難聴ブログ もしも願いが叶うなら

難聴ブログ もしも願いが叶うなら

難聴についての知識や情報、難聴に対する社会的なイメージ
難聴と音楽など色んな思いを発信しています。


Amebaでブログを始めよう!

このブログの更新を止めてから4年以上の年月が経ちました。

盛んに更新していたブログを停止した理由は色々ありましたが、

このブログを毎日のように綴っていた頃から思う事がずっとありました。

 

自分の人生にとって、それまでたくさん山あり谷ありの人生でしたが、

聴力を失う出来事はアイデンティティを失うような気持ちに感じるほど、自分にとってはきつい事でした。

その中で、もし自分のようにどこへも気持ちを放出出来ずにいる方や、

自分が調べて来た中で求めていた情報のひとかけらにでも伝えられる事があればと思いました。

人の事をどうこう考えずに、本当に言いたい、言ってしまいたいと思う事は、

どんなに伝える場があっても、案外と言えなかったりするものです。

身近な知人や家族や友人だからこそ言い難い事もあったりするもので、

自分の中に留めておくことが出来ない気持ちに、

どうにも出来ない気持ちの居場所が欲しくて、

世の中の多くの同じような状況にいる聴覚障害の方の為にと言う気持ちも嘘では無かったですが、

ブログの場に拠り所を求めたのは、何よりも自分の為だったように思います。

そうして書き綴ったブログを読みながら、

またこのブログを通じて知り合えた皆様から色々な情報や意見を交換し、

考えて前進しようと奮い立たせたり励まされた事も大変有難いものでした。

 

その中で、聴覚障害に関係した話題を中心にブログを書いていて思った事は、

その話の事ばかりで溢れてしまうと言う事。

聴覚障害で何がどのように辛いか、情報と言う言葉を借りて、多分、愚痴や辛さ、憤り、理不尽さなどを出すばかりで、思考も建設的ではなくなったり、

辛いと感じるのに辛い内容を書いていたりと言うのを感じました。

弱さは恥では無いと思っております。

別に辛ければ辛いと言って良いと思います。

この場が公の目に触れる可能性もある事、見る度に暗い話、重い話。

どうせなら読む側も楽しい気持ちになりたいと思う事の方が多いとは思います。

 

日々綴っている間に思ったのは、何よりも自分が一番、

聴覚障害と言う事を常に四六時中考えている状況な事実。

前向きな内容だろうが、後ろ向きな内容だろうが、情報内容だろうが、

常に聴覚障害に関係した内容を書いている事に囚われているような気がして、

何度もブログの更新をしようと思ったりしてみましたが、止まっていた理由です。

 

こういう気持ちになったのは、このブログを開始して2年頃くらいではありますが、でも消す事は出来ずにいました。

ブログを消す気は今のところありません。

褒められた生き方や考え方ではないかも知れませんが、

その時の自分なりに真剣に考えて、調べて、足掻いた証だと思っております。

 

 

数年経った今、またこの更新をしたいと思ったのは、

その時の気持ちをいつかお話したいと思ってた事と、

聴覚障害とはジャンルが違いますが、お伝えしたいと思った事があるからです。

 

聴力を失って、その時、初めて自覚した事。

例えば、外を歩いていて誰かが近づいた音、何かが迫って来た音、色んな音の存在がありますが、音を感じないとそれを何で気が付きますか?

人の体は、普段はその姿形である事が当たり前と感じて、

そこに備わる物へ容赦ないと言いますか、気付かないものです。

振動で気付いたり、空気と言うか、風が動く、そんな感覚で気付いたり、

匂いで気付いたり、何より、視覚が大きかったです。

 

聴力が悪化していく過程で、視覚による補助が凄く大きかったっというのを感じました。

そしてその自分の視覚の違和感を感じたのも、聴力を失ってから気付いた事です。

 

