモは劇中では14歳、鞘師さんもまた同じく14歳であり、しっかりと役にハマっている感じがありました。
手放しには絶賛できない演技力(滑舌含めw)でしたが、歌唱力でちゃんと補っている気がしますひらめき電球

「キマグレ絶望アリガトウ」を最初に聴いたときは良い意味で鳥肌が立ちました。
高音が少し苦手な彼女ですが、今回はのびのびと歌い上げ、思わずぽかんとしてしまうほどw

そして最後に「許してあげるね」と云ったあと、笑顔で有田を食い殺す。
彼女はモモであるけれど、有田の妹のモモではない。
ステーシーにとって許すということ。妹の代わりに許すということ。その狭間にある、ステーシーの本能、人を食い殺すということ。

最後に見せた笑顔もまた、狂気的でただ美しい―――
此処からは原作でいう所の序章、episode I 詠子と渋川が始まります。


此処で特筆すべきはやはり田中れいなの演技と歌唱力かとひらめき電球

最初は、感情の壊れた子どもという印象を持っていたが、「ニアデスハピネスの少女」という役を見事にこなしている。

あっという間にこの世界に入りこみ、詠子は彼女にしか演じられないとさえも思った。

伸びのある高音を武器に安定した歌唱力にはちょっと圧巻……すごいなぁとしみじみ。


相手役の河相我聞もなかなか面白い。
人生に疲れているというか、人付き合いが得意でない冴えない男。
公園で昼寝しようとしているところに詠子が現れ、急に再殺の権利を押し付けられる羽目になる。
鬱陶しく、なぜ僕に再殺を?と困惑していたが、詠子と接しているうちに微妙な変化が生まれていくというこれも難しい役どころをうまくこなした。

詠子を再殺した後に見える幻影におびえ、後悔して嘆く姿もなかなか。
彼の最大の見どころ最終場面(詠子再殺)なのだが、そこに持っていくまでの過程も上手かったなー……
最終場面についてはまた後ほどパー


合間に出てきた詩人(真心)は、渋川によれば愛する人を失って壊れてしまった寂しい人。
彼は空き缶を引き摺りながら中原中也の詩を喚く。


―――愛する人が死んだときには、自殺しなきゃなりません。
愛する人が死んだときには、それより他に方法がない。


この詩が後半、それこそ最終場面で活きてくる
最初に見たときには「やられた」って思いました。


「砂置子165分割」での砂置子を演じるのは鈴木香音
たくさんセリフがあるわけでもないが、詠子の両親の首を持って笑いかける姿は良い意味で狂気的。
画面越しにドキリと思わせる演技はなかなか良いのではないだろうかと思う

原作は大槻ケンヂ「ステーシーズ少女再殺全談」
演出・脚本を末満健一
音楽は和田俊輔というスタッフで挑んだ舞台


ステーシーズ少女再殺歌劇。


時間がだいぶ空きましたが、ようやくまとまった時間が取れたので、いまさら長ったらしい感想を書きますw

原作に関しては前述してあるのでこちらを参考に



それがいったいだれの仕業によるものかは分からない。
14歳から16歳の少女たちが、
突然狂い死にを始めるという原因不明の現象が、世界中に蔓延した。
糸の切れた操り人形が、ひとりでに動き出すみたいに、その屍は立ち上がり、
人肉を求めて彷徨い歩く、屍少女と化した。
そして、そんなわたしたちをだれともなく、「ステーシー」と、そう呼ぶようになった。



本舞台の構成としては以下のようになっています

・ミルクコーヒーダンス
・ステーシー(opening theme)

episodeⅠ 詠子と渋川

・ニアデスハピネス
・砂置子165分割

episodeⅡ モモと有田

・ライダーマンの右手
・リルカは地獄‐ステーシー聖歌隊斉唱‐
・バタフライパウダー
・殺戮ゾンビリバー
・キマグレ絶望アリガトウ
・今日の日はさようなら

episodeⅢ ドリューと祐助

・違法再殺少女ドリュー
・再殺部隊‐少女再殺歌劇ver.‐
・幻燈幻影マタイツカ
・少女再殺



本舞台は、基本的に原作を踏襲してはいるものの、
時間軸が一定でなく、主人公、渋川の回想が時折入るため、一見すると分かりにくい点もある。

原作では序章で渋川が詠子を再殺したあとも、再殺部隊に志願することはありません。
舞台では再殺部隊に志願し、モモやドリューたちとなにかしらの関係があるっていうのも相違点ですね。

基本的に渋川視点で舞台は進み、原作同様、救いがあるか分からないままに泥沼の中を這いずり回っていくこととなります。



さてこの舞台に関してもう少し詳しく見ていくことにします。

『モーニング娘。が美しきゾンビと化す。』

このような謳い文句を見て、正直期待はしていませんでした。

ドラマや映画と違って誤魔化しの効かない本番一発勝負の舞台に挑戦するのは、
田中れいな、譜久村聖、生田衣梨奈、鞘師里保、鈴木香音、飯窪春菜、石田亜佑美、佐藤優樹、工藤遥の9名。


このメンツだと、田中れいな以外は舞台経験はほぼありません。
演技・歌唱力が不安で、ファンの贔屓目で見てもギリギリのレベルだったらどうしようなんて思っていました。

実際、1曲目の「ミルクコーヒーダンス」を見たときには、ちょっと待てと言いたくなったくらいでしたw
明るい曲調で手にしたのはミルクとコーヒー。おいおい、だいじょうぶかと不安になりましたw


しかし、そんな不安を吹き飛ばしたのは2曲目の「ステーシー(opening theme)」
明るい曲調から一転、これから始まるであろう凄惨な幕開け。

これDVDだとモーニング娘。のメンバーにスポットが当たる部分が多いのですが、
全体を綺麗に見たかったなっていう欲が出る個所でもあります。


再殺部隊の男性たちが舞台の後方部で歌っているのですが、結構綺麗なフォーメーションになっているんですよね。
メンバーをアップにしてほしいと思いつつも、ここは全体を見たい!という曲のひとつでもありました。


とかくこの曲がきっかけで舞台への期待が一気に高まったのは事実です。
今回の部隊は全体を通して曲が凄く好きなのですが、この曲が1・2を争うくらいに自分は好きです。

ちなみにDVDを貸した姉(ファンでもなんでもない人w)はこの曲が嫌いだそうですw
合わないなー趣味がww