緑内障と言うものでした。

聴こえてないから気が付きづらいのはもちろんですが、それにしても人にぶつかりやすいとは思っていました。

人工内耳となり、何もかもと言うわけではありませんが、日常生活的には楽になりました。

緑内障は基本的に進行していく病気です。

治療は主に点眼薬で眼圧を下げて、出来るだけその進行を緩やかなものとし、

天寿の全うまで視野狭窄を最小限に保たせると言う感じです。

 

しかし、ここ最近から目の調子がおかしく、色々と病院へ行きましたが、自分の緑内障は末期と言う事でした。

最近のおかしいのは末期の悪い時に出て来る症状だと言う事でした。

医師からは「ゴールが見えてる状態」と告げられました。

加齢による症状として色々出て来るものはありますが、

今の自分の見え方は、常に黄色のような金色のようなモヤモヤが両目の視界内にいくつか見え、見た物が残像となって何個にも増えて残り視界を更に狭め、

無地に壁にまるで違う壁紙を貼られてくように違う柄が見え続け、物が歪んでサイズ感や距離感がつかめません。

光源の無い所でも強烈な光の眩しさを感じて目が痛くなります。

どれだけ点眼効果でゆるやかにしても、一番良くて残り20年。

それでも現代人の平均寿命で言えば今の自分の年齢からの残り20年は、かなり若い年齢です。

ですが、それは殆ど希望的な理想で、現実はもうそんなに長いとは言えないと思うとのことでした。

 

聴力の次は視力…。

今この文章を打ち込んでる間ですら、末期症状でかなり厳しいですが、何も見えなくなるのはキツイです。

 

ブログの別テーマ内に、Music is my lifeと言う文章を書かせていただいている中で少しお話が出ますが、

自分の父親は目と耳が不自由でした。

自分は父親と言うのを暫く知らずに育ち、知った時には既に目が悪く、耳も悪かったのと、

母親も小学生の頃に病気で亡くなり、両親のパーソナルについてよくわからなく、

どんな病気だったとか、持病があるかなど、遺伝的な関係などわかりにくいところがありますが、

親、子、その子と目や耳の障害が続いておりますので、その要素だろうとの事です。

 

お子さんのいる親御さん達へ。大切な方の為に。

自分がどのような生き方をしたとか、どんな子供時代だったとか、

どんな学生時代で、どんな若い頃だったか、

そういった話を親子であまりされないご家庭もあるかと思うのですが、

願わくば、是非伝えて下さい。

子供にとって、親は、親と言う存在だけではなく、自分より先に大人になり、

人生経験をしてきた一番身近な大人です。

もちろん、子供にとって良い親である事も大切ですが、きちんとお互いのパーソナルを話してみて欲しいと思います。

自分達と同じ時代を同じ速度で生きてきていないからこそ、自分がどういう人だったか、好きな事、得意な事、出来る事、出来るだけ伝えて欲しいと思います。

もし自分が、何かを失う日が来た時に、自分がどんな人だったか理解してもらえるように、

もし自分が誰かを失う日があった時に、その人がどんな人だったか教えてあげられるように。

病気になった時、血肉を分けてもらう場合もあるかもしれません。

(表現が不適切ですみません、血液や臓器移植などの意味です)

 

自分は見える限り見続けてやると言う思いですが、

それがいつ肉体的に事切れるかは正直不安です。

見えなくなっても生き続けてやると言う逞しい精神は、

残念ながら持ち合わせていなく、正常な精神を保っていられるかわかりません。

現実に見えない、聴こえないと言う状態の父を見て来た者として、

そばにいる者ですら正直申しますときつかったです。

ですから、こればかりはどうなるかと言うのは自分にもわかりません。

出来ればその日までに天寿が来て欲しいと思っています。

投げやりになっているとか、希望を捨てていると言うわけでは無くて、

それくらいは、願わせてくれても良いのではないだろうか、と。

出来ればその日まで自分の目に好きなものをずっと映してくれますように。

 

 

■追記■

申し訳ありません。初期投稿時の文章の誤字脱字不足などが多々ありましたので

加筆修正させていただきました。

今後の更新の際の文面にも出来る限り注意を払いたいと思いますが、

目視確認や聴音確認の限界がございます事をご理解いただけると助かります。

2022.4.7